第16話
「いつものあの薬です。ですが、弱めに作ってあります」
「弱め?」
執事はうなずいた。
夢と言われればそうかもと思えるほどの、現実と夢の境目を過ごす時間。
「ごゆっくり夢をごらんになってください」
「しかし」
「5日後には王島に戻られるのでしょう?そうしたらまず二度とお会いできないでしょう」
「私は海上島島主だ。王島に行くときは何度もある」
「彼女は渦巻人です。お話によれば、あちこちの島に行き知恵を絞り、島のために奔走しているとか。とても宮殿にかくまわれて過ごす方ではないかと」
「そう、そうだな。そんなビオラだから」
好きになったのだ。
他人のために時間を使う女だ。
「侍女から今日明日は大丈夫との連絡です」
「大丈夫とは?」
「妊娠しにくい体ということです」
ぶっ!とシシィはワインを吹き出した。
「大切なことですよ?」
「そ、そうだが。いやしかし」
「できてしまったらその時は正式に奥方としてお迎えなさればよいのです」
「ああ、うん」
煮え切らないシシィに執事はブチギレした。
「よろしいですか?好きなのに行動に移さないなど、海鳴りのすることですか?いつまでもうじうじされても、仕えている者は見てられません!」
ずいっと接近して執事は説教をした。
「することをしてから反省するなり気持ちをさっぱり切り替えるなりなさってください。このままビオラ様がいなくなって、魂が抜けたようになってはこまります」
「振られる前提なのだな」
シシィは苦笑いをした。
当たり前です、と胸を張って執事は答えた。
ふう、とため息をついてシシィは腹をくくった。
「夕食はいつも通りにいただこうか。その後はまかせる」
「かしこまりました」
「カイト様は学園の手続きに行かれたんですか?」
ビオラは驚いた。
王島に2日前から出かけているのだが、てっきり今回のすべての件のためかと思っていたからだ。
「ああ、この島の仕事が忙しくなってきたしな。学園は休学にしてもらった。2島が海に着水してからは、やる事が多くなってかなわん。手伝ってもらわないとな」
「そうですよね、着水した島の港を作って船を出したりしないといけないですものね」
そういってビオラはごちそうさまでしたと言った。
「港や船の建設すべてマーレ島主導じゃないとわからないことだらけですし。王島にその技術はないですもの」
「…」
「今度から、海上島という通称もなくなるでしょうし。職人呼んだり育てたり、色々と…」
あっけに取られたシシィや給仕の侍女や執事の顔が並んだ。
はっ!
またやってしまったかしら!
「え?ごめんなさい、また変なことを言いましたか?」
こういうところが俺の心をくすぐるんだ。
シシィはかすかに笑った。
ビオラは、皿を下げる侍女に、おかしい事言った?としきりに聞いている。
大丈夫と言われているのに、恥ずかしくて真っ赤になりながら、執事にも聞いている。
ああ、妻に欲しい。
中身が34才の女性というのは本当の事なのだな。
俺の横で色々共にこの島を考えてほしい。
一人では海上に落ちた島は広すぎる。
「…」
「シシィ様?」
「ん?」
「どこか具合でも悪いのですか?」
「ああ、色々あって疲れていてね。今日は早めに休むとするよ」
「そうですか。ごゆっくり休んでくださいね」
「ありがとう」
「ビオラ様には後ほど暖かいお茶を持っていきますね」
「はい、ありがとうございます。忙しい時間が終わってからで、ゆっくりでいいですから」
普通の貴族の女性なら、熱々をすぐ持ってこい!というところだろうに。
シシィはゆっくりと立ち上がった。
「後は任せた」
ビオラも含め一同頭を下げる。
シシィがいなくなってから、侍女に言われてしまった。
「ビオラ様は頭を下げる必要はないんですよ?」
「でも、この館のあるじはシシィ様ですもの」
あなた様もあるじになるかもしれませんよー!と本当は叫びたい侍女たち。
それをぐっとこらえて、侍女たちは黙々と片づけをした。
執事は驚いていた。
渦巻人とは聞いていた。
島の仕事や未来の姿をわかっておられるとは!
シシィ様!
おきばりください!
ビオラ様を逃してはなりません!
島主夫人として、わたくし仕えとうございます!
ふう。とビオラはため息をついた。
片づけが大変だからとお茶が入ったカップだけを残して下がってもらった。
今日は月がきれいだからと、侍女がカーテンを開けてくれる。
せっかくなので、部屋を暗くしてお茶を楽しむ。
月の明かりに照らされて、ビオラはソファでまどろんでいた。
その姿は、月の精霊のように青白く気高く見えた。
「っ!」
(何かあればベルをお鳴らしください)
水などをのせたワゴンを置き、侍女はそっと部屋を出た。
汚してはいけない気がする。
そう思ったシシィは起きるようにわざと声をかけた。
「風邪をひく」
「ん…」
ベッドに運ぼうとビオラの手を自分の肩にかけた時、月の明かりにはっきりとビオラの顔が見えた。
15才の体に34才の心。
複雑な人生を送っているな。
「なぜ…」
顔にかかった髪の毛を直しながらつぶやいた。
「なぜ俺を選ばずにルークなんだ?」
わかりきっていることを聞かずにはいられなかった。
「…ん?」
うっすらとビオラは目を開けた。
薬が効いているのだろう、ぼんやりとしている。
ゆっくりと、床にビオラを横たえた。
テラスから月の明かりがまぶしいくらいに差し込む。
「シシィさま?」
「うん。会いたくて君の夢の中にきた」
手にキスをしながらシシィは静かに話した。
ビオラは半分ウトウトしながら、答える。
「うふふ。幸せな夢ですね」
シシィの心臓がドクンと打った。
「幸せ?」
「ええ、いつも辛そうなシシィさまが優しく微笑んでいるから。幸せなのかなって」
ビオラの手が優しくシシィの顔をなでた。
目をつむったままだ。
「いつでもシシィさまには幸せでいてほしいわ」
「そんなに俺は辛そうか?」
「つらいのに、つらくないって言うからみんな心配しているんですよ」
「辛いとは言えないな」
「たまに口にすれば良いのに」
「島主はそうはいかん」
「そうね。上に立つ人はそうかも。弱音を吐くのは悪い事じゃないのにね」
ウトウトしていてもやはり34才の人生経験がものを言ってしまう。
シシィは腕枕にしてビオラの髪をなでた。
「弱音を聞いてくれるか?」
「だから私じゃないってば」
ぼんやりしながらもそこは否定する。
「いや、もうアルテミスは昔の話なんだ」
「あなたの足が昔じゃないといっているわ」
そう言って、シシィの太ももに触れた。
「っ!」
「私は心が狭いからきっと足を見るたび嫉妬するわ」
「今の俺は見てくれないのか」
「ああ。もう都合のよい話ね。やっぱり夢ね」
「ということは期待してもいいのか。さっきの港も船もビオラとなら乗り越えていけそうだから。一緒に考えてほしいんだ」
シシィは抱きしめた。
ビオラはうっすらと月を見ていた。
「本当に私にとって都合の良い話。夢ってこういう感じなのね」
「この海上島は広すぎる。俺だけでは収められない。隣にいてくれ」
「お仕事ならいつでもお手伝いしますよ」
薄く笑う。
シシィはビオラをつぶさないように上になる。
月明かりにビオラの顔と綺麗な髪が広がっていた。
丁寧に髪をなでる。
「俺を嫌いなのか?」
「大好きよ。優しくて、包み込んでくれて。男らしくて。だけど」
「だけど?」
シシィの顔に手を当てる。
でも目を閉じていて見ていない。
「私が釣り合わないわ」
「そんなことはない」
「だって私はつらい貴方に、わざと優しくしているの」
「わざとか?そうは思えん」
「そうよ。そうして」
ゆっくり目を開けた。
「優しいあなたにつけこんで、振り回している悪い女なのよ」
シシィと目を合わせる。
何かが、かしゃんと開く音がした。
心臓がドクンとまた波打った。
もう我慢しない。
シシィはビオラの唇をふさいだ。
途中目を開けると少し苦し気なビオラの顔が月明かりに照らされた。
体の中を何かがうごめいているような、ぞくっとした快感を得る。
もはや、止まらなかった。
ビオラの服を脱がしていく。
汚れのない白く柔らかい体が目の前に現れた。
シシィも服を全部脱いだ。
褐色の鍛え上げられた男の身体だ。
もう一度キスをしながら、耳元でささやいた。
「もっと俺を振り回せ。もっと俺につけこめ」
「シシィさま…」
「お前の罪悪感なんて今夜俺が吹っ飛ばしてやる」
「だめ…」
「もうやめない。諦めろ」
ああ。とビオラの甘い声が響いた。
ビオラは天井に映る月明かりを眺めていた。
これは夢なのか現実なのか。
シシィの熱を感じている。
抱きしめられる腕の強さも、肌に触れる熱い吐息も。
そして痛みも。
優しい目がビオラを絡めとる。
目をそらせない。
「シシィ…」
「うん」
ビオラからキスをする。
深く答えるシシィ。
「…なんで出会ってしまったのかしら…」
「それ以上言うな」
シシィに唇をふさがれる。
涙がビオラの頬を伝う。
そっと大きな手でふいた。
腕を回した広い背中。
少し汗ばんでいる。
「夢だ、ビオラ」
「ん…」
そう、お互いに気づいていても。
「俺を振り回している夢だ」
「ごめんなさい、振り回して」
「ふふっ。この状況でお前が謝るか。かわいいな」
体中がギシギシきしむ。
自分ではない体の熱を触る。
「うっ…」
「夢なのかしら?この熱さも」
「そうだ。朝には何事もなかったかのようになる。夢だから」
「シシィ…」
そう、俺だけが辛い現実に置いて行かれる。
お前は王島に戻って、渦巻人の仕事をしていつかルークと結婚する。
何事もなかったかのように。
くそう!
お前の魂に俺を刻み込んでおいてやる。
たまに思い出すといい!
熱さも強さも痛みも快感も。
そして、俺の魂にもお前の爪あとを残してくれ。
消えないほどの深さで。
俺は忘れない。
血が流れ続けるほどの傷をつけてくれ。
その痛みと傷を抱えてこれから辛い現実を生きていくから。
その後は何度も夢の頂点に昇っていった。
「痛み止めも兼ねていますから、今日は一日きちんと起きることはないかと思います」
「そうか」
朝になり、ビオラを寝室に寝かせ身なりを整えさせた。
先ほど、まだ半分眠っているビオラにまたお茶を飲ませた。
「よろしいのですか?」
「何が?」
「ビオラ様は、覚えていらっしゃらないかと」
「夢だと思うだろうな。それでいい。お前たちにも苦労かけるが、黙っていてほしい」
「でもそれでは、シシィ様のお気持ちはどうなさるのですか?」
「…後は頼んだ」
「どうして、どうして」
ビオラ付きの侍女は泣いていた。
――お互い好きなのに、どうして一緒になれないのか。
「仕方ないでしょう。難しいのですよ」
執事が鼻水を拭くハンカチを渡す。
裏方の集まるテーブルで、毎朝朝礼をするのだが、今日は大洪水だった。
「お前たちも泣くなら、今日だけにしてください。旦那様の御給仕は今日は私がしますから」
他の侍女たちもわんわん泣いていた。
泣きすぎて思考が壊れたのか、お子様が生まれればいい!というものまで出てきた。
「それ以上は言わないこと。旦那様が一番つらいはずです」
シシィは今日一日は書斎で過ごすといって、こもりっきりだ。
はい…と言いながら、一日が過ぎていった。
「おはようございます。ごめんなさい、昨日全然覚えていなくて」
ビオラは、次の日侍女に謝った。
「とんでもないことです。昨日はビオラ様は熱を出されていて、あまり覚えていないですよね?」
「うーん、だからかな。体が重たくって」
どきっとした。
寝汗をかかれているから、全部変えますねとシーツも寝間着もさっさと片づけた。
「マーガレットさん、ありがとうございます」
にこやかに感謝の言葉を述べるビオラに、侍女は涙が出た。
「わっ!変なこと言いましたか?」
いいえいいえとしきりと首を振り、部屋を出ていった。
ビオラは、黙って見ていた。
「おかえりなさい。どうでした?王島は?」
カイトが王島から夜半に帰ってきた。
朝になり、ビオラを含め、執事たちが出迎える。
「…」
「どうしました?」
「いや、出迎えてもらえるって嬉しいものだなと思って」
「執事さんたちに感謝ですね」
ビオラは、自分のこととは思わずに笑顔で答えた。
その場にいた全員、あなたのことです!と心の中でつぶやいていた。
「おかえりカイト」
「父上、昨夜戻りました」
「おはようございます、シシィ様」
「おはよう、ビオラ」
いいお天気で良かった、と笑顔でカイトと共に歩いていく彼女を優しい目で見ていた。
「シシィ様、朝食ができたそうですよ。行きましょう」
ああと返事をして、シシィは空を見た。
あの出来事を知っている月は、今は隠れている。
独りであの月明かりは、まぶしすぎるんだ。
だから。
そのまま隠れていろ。
もう夜を照らしてくれるな。
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