≪ chapter3 Anemone ≫

14 ≪ビンカは突然に≫

 

 広いエントランスに佇む彼女の姿を、楓は唖然としながらインターフォン越しに眺めていた。

まさか来るなんて、と。


「とりあえず……開けてくれない? あと、今日は泊めてよね」


インターフォンの向こう側にいる彼女は大きなキャリーバックを引いて、楓の元へやってきた。


 エントランスを開けてもらい、事前に聞いていた楓の部屋がある場所へと彼女足を進める。


「結構良いマンション住んでるじゃん……よかった。昔よりも良い所にいるみたいで」


エレベータを降り、少し長い廊下を歩いてドアの前までやってくると、慎重に、大きく、彼女は呼吸をして。


「よし。行こう」


インターフォンを鳴らすために、指を伸ばす。


 まさか、と楓の心の整理はまだついていなかった。

新幹線を使っても二時間はかかるであろうこの場所へ、突然ゆかりは来てしまった。

来てしまったのなら仕方がないけど、どうして来てしまったのだろうと疑問には思う。


 インターフォンが鳴り、楓は玄関へと近づいていく。

そして、チェーンを外しドアを開けたその瞬間。


「楓! 久しぶりー!」


キャリーバックが勢いよく倒れて傷つく事も気にせず、少女は楓に抱き着く。


「あぁ、久しぶり」


楓でもいきなりの事に驚き、飛びつかれた事で少し足が動く、けれど楓はしっかりと少女を抱き留めて、バランスを崩して転ばない様にと必死になって、耐える。


「ねぇ、何年ぶりかな!」


「三年ぶり……くらいじゃないかな」


「えぇーそうかなぁ? そんなに経ったかなー」


久しぶりに会ったから、だろうか。

少女はやけにテンションが高かった。


「あぁ、えっと……ドア、閉めてもいい? あとキャリーバッグ倒れてるよ」


「あぁ、ごめんごめん」


 今、この家に来る理由なんて。

と楓は考える。

考えて、悩んで、見つけ出せた答えはただ一つ。

別にゆかりは楓の心配などしていなくて、ただ「姫メ乃猫」に会いたかったのではないか、と。


「あっ、一個言うけど。別に姫メ乃さんに会いたい訳じゃないから」


せっかく楓が考えた仮説も予想もすべて、その一言で、一瞬にして粉々に砕け散った。


「え? そうなの?」


「当たり前じゃん。私が時間とお金を割いてまで会いたいのは、楓だけだって」


「わざわざそこまでして会いたい? 私に」


「会いたいにきまってるじゃん。もう、バカ」


そう言って、少女は楓の頬を両方から挟み、少しほっぺの感覚を楽しむ。


「ただ気になって。楓がどうしてるのかなーって」


 白色ワンピースと麦わら帽子、可愛いサンダルがよく似合う少女は、少し背が高い楓とは違って、もっというなら同世代の人に比べても背が低い。

だから、楓の側にいると楓の妹みたいに見えて、よく間違えられてしまって、それがどうも本人は嫌らしい。


「まぁ、上がってよ。暑かったでしょ」


「もう、ほんとに暑かった! ていうか、駅から遠すぎない? ここ」


「そんな事ないと思うけど」


「いやいや遠いって、絶対」


 廊下を数歩進み、ドアを開ける。

その先には綺麗に掃除されたリビングが見える。


「ほんと広い家……」


「申し訳ないくらいにね」


 少女は壁沿いにキャリーバッグを置くと、リビングを見渡す。

リビングは何気ない日常が見られる様な場所、だから何かがあるかもしれない。

そう思うと、もっと念入りに見たくなるけれど。


「ねぇ、姫メ乃猫はどこ?」


「えっと……あの子は……」


「別に隠さなくてもいいじゃん。出してよ」


「その……会ってほしい気持ちもあるけど……」


 どうして楓が渋るのかっていうのは、簡単に分かる。

要するに私を信用していないんだ。

私が、楓と猫が一緒に暮らしてる事を全世界の人間に言うと、そう思っている訳だ。


「私、ちょっと残念だなぁ……」


「え?」


「だって、かえちゃんに信用されてなかった訳でしょ?」


「その呼び方やめてよ………恥ずかしい。それに、別に信用してないって訳じゃ……」


「じゃあ、出してよ。猫を」


 そんな彼女の言葉に反発できるくらいなら、きっと私は彼女の幼馴染をしていなかった。


「分かった……ユリ、いいよ。出てきて」


 楓の言葉を聞いて、ユリはリビングの隣にある楓の部屋から引き戸を開けてそっと、恐る恐る出て来る。


「おぉ、テレビで見るまんまの可愛い女の子じゃん。ねぇ、楓?」


 そして彼女は思う。

テレビで見た、雑誌で見た、CMで見た、ネットにあるあの投稿で見た。

姫メ乃猫がここに、ほんとうにいたんだと。


「そうなのかな? 私にはよく分かんないけど」


「テレビで見るまんまだよ! 初めましてー猫ちゃん。丁香花ハシドイゆかりって言います。よろしくねー」


そう言いながらゆかりはユリの方へと近づくと、手を握り笑顔で握手をする。

その力はとても強く、そこには若干の妬みが込められていた。


「あの……お茶、淹れますね」


そんな妬みに負けず、ユリは笑って言う。


「あぁ、ユリ。いいよ、私がやる」


「でも……」


楓がユリよりも先にキッチンへ行くと、コップを三つ出し、そこにお茶を注ぐ。

それをおぼんにのせ、数少ないお菓子をかき集めてお皿の上にのせて、テーブルへと運ぶ。


 四人掛けのテーブルに三人。

楓の前にはゆかり、楓の隣にはユリ。


「で? どういう経緯で拾ったのよ、この子。楓が中学生を、しかもアイドルを拾えるなんて、結構異常だと思うけど」


「あーそれはその。私の勝手なエゴ、というか、なんというか……」


 二人の馴れ初めを、ゆかりは冷たい緑茶を飲みながら、話半分くらいで聞いていた。

本音を言うなら、ゆかりにとってこんな話、全部全部どうでもよかった。

二人がどんな出会いをして、どんな生活をしていても構わない。

ただそこに恋とか愛とか、そういうのさえなければ、なんでもいい。


「ふーん。そっか……でも、援助交際ねぇ……楓的には見て居られないよねぇ、それは」


「別に、だからどうって話でもなくて……ただ本人が望んでないんだろうなぁっていう空気だったから」


 まだユリの両親からの許可は得ていない。

というか、あれから一度も電話が繋がった事はない。


「でも、楓は立派な誘拐犯で監禁犯だね」


 話を聞いている限り、そこに愛だの恋だのそんな話は一切ない。


「まぁ、私も猫って呼ぶのはやめるとして……」


ただのエゴと、エゴで救われたただのアイドルをしている中学生というただそれだけ。

それ以上もそれ以下もない。そう、思えるから安心できる。

だから、私は楓に言う。


「ねぇ、楓」


「なに?」


「今日の晩御飯は、お鍋がいい」


いつも通りの日常を演じる。


「こんな暑い日に?」


「暑い日に食べるお鍋がしたい!」


「分かった……じゃあ、ごめんね。ユリ、ちょっと出かけるから」


 でも、ちょっと妬けちゃうな。

愛も恋もないのに、こんな風に楽しそうにしちゃってさ。

愛も恋もないなら、楓から離れればいいのに楓には似合わないよ、こんなキラキラした人間。

人生の底の方に居ようよ、一緒に。

傷を舐めさせてよ、楓の心に溜まった泥を私に吐きだしてよ。

それは、私に しかできない事。

でしょ?

楓。


「あぁ、はい。大丈夫ですよ……それと、楓さん」


 どうしても、気持ち悪くて仕方ない。

どうしてあの子は楓が使っている台所を我が物顔で使っているの。

どうしてあの子は楓の家を自分の家みたいに思って過ごしているの。


「あぁ、ありがとう。じゃあ、行こっか」


 それでも私は笑う。

気持ち悪くて、気持ち悪くて、どうしようもなかったとしても。

私は笑う。

私は目の前にいる楓だけを見て、楓の声だけを聴く。


 楓はユリから預かったトートバッグを握って、ユリに書いてもらったメモをポケットに入れて、ユリに見送られて家を出る。

ゆかりはユリに見せつけるみたいに、楓と手を繋ぐ。


「楓、いいよね? 手を繋いでも」


そしてわざとらしく、楓に確認をとる。


「いいよ」


ただそれだけの返事に、ゆかりは笑顔を見せる。


「じゃあ、行こう!」


そう言って半ば強引に楓を連れ出す。

そんな二人にユリは。


「行ってらっしゃい……」


と、小さな声で言って手を振る事しかできなかった。

そんな事が、ユリにとってはなんだか少し寂しかった。

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