浮雲草子 幻灯之段
しょしょ(´・ω・`)
第一話 華燭之典
「お侍様、お待たせ致しました」
うむと頷き、清史郎は笠の結び目に手を掛けた。
所望した品に目を遣る。
無骨な
――
「亭主、すまんが茶の代わりを頼む」
「へい、すぐにお持ちします」
早駆けの旅ではない。が、生来の
江戸の道場に季節ごとの稽古を付けた帰り路である。伴の者は久方ぶりの江戸観光に洒落込むというので、丁重に断りを入れ一足早く江戸を後にした。
茶の到着を待ちきれず、残りの団子に腕が伸びるのを堪える。いかんいかん。
先客の女がくすりと笑うのが見えた。
無意識に
「お侍様はお江戸のお帰りにございますか?」
透き通るような声だった。蝉の時期であれば掻き消えそうな、青い
「う、うむ。どうも拙者には性に合わなくてな。伴を置いての独り路である」
「うふふ。山から出やった事もない私には憧れのお江戸ですのに」
「どうにも我が
「あれま。面白いお方」
袖口で顔を覆う様に笑う女。艶やかな潤いを清涼な薄膜で包んだような声がした。遠雷とも、耳元の囁きとも取れる不思議な音色であった。
聞けばこの女、婚礼を控え遠く山向こうの稲荷大社へ、お詣りと遊山の帰りだという。伴の者と
侍は妻帯者、女は婚姻待ちで互いに固い身の上。さらに時間を持て余している。
初夏の爽やかな開放感も手伝い、
営んでいる道場の、濃密な男の世界に居る侍には非日常の体験であった。
また、女とっても山しか知らぬ生活にはよい刺激であっただろう。
江戸の話と言っても道場で稽古
「そうだ。伴の者にせめての土産と持たされたが、どうも妻には若すぎて不似合いだと思っておった。これなる
「まぁ綺麗! 本当に頂いても宜しいのですか?」
「構わぬ構わぬ。合いの手の礼じゃ。家内にはちと若すぎるし、
「ありがとうございますお侍様。生涯の宝に致しますわ」
昼前に出会った二人だったが、昼八つの鐘の音が鳴るまでまこと束の間に感じられた。
「お嬢様! ここに居られましたか!」
揃いの
「あら、もっと遅くともよかったのに」
「御無事でなによりでございます! 方々探しておりましたぞ!」
「此方の御仁は?」
「これは失礼
「この辺りは人も多く、間もなく江戸に野菜を売りに行った衆の帰りの頃。こちらのお侍様にお守り頂いてましたのよ」
「そ、それは失礼いたしました! さ、お嬢様、お館様もご心配しておられるでしょうお戻りの支度をなさいませ」
二人組に
慌ただしく動く亭主と二人組の取り巻きを余所に、悟られぬように見合う姿はいぢらしく、新緑の峠によく映えた。
「…様、……お侍様、お茶のお代わりお持ちしましたよ」
侍は目を覚ます。
「よくお眠りで御座いましたのでお声掛けするのを
「む、相済まぬ。勘定か? 女一行の分も付けてくれ」
きょとんとした顔で亭主が首を傾げる。
「女、で御座いますか? 失礼で御座いますが、お侍様は先程当茶屋にお着きになり、早々にお眠りになられたので……はて?」
「む、何を申しておるのだ? 先程まで一緒に居った女が……」
女の座っていた方に目を向けるが、其処には何処ぞの爺が座っていた。
「何が……。亭主! 今は何刻であるか!?」
「へ、へぇ。昼四つ過ぎで、間もなく午の刻かと……」
「なんと……」
慌てて袂を探る。女に渡した簪が入っていた所には葛と思しき葉が数枚。
「お侍様、ひどくお疲れの御様子。今一時お休みなさいませ」
信じられないといった様子で侍は首を
「お侍様、雨も降って参りましたしどうかお休みなさいませ」
亭主の言葉に茶屋から一足ほど出て、空を見る。初夏の晴天。陰り一つ無い日輪の奥から沸いて出るように、幾粒もの水が衣を濡らした。
「何とも面妖な……天気雨というものか」
侍が再び席に着くと、亭主が先程より熱めの茶を置きながらこう言った。
「お侍様、この辺りでは狐の嫁入りと申しますよ」
薄葉萌ゆ、武蔵の国の初夏のお話。
此度は是にて。
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