第14話

「つまり、昔、会ったことがあるのですね?魔王に」

モーガンが驚いてシシィに聞く。

黙ってうなずいた。

「一部の人間だけが知っている話ですね。私は当時魔法学園にいたので知っていましたが」

「ヘンリー様が学園に?」

ルークは不思議な感じがした。

兄貴と同じくらいだったか?

「いや、教師としていましたから」

「なるほど。てっきり兄貴の足はサメにやられたと思ってた」

「親父には言わなかったが、わかっていただろうな。部下が死んでいるから」

この席にチャパティ長官はいなかった。

こんな恐ろしいところにいられるかと言って、先に帰ってしまったのだ。

「取りつかれるとは。聞いたことがない。魔法省でもない話だ」

「ビオラの準備とは?やはり渦巻人であるからこそなんだろうな」

モーガンも首を振った。

今までの渦巻人で取りつかれた話もない。

「魔王が何をさせようとしているのか、わからないと手の打ちようがありませんね」

「モーガン様」

ああ、とモーガンの部下が入ってきた。

耳打ちをして部屋を出る。

「どうしました?」

「ビオラ嬢をしばらくこちらで預かっていただけないでしょうか」

「ビオラを?」

「今回の事を魔法鏡で緊急に知らせたところ、陛下がしばらくこちらで預かってほしいとのことでした」

「魔王に取りつかれたままではこまるというところでしょうね。抜けきっているのかを陛下はお知りになりたいんでしょう」

ヘンリーがやれやれと答えた。

「いや、こちらはかまわない。確かにあの様子では疲れているようだし。お預かりいたしましょう」

「今ビオラは?」

「眠っております。先ほど侍女から知らせがありました」

「そうですか。では、我々は後片付けを少しして、明日朝立つことにいたします」

「わかりました」

モーガンとシシィは今後の打ち合わせをしていた。

ヘンリーがルークに耳打ちする。

「ボタニカル島には連絡を入れておく。お前は後2日ここにいるといい」

「よろしいのですか?」

「ビオラがあんな状態ではお前も心配だろう?側についていなさい」

「ありがとうございます」

ルークは頭を下げた。


翌日、城の門でヘンリー達を見送った。

「ビオラ、これを」

ヘンリーは自分がはめていた指輪を渡した。

「サイズがぶかぶかかもしれないけど、人差し指にでもはめてくれ。お守りだから」

「ありがとうございます。すみません、お役に立てなくて」

「っ!」

ヘンリーはビオラを抱きしめた。

「そんなことない。君には助けられっぱなしだ。陛下の命だから、マーレ島でゆっくりしてから帰るといい」

離したヘンリーの方が辛そうにしていた。

ビオラは再度ヘンリーを抱きしめた。

「ありがとうございます。ヘンリー様も帰島されたら、ゆっくり休んでくださいね」

「君は…」

いつでも人の事優先なんだな。

「先に帰って待っているよ」

モーガンと残っていた竜騎士と共に、先に王島へ帰島した。


夕食時、ルークやカイトも加わりまたにぎやかな食卓になっていた。

ルークの小さいころの話、カイトがそっくりだった事、竜騎士を始めてみた時。

色々な話が出てくる。

「その時、頭の上を飛んで行ったんだよ、竜騎士が。物凄い音を立てて」

ルークが手で飛んでいくしぐさをした。

表情は少年のようだ。

「カイと同じことを言ってるわ」

「へえ、そうだったのか」

初日に忍び込んで見つかったこと、泣かせてしまったことを正直に話した。

「それトトから聞いたよ。手首を折ったって?」

「ええっ!」

シシィとカイトはびっくりした。

食後のお茶を注いでいた侍女も声を上げる。

子供の手首を折る?!

「えーと。だって、カイったら私の髪の毛を掴んでこう言ったのよ。動くなこの女がどうなってもいいのかって」

「うわあ。カイ…」

「だからナイフを持った手を掴んで…誰も助けないわよ、だって動くなって言ったんだからって」

「…」

「そしたら泣いちゃった」

「当たり前だ。お前、あんな子供に」

「だって、ナイフ突きつけられてみてよ。そうするでしょ?」

う、うん…

その場にいた全員が静かにうなずいた。

自分でまいた種とはよく言ったものだ。

「行儀よくなったみたいよ?」

にこにこしながら、ビオラは語った。

「凄い教育だな」


翌日朝も皆でテラスで食事を取り、和やかな一日が始まった。

ダイヤ島の片付けもひと段落しているからだ。

「兄貴、夕方にボタニカル島に戻るわ」

「おお、そうか。何だかドタバタした内に帰るな」

「まあな。四つ羽の炎の竜も探さないといけないし。ビオラを置いていくことだけが不満だ」

「陛下に言われているからな。先ほども使者がきていたし。大切に預からせていただく」

「心配だ」

「今朝、食事の時に話していた、島が着水する時の津波についてももっと聞きたいしな。彼女と話していると面白い。さすがは渦巻人だ。的確な反応が返ってくるな」

「話をするのはいいけど、必要以上に接近するなよ」

「親愛のキスくらいはよかろう?」

挨拶の手にするキスのことだ。

「それくらいにはいいけど、他はダメだぞ。俺すらしてないんだから」

「何だ、あんなにビオラに執着しているのに口づけ一つもしていないのか」

「はあ?俺は騎士だ。彼女に永遠の忠誠を誓っている。彼女もそれを受けてくれた!」

「忠誠だろ?愛じゃない」

さらっとシシィは答えた。

「同じだよ!手を出すなよ、兄貴!」

「それは、答えられないな」

「何だって?」

持っていた本をルークの胸にちょんちょんとつついていく。

「考えてもみろ。俺は島主、お前は一介の竜騎士。どちらが渦巻人を保護するのに適していると思う?」

「っ…」

「この城にいれば、警備は万全だ。お前は竜騎士としての務めがある。その間どうするんだ?誰が彼女を守る?」

「…」

「幸いカイトの母であった妻と死別して以来、妻を持っていない。国王に正式に願い出れば、無事妻になるだろう」

「兄貴!」

「初めてビオラに会った時、彼女は俺を見つめていた。きっとお前に似ていると思っていたんだろう。なに、お前が年を取ったら俺のようになると思えば、平気だろう?」

「!」

ルークは、シシィの胸倉を掴んで書棚に押し付けていた。

バチバチと視線がはじき合う。

書棚から物が落ちて激しい音がしたので、侍女と執事が駆け込んできた。

「何をしておいでですか!ルーク様」

「おやめください」

引きはがされて、部屋を追い出されてしまった。

そして、その日の午後、ビオラの部屋に鍵をかけられてしまい、食事の時も出てこられなくなった。

事実上の軟禁である。

「ビオラ?」

ドア越しにルークが話しかけてきた。

ズルズルと座り込む。

音でわかったビオラも扉越しに座った。

戸が一枚あるだけなのにとても遠い。

でも、暖かく感じられた。

「ボタニカル島に戻らないといけないんだ」

「あ!そうね、お仕事があるものね…」

「ああ。君をこのまま置いていくなんてとてもできない」

ふふっとビオラは笑った。

「うん?」

「聞いたわ。ボタニカル島も高度が下がっているんですって?」

「ああ、モーガン様が教えたのか」

「このまま全部の島が落ちちゃうかもね」

「そうなったらいいな。マーレ島にも来やすくなるし」

「あらいやだ、ずっとこのままにしておくの?」

「違う違う、そういう意味じゃない。すぐにここから出すよ」

あー、えっととルークは言葉に詰まっていた。

「冗談よ。でも本当に…」

一番最初の疑問点にビオラはたどり着いた。

「どうした?」

「ねえ、なんで島は浮いているの?確かお話があったわよね?」

「ああ、兄と妹の神様の話?」


「お前たちは何の話をしているんだ!?」

呆れたシシィが、廊下で話すルークに声をかけた。

「まったく」

シシィがやっとカギを開けた。

西日がまぶしく、部屋の中が金色に染まる。

「カーテンを閉めればいいのに」

「いいえ、昔から夕陽のこの色が大好きなんです」

やっとテラスの鍵も開けてもらえた。


んー、と伸びをして、そのまま手を空に向けた。

指の間から見える金色の雲。遠くに見える薄い青空。

金色のテラスで、空に向かって手を伸ばすビオラを見て、ルークは急に悲しくなった。

彼女は渦巻人だ。

何かの使命を持っている。まさか。


お前はいつか俺たちのために死ぬんじゃないだろうな?


それは、シシィも同じことを考えていた。


俺たちのために命をかけたりするな。

お前は人の事よりも自分の事を考えろ。


そして、ビオラも二人が何を思っているのか手に取るようにわかった。


「大丈夫。無駄死にだけはしませんよ」


夕日を浴びながら、振り返って答えた。



「暗くなる前に戻るよ。平気か?」

「大丈夫よ。ヘンリー様が指輪をくれたし。お守りですって」

「俺があげたのは?」

「こっちにしています」

右手薬指にはめた指輪。

街を散策したときに見つけて購入したものだ。

最初左手にしようかと思ったら、店主にそれは教会で正式の時だと言われてやめたのだ。

「心配しないで。またすぐに会えるわ、きっと」

「必ず」

ルークはそっと抱きしめた。

そして、ボタニカル島に戻った。



数日後、ビオラは、王島の様子を知りたいと思い、魔法鏡を所望した。

「誰と話すんだ?」

いぶかしげにシシィが聞く。

「ああ、教皇様です。回復魔法師をつけていただいたお礼とその後の魔石の状況を知りたくて。もしよろしければご一緒に挨拶でもいたしますか?」

「教会か」

「ええ、国王に鏡越しは失礼ですし魔法省とは話をしたくないですし」

後半は若干怒りがこもっていた。

「わかった、用意しよう」

「ありがとうございます」

一番知りたいことを知っていそうな人物。

それが教皇様だ。

「お久しぶりです。教皇様」

「おお、シシィ殿。久しいの。遊びに来てくだされ。忙しいかの?」

「ええ、まあ、今回の件で少しやる事が増えましたね」

「ほっほっほっ。暇で退屈で死にそうなくらいよりはましじゃあ。わしの弟子が迷惑をかけているそうだの?」

「ビオラのことですか?全然迷惑ではないですよ。むしろ大歓迎です」

「ほうほう、それは良かった。どれその迷惑な弟子はどうした?」

「その呼びかけはやめていただけますか?」

少し機嫌をそこねてビオラは鏡の前に座った。

「では終わったころに取りに来る」

「ありがとうございます」

ぱたんと扉が閉まってから、ビオラは鏡に向き直った。

「まあ、聞かれておるだろうな」

「内緒な事など、話しませんよ。教皇様、ジュン様をありがとうございました。物凄く助かりました」

「おお、そうか。もう戻ってきたようだが、挨拶もそうそうに魔法省に閉じ込められているようだの」

「そうなんですか?」

「こってり絞られているんじゃろう。話はそれではあるまい?」

ええ、といって調べてほしいことを述べた。


最初の神話の信憑性しんぴょうせい

島が落ちてきている理由。

魔王の存在。


「取りつかれたらしいな」

「魔石をあまりにも触りすぎたからでしょうか?でもそれなら魔法省の人間の方が」

「やはり渦巻人ということが一番かかわってくるじゃろうな」

「過去の渦巻人は魔王とかかわってのでしょうか?」

「さあな。国会図書館なら資料があるはずじゃ。調べておくぞ」

「ありがとうございます。それと」

「シシィ様の足が魔王と関係しているようなのですが、何かご存じですか?」

「誰がそんなことを?」

「魔王本人が。その足はまだ痛むのかと」

私の口から出たらしいが、覚えていない。

ふうやれやれと、教皇様は帽子を取って額をなでた。

「まあ、有名といえば有名な話だな。シシィ殿も若いころは王島の学園に通っていた」

「14から18才まで、すべての人間ですよね?」

「そう。その中で、シシィ殿は魔法が使えたので、魔法学園の方に在籍しておった」

「知らなかった。魔法を使ったところを見たことがないです」

「シシィ殿は風と水の珍しい2つの属性を持つ貴族じゃ。その学園の同い年にアルテミスという女性がいた」

「アルテミス様?」

「そうじゃ、聖女候補と言われていた女性じゃ。教会にも通っていた」

その方が、シシィ様の恋人?

「卒業したら結婚の約束をしておったそうじゃ」

「お話はなくなってしまった?」

「中央貴族の娘だぞい。ただでさえ、海上島は蔑視されておる」

「では、他の方に嫁がれたのですか?」

「ああ、中央貴族にな。そしたら、病気にかかって死んでしまった」

シシィ様!

ビオラは、目をつぶった。


『どうしてもその時魔石が欲しかったんだ』

『足と部下をなくした』


「そういう事ですか。彼女を治すために。そして間に合わなかった。だから、魔石が手に入っても足を直さなかった」

部下を巻き込んで死なせてしまった、自分の罪を忘れないように。

永遠の贖罪しょくざいの証として。

「そして私をアルテミス様の身代わりとして見始めている…」

「まあ、そうじゃろうな。軽く軟禁状態のようじゃしな。お前さんと年も近い。親近感がわくのじゃろう」

「はあ、こまりましたね。そんな辛い過去があったら、同情してしまいます」

「どうする?わしが出張ってもよいぞ」

鏡越しでもわかるくらいに教皇様は、ワクワクしていた。

このじじい。

人が軟禁されているというのに。

「教皇様が出られては大事おおごとになります」

「おお、若干怒っておるの?まあ、すまんな。若い者の恋の話しは楽しいのじゃ」

「切りますよ?」

「ああ、嘘じゃ、嘘。わしが助け船を出しておいてやる。それまでは海上島を楽しめ」

「ありがとうございます。信用してよいのですね?」

「冷たいの。まあ、大丈夫じゃ。一番欲しいものの鍵をわしが握っとる。安心せい」

「そうですか。では、王島に戻りましたら、教皇様がお好きなものを差し上げますよ」

「ほう?何かな?」

「きっとお好きなはずです。お楽しみに」

「ほうほう。期待して待っとるぞい。ではな」

「はあい」


色々シシィ様の謎が解けた。

お気の毒な人だ。

年齢からして、カイト様の母親である奥様と結婚する前の話ね。

その後は、島主として魔王島に近い島の人間としてやるべきことがたくさんある。

逃げたくもなる。

休みたくもなる。

弱音を吐きたくとも吐けない立場。

『良かったらずっとここにいても良いんだぞ』

今朝言われた言葉だ。

本当は、ここにいて欲しい、だろうな。

手助けをしてあげたいと思う。

本来の年齢は近い…5才差か。

確かに話をしていて、わかりあえるところもある。

打てば響く、という感覚に近い。

言葉の選び方、考え方、さすが20年近く島主を務めているだけのことはある。

話していて楽しいし、勉強にもなる。

責任のある立場の特有の悩みと日々緊張を強いられる精神。

わかりますよ、そういう上司をたくさん見てきましたからね。

まあ、見た目は私の好みだし、島の仕事は楽しそうだし、生活には困らないし。

…ん?

「ってちょっと待てぃ、自分!」

何、流されてるのよ!

落ち着け!

大体、ルークはどうするのよ。



コンコンとノックの音にびっくりした。

「はい」

「お話はお済でしょうか。鏡を回収いたします」

「ああ、ごめんなさい。どうぞ」

そっと鏡を持ってドアに近寄る。

ゆっくりと扉が開いた。

「教皇様とお話は済んだかな?」

「ええ。これありがとうございました。便利ですね」

シシィは側にいた侍女に鏡を渡し、ワゴンを引き寄せた。

「お茶とお菓子をいかがかなと思ってね」

「いいですね。お茶をいれましょう」

ビオラがそのままワゴンを押して、ソファまで持ってきた。

シシィはゆっくりとお茶をいれる手順を見ていた。

「何かおかしいところがあります?」

「え?いや?なぜだ?」

「だって、ずっとお茶を入れているところを見ているんですもの。こっちは間違っているのかと緊張します。見つめないでくださいな」

「ああ、いや。すまん」

照れくさそうに素直に謝るシシィを見て、ビオラはくすっと笑った。

こういう時は素直なんですね。

「冷めないうちにいただきましょう」

貴族の邸宅にのみ陶磁器はあった。

生産が間に合わないので、かなりの高級だ。

王妃様のお茶会も陶磁器だった。

一般人はお皿まで木製である。


シシィはこうして女性と対面でお茶を飲むのはいつぶりだろうかと考えていた。

そもそも、女性と会わないし。

ああ、カイトの母であったあの女以来か。

あの女は嫌いだった。

俺をはめて結婚した女。

カイトを産んだのは良い事だったが、それ以外はまるでダメな女だった。

大体、見下している相手となぜ結婚したのかがわからない。

見下すくらいなら一緒にならなければいいのに。

病にかかって亡くなった後、あの女の実家から散々言われた。

中央貴族は嫌いだ。体面の事しか考えていない。

思い出してシシィは腹が立ってきた。

「シシィ様?渋すぎました?」

「!!」

がしゃっ!とシシィがカップを倒した。

大変大変と、ビオラがクロスでテーブルや、シシィの手を拭いた。

「熱くないですか?シシィ様?」

ぼんやりしているシシィをビオラは不思議そうに見つめていた。

「ビオラ…」

シシィは、膝をついているビオラをそっと抱きしめた。

違う、ここにいるのはビオラだ。あの女じゃない。

どうしたんだろう?今日のシシィ様はおかしい。

ぺたっとおでこに手を当てた。

「…別に具合が悪いわけじゃないぞ」

「何だか元気がないですからね。熱でもあるかと」

ひゃっと思わず声を出してしまった。

シシィの膝の上に抱っこされたのだ。

顔が近い。見られない。

顔を真っ赤にして、ビオラは手で顔を隠した。

「ビオラの方が熱がありそうだな」

そっとシシィが言った。

だ、大丈夫ですと小声で答えるのが精いっぱいだ。

床に座ってソファを背もたれにしてシシィはビオラを膝の上に乗せていた。

「…」

それでも黙ってどこか遠くを見ているシシィに、ビオラは先ほどの話を思い出した。

少し、座る位置をずらした。

ん?と不思議がる彼に、義足の足が痛いかなと思ってとビオラが答える。

「カイトの母親だった女は、私の片足を嫌がっていた。ダンスも踊ったことがない」

ふっと自嘲気味に遠い目をして話し出した。

「じゃあ、今度ダンスを踊りますか?私はダンス上手じゃないですけど」

「そなたが妻だったなら。こんな風に気遣いをしてくれる人だったら違ったんだろうな」

「シシィ様…」

「ビオラ。私の側にいてほしい」

「それは…」

ぐぃっと顔を向けられる。

鼻が付くほどの近さ。

目をそらせない。

力強く、そして優しい暖かな目。

深い海の色の瞳。

「渦巻人だからじゃない。つらい時にすぐそばにいたいと思うからだ。逆に私のつらい時に側にいてほしい」

ほとんど、告白ね。

こんな近いのに、この人は本当に真面目で優しい。

それに。

やっぱり気になる…

「それは私の役目ではありません」

優しい瞳が初めて揺らいだ。

「貴方はとても優しい人です。こんな状態になっても無理に妻にしようとしない。他の男性なら強引に妻にするところです」

「なるほど」

シシィはビオラの唇を奪った。

「んんっ」

そのまま床にゆっくりと押し倒す。

ビオラは懸命にシシィを押し返そうとするが、さすがに男性の力にはかなわない。

「褐色の海鳴りもなめられたものだ」

耳元で低くささやく。

色気のある声にビオラは、全身がぞくっとした。

「では無理に妻にしようか」

「!!」

目を合わせたビオラは泣いていた。

おっ、とシシィがひるんだ時にビオラは叫んだ。

「私はアルテミスではないわ!」

「っ!」

どん!とシシィを突き飛ばした。

服を直しながら向かい合うソファにビオラは逃げた。

「教皇様か。アルテミスの話をしたのは」

ソファにもたれながらまいったな、とつぶやいた。

「何で泣く?怖かったか。すまない」

向かいのソファに座ってそっぽを向きながらぽろぽろ涙をこぼしていた。

隣に座って、後ろからそっと抱きしめた。

ビオラの髪に顔をうずめて、すまん、ともう一度謝った。

「教皇様からアルテミス様の話を聞いたとき、複雑でした。ああ、私は身代わりなんだわって」

ぎゅうと抱きしめてすまんとまたつぶやいた。

「私はどこへ行っても本物になれないっ」

ああ、そうかすまない。俺はそんなつもりじゃなかったのに。

「なり替わり、身代わり、そればかり!」

ビオラはシシィの腕をはらった。

泣きながら叫ぶ。

「この世界では私は偽物なんです!」

「違う、すまん、そんなつもりじゃなかった」

「出て行って!」

ドアを背中越しにシシィは閉めて、その場に座り込んだ。

「最低だな、俺は」



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