いずれ『国』となる
寺音
前編
この世にある国は全て、聖獣の背の上にある。
聖獣の卵に選ばれた者が卵を
ここ、ザルクールは
そう、言われている。
淡い光が
面白くもなさそうに鼻でため息をつくと、フェルミーナは稲穂色の短いくせっ毛をかき回す。同色の瞳をまばたきで見え隠れさせ、寝台の上から這うようにして下りた。壁に立てかけられた鏡には、皺だらけのワンピースを着た痩せぎすの少女が写っている。
「そう言えば、私今日で十四歳になったのね」
鏡の中で軽くほほえんだ顔は、少しだけ亡くなった母に似ていた。
「やーい! 見ろよ、変わり者が通るぞ」
「ほんとうだ! きっとあの気味の悪い爺さんのところへ行くんだ!」
「へぇ、変なやつ同士、気が合うんだろうな」
あからさまに悪意のある言葉が、フェルミーナの耳に飛び込んでくる。なんとでも言えば良い。近所の悪ガキに向かってフェルミーナは舌を出し、逃げるように駆け出した。
行く道には細かい
けれど、本当なのだろうか。誰もこれが巨大な蜥蜴の背中だなんて確かめたことはないのだ。皆、それが真実だと思っているだけで。
やがてフェルミーナは切り立った崖のようになっている国の端までやってきた。
この国は元々、中央に王の暮らす城と王都、周囲を囲む三つほどの町村でできた小さな国だ。国の端から端まで走ったとしても、きっと半日もあればたどり着くことができるだろう。ましてや、彼女が住んでいるのはザルクールの一番端にある村だ。のんびり歩いたとしても、一時間もかからない。
穏やかな風が彼女の前髪をかき分け、
「やっぱり、何も見えない……」
不満げな声を漏らしながら、フェルミーナは足下に視線を落とす。崖の縁には杭がうがたれ、ロープがたれ下がっていた。彼女は迷うことなくそれを掴み、崖下へと下りていく。
やがてたどり着いたのは、家が一軒入るかどうかという狭い台地だ。そこに胡座をかいて座っていた老人が、彼女を見て呆れたような声を上げた。
「なんだ、今日も来たのか、ミナ」
ミナと言うのはフェルミーナの愛称だ。もっとも、そう呼ぶのはこの老人くらいである。目深に被った帽子の隙間から、ギョロリとした目が覗く。身につけた枯れ草色の
「だって。ここにくれば国のまわりに何があるのか、分かりそうな気がするんだもの」
「お前さんくらいだろうな。国の外側が見てみたいなんて言う変わり者は」
老人はしゃくりあげるような声を上げて笑う。フェルミーナは口を少しだけ尖らせて、老人の隣に腰を下ろした。
その形状から、台地は聖獣の鼻の上とも言われている。正面から風を感じ、彼女は目を細めて片腕で顔を覆った。この場所はいつも強い風が吹いている。以前は長く伸ばしていた髪も、ここで巻きあげられるのがうっとうしくて短く切ってしまった。
「私よりもっと変わり者のおじいさんに言われたくないわ。村から出て、わざわざこんな場所に住んでいる人なんて他にいないじゃない。ここは風が強く吹くのに、どうやって寝泊まりしているの?」
「さぁてな。とにかく儂らは、変わり者同士ってことだな」
正面に向けた顔をそのままに、フェルミーナはそうだねと軽く相槌を打つ。国を背負った聖獣は、常にどこかを目指して移動しているのだと言う。時々別の国とすれ違うこともあるのだと言われているが、この乳白色の空が邪魔をして何も見えない。聖獣は一体どこへ向かっているのか。
「やはりミナは、この世界のことが知りたいのか?」
「むしろ、みんなが何故知りたいと思わないかが不思議だわ。だってそう言われているだけで、実際に聖獣を目にした人はいないんだもの」
フェルミーナは正面に目を凝らす。
「私はこの国しか知らないの。死んだ母さんもそうだったわ。一体、この国のまわりはどうなっているのかしら? このモヤモヤした空が続いているだけなの? それとも、この空を抜けた『先』があるの? あるとしたら、それはどんな光景なのかしら」
見たこともない、想像すらできないような世界が、この先に広がっているかもしれないのだ。想像するだけで、フェルミーナの瞳は宝石のように輝いた。自分の根底が揺らぐような底知れない恐怖も感じるが、それ以上にどうしようもなくワクワクする。心に羽が生えて、どこまでも飛んで行けそうだ。
実際はこの小さな国の上で、膝を抱えているだけなのが歯痒い。
「何も変わったものは見えないわね」
「まぁ、そう簡単に見えたら、誰かがもうとっくに真実を知ってしまっているさ。秘密を解く楽しみがまだ残っているとでも思えばいい」
そういう考えもあるだろうか。フェルミーナは嘆息すると、片手を地面について立ち上がる。
腰を浮かせた瞬間、地面が大きくぐらりと揺れた。悲鳴を上げて尻餅をつき、両目をギュッとつむって揺れが収まるのを待つ。数回グラグラと大きく縦と横に揺さぶられた後、やがて震動は止まった。
「また、地震?」
最近こうした揺れが頻繁に起こる。幸い、近所のおばさんが転んで少し擦りむいたくらいで、まだ大した被害は起きていない。移動する聖獣の上に造られた国だからか、今までもこうした揺れは時々起こっていた。しかし、揺れる回数や揺れている時間が、日に日に多く長くなっているような気がする。村人たちの間でも、何かの前触れではないかと心配する声も多い。
「やっぱり、何か起こるのかしら?」
「……そうだな」
老人はそのギョロリとした瞳を天に向けた。冷たい風が吹き、彼の長い白髪を揺らしていく。
「凶兆か吉兆か、案外人によるかもしれんな」
「え?」
意味深な言葉にフェルミーナは首を傾げる。老人はまた、しゃっくりのような音を立てて笑った。
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