第5話 プロジェクト始動

渋谷のオフィスまで、電車を乗り継いで30分、始業時間の9時に間に合うように、奈々子は毎朝8時の電車に乗る。


 月曜の朝、いつもと同じホーム、いつもと同じ通勤客の顔ぶれの通勤客の見慣れた風景の中に、奈々子は太一の姿を探した。近所に住んでいるというのなら、太一もこの時間帯の電車に乗ろうとするはずだ。


 土曜日に近所のスーパーで太一にばったり出くわした時には、デニムにフリース、スニーカー姿だった奈々子だが、今朝はいつもより念入りにメイクをし、いつもはパンツスーツなのにこの日はスカートを選んで、5センチのパンプスを履いた。


(もっと早いか、遅い時間の電車なのかも)


 ホームにすべりこんできた電車のドアが開き、満員の車内に体を入れながらも、奈々子はホームに視線を泳がせ、頭ひとつ突き抜けた太一の姿をさがしてしまっていた。







「おはようございます!」

「おはよう」


 パーテーションの陰からあがった声の主は、広報部の先輩、鮎川美香だった。 


 奈々子が新人のころ、広報の仕事を一から教えてくれた人で、まだ30前だというのに部長の右腕のような存在だった。仕事には厳しいが、素顔は気さくな社交家で、社内外に顔が広かった。


 仕事ができるうえ、目のさめるような美人で、才色兼備という言葉は美香のためにあるようなものだ。すらりと背が高く、スタイルもよく、広報部の“顔”、ひいては会社の顔としてマスコミに登場している。


 席につくなり、奈々子はPCをたちあげた。朝一番の仕事は、メールのチェックからだ。週明けとあって、メールボックスにはメールがたまっていた。


 なかには、大学時代の悪友、大木真衣からのプライベートなメールもまじっていた。毎月2回、真衣が中心となって合コンを開催していて、奈々子も出会いを求めて出来るだけ参加してきたが、今週末に開催予定だというその合コンには、奈々子は何だか乗り気になれなかった。


 真衣に今回はパスという返事を出し、総務や人事からの社内連絡事項についてのメールを取り除いてしまうと、直接仕事に関係するメールはわずかに数通となった。うち1通は、ミーティングのインビテーションで、差出人は美香だった。


 メールを開いた奈々子は、出席の返事をする前に椅子を立ち上がり、美香のワークステーションに駆け寄った。


「いつ決まったんですか!?」

「私がプロジェクトの話を聞いたのは先週なの」

「先週? ずいぶん慌しいんですね」

「会社あげての大きなプロジェクトだから、上も情報管理には気をつかっているの」


 メールには、来春発売予定の香水に関する広報活動について、ミーティングをもつとあった。


 奈々子の勤める会社、メルローズは大手の化粧品会社だ。若い女性たちに人気のコスメブランドをいくつか展開しており、今度発売する香水は新たに立ち上げるブランドの目玉アイテムだった。


 香水の開発、プロデュースにあたったのは、会社の企画開発部ではなく、ハリウッドセレブのジェーン・パークスだった。


 ジェーンは23歳、ニューヨークを舞台とした6人の男女の恋と友情を描くTVシリーズでブレイクした女優で、彼女がドラマで着た服や身につけたアクセサリーはあっという間に流行し、同世代の女性たちはみな彼女のヘアやメイクを真似したがった。


 これまでに洋服やバッグのプロデュースを手がけてきたが、どれも爆発的な人気を誇っている。


 そのジェーンが、メルローズ社とタッグを組んで香水をプロデュースすることになった。


 会社としては最大限の宣伝を行いたい。効果的な宣伝には広報も含めて全社あげての戦略が必要だ。


 奈々子は、その香水の広報プロジェクトチームの一員に選ばれたのだ。チームリーダーは美香、他には広告・宣伝部や開発・企画部の人間が名を連ねていた。


「しばらく忙しくなるけど、よろしくね!」

「はい」


 奈々子の後頭部を、低い声がたたいた。いつの間にか、奈々子の後ろに太一が立っていた。


「こちらこそ、よろしくね、鈴木くん」

「え、何?」

「俺もプロジェクトのメンバーなんだけど」

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