第18話 元カノ

「上原奈々子です」


合コンの席で太一を見るなり、奈々子は太一だとすぐにわかったものの口をついて出たのは初対面の挨拶だった。奈々子が他人のふりで名前だけを名乗ったので、太一も奈々子に合わせる格好で、初対面のふりで頭を下げた。


「こいつ、大学のときの同級生。っても、こいつの方が2つ年上なんだけど」


 放っておくと和也は浪人だの留年だのといった話をしかねない。太一が気を悪くするだろうからと奈々子はすかさず


「背高いですね、何センチあるんですか?」


 と話題を変えた。とたんに真衣がくいついて、話は年から太一の身長へと反れていった。


「鈴木さん、仕事は何してるんですかぁ?」


 酔うと真衣は舌足らずなしゃべり方になる。ただでさえ垂れた目が酔うとますます目じりがさがって、かわいらしさが倍増する。


「広報、だけど……」


 知り合いの和也の手前、嘘はつけないと太一は白状した。出来れば言いたくはなかったと言わんばかりの小声だったが、真衣にはしっかりと聞こえていた。


「広報? 偶然! 奈々子も広報だよね、メルローズ社の」


 真衣は純粋に驚いて、奈々子の体を軽くゆすった。仕方なく、奈々子はうなずいてみせた。そっと太一の顔をうかがうと、太一はふいっと横をむいて不機嫌な様子だった。


「メルローズ社? こいつもメルローズ社だけど。あれ、もしかして2人とも、知り合い?」


 和也にそう言われ、2人は観念して顔を見合わせてうなずいた。


「なんだ、知り合いか。それならそうと言ってくれないと。合コンは新しい出会いを求める場所なんだから」


 知り合い同士話をしてもつまらないからと、和也は無理やり席替えを要求し、奈々子は和也のとなりに、太一は真衣のとなりへと移動させられてしまった。


「ねえ、もしかして鈴木と付き合ってたりする?」


 奈々子が移動してくるなり、和也は単刀直入、奈々子に尋ねた。


「まさか、ただの同僚です」

「ふうん、『ただの同僚』ねえ」


 意味ありげに和也は含み笑いを浮かべていた。


「奈々子ちゃんて、太一のタイプなんだよね。あいつ、小さい子が好みなんだよ、なあ、太一」

「はぁ?」


 話の前後がわかっていない太一は、不機嫌に聞き返した。


「お前の好み。小さい子が好きだよな。元カノも小さかったもんな。30センチぐらい差があったんじゃなかったっけか?」


 でこぼこしたカップルを思い出しておかしくなったのか、和也は笑ったが、太一は笑っていない。奈々子も笑えなかった。太一の元カノの話なんか聞きたくはなかった。


「村上さんのタイプは?」


 村上に狙いを定めている真衣がすかさず尋ねた。


「僕はねえ……」


 和也の理想の女性像とやらをえんえん聞かされながら、奈々子は太一の元カノに思いをめぐらしていた。


 美香のような背の高い美女ではなく、背の低い女性。美香には勝ち目がないから最初から勝負を挑まないが、小さかったという元カノには嫉妬した。


 小さいというけれど、どれくらいの背の高さだったんだろう。平均身長でも、太一と並ぶと小さくみえるから、奈々子より背が高かったかもしれない。低かったかもしれない。


 かわいい人だったんだろうか。その人のために、切れた電球を換えてやったりしたのだろうか。


 背の高さは違っても、太一と同じ世界を見ていた人がいるのだ……。


 


 「ちょっと失礼します」


 真衣が席を離れて数分後、奈々子のケータイが鳴った。真衣からのメールで、「集合」とあった。


 女子トイレは、合コンの戦略会議室だ。メイクを直し、ヘアスタイルを整えて、いざ戦う相手の見極めに入る。真衣のメイク直しはいつになく念入りだった。


「私、村上さんに決めた」


 奈々子が姿をみせるなり、真衣はそう宣告した。村上と親しげに話している奈々子への牽制のつもりらしい。


「ねえ、なんで鈴木さんと知り合いだって黙ってたの? 彼がお店に来た時にわかったんじゃないの?」


 真衣は女子トイレの鏡にむかって唇を尖らせていた。


「ごめん。合コンの場で同僚に出くわすってなんか気まずくて。向こうも他人のふりしてたから、こっちも合わせてつい……」


 奈々子は鏡の真衣にむかって手を合わせた。太一に会って気まずい思いをしたのは本当だが、他人のふりをしたのは奈々子が先で、合わせたのは太一の方だった。


「彼女さがしにやっきになっていると思われたって思ったのかもね」


 真衣の推測は、奈々子にこそ当てはまった。太一の顔を見てとっさに他人のふりをしたのは、彼氏さがしにやっきになっていると思われたという気になったからだった。


「ただの同僚? 付き合ってたりはしない?」


 鏡のむこうからの真衣の視線が痛かった。まだ嘘があると思われているらしい。


「ただの同僚」


 口にしてみると何だか無味乾燥な関係だった。太一とは同僚以上の何の関係もない。


「そうなの? お似合いだと思うけど」

「彼、たぶん彼女、いるわよ」

「いるんだ?」


 美香の姿を思い浮かべ、奈々子はうなずいてみせた。


「ふうん。村上さんの話だと、奈々子、鈴木さんのタイプらしいのにね」

「元カノの話で、今は好みが変わったんじゃない?」


 鏡にうつった自分の顔と、美香とを奈々子は較べていた。大人っぽい色香のただよう美香に対し、奈々子の顔にはどこか子どもっぽさが残っている。


 メイクの仕方を変えようかな ― そんなことを思いながら、奈々子は口紅を塗りなおした。

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