第9話 8/28

 その病院は隣県の中ほどにあった。電車と地下鉄を乗り継いで、数時間かけてたどり着く。わりと新しい施設で、受付のカウンターで数人の若い女性が大勢の患者の対応に明け暮れていた。

「十時に予約した藤田ですが…」

「ここに症状と相談の内容をご記入願いまます」

と用紙を渡される。必要事項に記入し、採血して、MRIを撮り、ひと通り検査が終わると診察室の前で待機する。


「どうぞ」

 声がかかり、大きな黒い引き戸を開けて中へ入る。二十畳以上の広々とした明るい部屋で、左手に本屋のような三段ラックがあった。そこに『神の手を持つ男』とロゴの入った週刊漫画らしき雑誌が数冊差してある。部屋の一番奥に黒い大きな机があり五、六十歳位の白衣を着た男性が椅子に座っていた。


「こんにちは。あなた、島から来たの?」

 私は戸惑いながら、はいと返事をした。

「そうなんだ。一回だけ行った事があるけどいい所だよねえ」

 まあそうですねと答える。なんだか違和感がぬぐい切れない。ひとしきり社交辞令の会話をした後、診察に入る。

「それで、あなたの症状なんですが……これね、かなり大きいよ。ステージ4です、4」

 MRIの写真を指して説明する。

「腫瘍はほぼ良性だと思うけど、大きさが大きさだから手術しないとね。普通は耳がこうあって、聴神経が出ていて脳とくっついている」

 紙に図を描きながら説明を始める。外耳と脳を描いてその間に線を引く。ここに腫瘍ができている、とその線上に円を描く。

「だから、これを手術で取ります」

 神経の両端に、線をスッと二本走らせた。


「そうすると、聴神経はどうなるんですか? 左耳は聞こえなくなる?」

 私はおそるおそる質問する。

「左側はほとんど聞こえないんでしょう。もう取っちゃいなさいよ」

 医師はきっぱりと言いきった。


 ──私は病院を後にした。会計後に入院案内やその他必要な書類を貰ったが、ろくに見なかった。茫然としながら、元来た道を戻る。

 やっぱり手術しないといけないのか。

 私は電車の中でがっくりと項垂れた。しかも、あの先生だと聴覚はあきらめないといけない。頭蓋骨ずがいこつは開けなくていいらしいが、片耳が完全に聞こえなくなってしまう。嫌だ、そんなのは。聴覚を失いたくない。かと言って開頭手術もしたくない……!

 私はまだそんな事を考えて、踏ん切りをつけられずにいた。

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