『魔法』は実在すると科学的に解明されて一世紀。


 かつておとぎ話の中の存在であった『魔法』は『錬力れんりき』と名前を変え、いまや日常の一部に溶け込んでいる。


「ぶぁーっはっはっはっ!!」


 ただし『実在すると科学的に証明された』とは言っても、それは『魔法のような超常的な力を扱える人間が実際にいるのだと科学的に実証された』『その力を扱える体質である人間を科学的に識別できるようになった』という方向性での解明であって、錬力の全てが解明されたわけではない。


「んで? 定期考査の問題と解答を盗み出すのに失敗して? 現行犯逮捕されて夜通し説教? さらにそのまま廊下で正座させられて、ミカン箱でテスト受けさせられたわけ? 首からそんな看板かけられて?」


 結局、錬力というものは、どこまで行っても生まれ持った資質に100%依存している『魔法のような代物』止まりだ。


 つまり、有り大抵に、誤解を恐れず、さらに言い方を考えずに言ってしまえば、錬力とは『選ばれし者だけが使える力』である。


 そういう力には大抵『ゆえに力を持つ者は、持たざる者のため、世のため人のために役立つように力を振るわなければならない』という押し付けがましい責務がついて回るものだ。


 つまりそういう感じで、煌司コウジ達がいる世界は回っている。


「イインチョ、俺の段ボールはリンゴが入ってたやつよ?」

「はぁーっ!! クッソウケるぅ〜!!」


 そんな戯言ざれごとを脳内で転がしながら、煌司は小さく鼻を鳴らした。目の前にいるクラスメイトと煌司の隣に並んで正座した相棒は、煌司のささやかな反応には気付かず、まだやいのやいのとじゃれ合っている。


 ──いい加減うるっせぇんだよ、お前ら……


 さらに溜め息を追加してみたが、二人が気付く気配はやはりない。『これで本当に国に将来を嘱望されている人間達なのかよ』という皮肉が胸中に浮かんだが、それは煌司も同じことだから口にはしないでそっと飲み下した。


 そう、こんな風に馬鹿騒ぎをしている自分達は、これでも『国から将来を嘱望されいる国家レベルの才人』なのだ。はた迷惑極まりないことに。


 ──ほんっと、勝手な話だよな。


 そんな現状に、煌司の唇からまた細く、先程とは少しおもむきが異なる溜め息が漏れた。


 錬力というものは、まだ定義がなされて一世紀程度の新しい力だ。未知の領域は往々にして法の整備が追いつかず、使い手も研究者も無法者が蔓延はびこるのが世の常なのだろう。


 そんな世界を取り仕切るために、ひとまずこの国は省庁として錬力庁を、研究基点として錬力学研究所を、犯罪取締役として錬力犯罪対策室を、教育機関として五華いつはな学園を設立した。


 ここは国立五華学園高等学部。


 錬力使いの卵達……将来、錬力分野で国を支えることになる若人わこうど達に、秩序と倫理と技術を叩き込むために設立された、この国最高峰クラスの特殊教育機関だ。


 ──まぁ、は望んで来たわけじゃなくて、ここにいることを国から強制されてる立場にあるわけだが。


「……いつまで笑ってんだよ、イインチョ」


 そこまで思考が至った煌司は、目の前で品なく笑い続けるクラスメイトをギロッと睨み上げた。


 とはいえ、今の煌司は廊下の端に廉史レンジと並んで正座させられ、さらに首から『私は夜の職員室に忍び込み、テストの問題用紙と模範解答を盗み出そうとして捕まりました』と書かれた看板を掛けた状態だ。どれだけ凄んでみせようともサマになっていないことは、自分でもよく分かっている。


 それを裏付けるかのように、クラスメイトは煌司に視線を落とすと『ブフッ』とまたオヤジ臭く笑った。とどまることを知らない笑いの嵐に、煌司の声がまた一段調子を下げる。


「バレることはねぇんじゃなかったのかよ、イインチョ」

「防犯システムを一時的にダウンさせた、私のハッキングはねぇ!」


 昨夜の共犯者であった学級委員長バカ仲間は、ふたつに結った長い三つ編みを揺らし、メガネを反射させながらニヤリと笑った。


「ただ、あんた達は普段から行動をマークされてるから。多分、だいぶ前からやらかすって目ぇつけられてたのよ」

「はぁっ!?」


 その『寝耳に水』もいいところな言葉に、煌司と廉史は揃って素っ頓狂な声を上げる。


「聞いてねぇぞ、イインチョ!」

「俺らが依頼出した時、そんなこと教えてくんなかったじゃん!」

「情報提供とハッキングは別件扱いになるからねぇ! それはそれ、これはこれ。ご愁傷サマァ〜!」


 思わず段ボール箱に手をついて身を乗り出した瞬間、ずっと正座させられていた足が言うことを聞かずに態勢が崩れた。思わず『うぉっ!?』と悲鳴を上げると、委員長はさらに『アヒャヒャヒャヒャヒャッ!』とけたたましい笑い声を上げる。


「んじゃね! おバカなお二人さん。次はもっと賢い依頼をお待ちしてるわぁっ!」


 そのまま委員長は教室の中へ戻っていった。ヒラリと肩越しに手を振ってくる後ろ姿を恨めしく睨みつけてみても、様になっていないし、締まらないものは締まらない。


 結局煌司は、無情に閉められた扉を睨みつけて低く声を上げることしかできなった。


「クッソ……! 裏切りやがったなあンのクソアマ……!!」

「なぁシラぁ、ひっそり足崩していっかなぁ〜。俺、もう、足の感触なさすぎて虚無の境地なんだけど」


 歯ぎしりをする煌司の隣から、廉史の実にお気楽な声が上がる。


 その声に思わず最後まで残っていた力までもが抜けてしまった煌司は、段ボールの上にガックリ突っ伏すと気だるく答えた。


「虚無ならむしろそのままでいんじゃね?」

「てか俺ら、いつまでここに正座してりゃいいのかねぇ? もう朝からかれこれ5時間近くこのままじゃね? 俺ら」


 委員長が姿を消すと、廊下は途端に静かになった。


 教室の中から心地良いざわめきは伝わってくるが、廊下に人影はない。教室の入口ドアと相対する形で正座させられている煌司と廉史がいるばかりだ。


「どーするよ? テストは終わったし、いっそバックレるか?」

「ちなみにどうだった? テストのデキ」

「思ってたよりもできたわ」

「あっはぁ〜! 実は俺もぉ!」


 今度は態勢を崩さないように気をつけながら、煌司はそろりと足を伸ばした。見張りがいないのをいいことに、首から下げていた看板を外し、段ボールも横にどかして足を伸ばす。


 何気なく隣を見やれば、同じように足を伸ばした廉史が『はぁ〜』と深く安堵の息をついていた。


 差し込む日差しにサラリと揺れる琥珀色の髪。煌司にとっては親の顔より見慣れた腐れ縁の顔は、世間一般で言うと『甘く整った』と形容されるものであるらしい。対する煌司は天パぎみの黒髪に、いつでも凄んでいるように見える目つきの悪い顔がくっついている。


 同じ深紫色の制服を同じように崩して着ているのに、煌司がやると『チンピラ』、廉史がやると『オシャレ』と形容されるのは毎度のことながら理不尽ではないだろうか。


 ──廉史に言わせりゃ『カックイー! so Coolそぉくー !!』だったか。


 そんな嘘か本当か分からない言葉を思い出したら、また小さく溜め息がこぼれた。


 そのどこか気が抜けたまま心境のまま、煌司は相棒に言葉を投げる。


「あの程度なら、わざわざ忍び込むまでもなかったな」

「あ? やっぱり? コッテリ絞られるわ、睡眠時間は削られるわ、いいことなかったよなぁ〜!」

「いやお前、村井むらいに怒鳴られてる間もフッツーに寝てただろ」


 この五華学園は、錬力使い達を育成する国内最高峰の教育機関だ。卒業生は将来、その才を活かして錬力を扱う主要国家機関の精鋭となることが期待されているし、学園と卒業生達によるパイプも太い。


 若き錬力使い達にとってこの学園は憧れの的で、五華学園に籍を置けるというのはそれだけで相当なほまれだ。入試は毎年信じられない倍率が叩き出されるし、そもそも本人が望んでみたところで、その他条件が揃わなければ受験資格さえ与えられずに門前払いが常である。


 ──だからこそ、イイ子ちゃんが多いんだよな、このガッコ。


 死物狂いで入学した場所だ。さらに言えば、ただ入るだけよりも、在籍し続けることの方が難しい。


 そんな場所で、あえて問題行動を起こして立場を悪くしようとする馬鹿などそうそういない。『試験問題と模範解答を盗み出すために深夜の職員室に侵入する』などという、最悪一発退学を喰らうような行動を思いついて実行するような大馬鹿者はもっといない。


 白浜しらはま煌司と黒浜くろはま廉史、『災禍のバスティ・仁王デーヴァ』とあだ名される、問題児二人組を除けば。


「え? マジで? 無自覚だったわ」

「お前、目覚し爆音で鳴ってても起きねぇ時は起きねぇもんな」

「シラ、マジで毎日起こしてくれてありがと。俺、シラと同居してなかったら毎日寝坊してたと思う」


 煌司と廉史は、誰もが熱望してやまないこの場所に居続けることを、実に珍しい存在だ。


 ──ま、正確に言やぁ、強いられてるのはレンの方なんだがな。


 そんなことを思いながらチラリと隣に視線を投げれば、随分前に国から人生のレールを固定されてしまった当人は『くぁっ』と実にお気楽ご気楽にあくびをかましている。


 そんな相棒の姿に、煌司は小さく嘆息した。


「目覚ましの意味がねぇなら、あの爆音目覚まし使うのやめねぇか? 隣近所からそのうち訴えられんぞ、あれ」

「だよなぁー、シラが起こしてくれんなら、特に必要ねぇし」


 頭の中にチラリと浮かんだ考え事を押しやった煌司は、代わりに常々考えていたことを口にする。その言葉に廉史は煌司の気だるさが伝播でんぱしたかのように同じテンションで答えた。


 さらにとんでもない言葉が後ろに続く。


「てか俺ら、いつになったら退学させてもらえんのかね? さすがに今回は倫理的にアウトっしょ」

「案外気ぃ長ェよな、このガッコ」


 繰り返しになるが、煌司と廉史は、国の方から『五華学園この場所にいろ』と勝手に決められてしまった身の上だ。より正確に言えば、先に廉史の歩く道が強制決定されてしまい、その同乗者として煌司が指名された。


 五華学園初等部に強制入学させられたことから始まった二人の道は、中等部、高等部への進学と続き、さらにはこのまま五華学園大学部への進学に続いている。そこで道が終わるのかと問われれば、もちろんそうではない。むしろそこからが本番で、卒業後の二人には『錬力犯罪対策室の捜査官になる』という道が既に


 ──全てはレンが持つ特殊錬力ゆえ。……っつっても、面白くねぇもんは面白くねぇのよ。


【国に召し上げられるのは、錬力使いとして最上の誉】

【未来の錬対捜査官たる者、常に清廉にして皆の模範たれ】


 世間一般ではそう言われているらしいが、二人に言わせれば『そんなこと知ったことか、押し付けてくんな』の二言に尽きる。


 ──『清廉であれ』とか強いてくるなら、まずはテメェらが俺らにうやまわれるような存在になってみろってんだ。


 結局、廉史と二人、色々と理不尽に揉まれて行き着いた結論がこれだった。


 というわけで、人生現在17年目、不本意ながら高校2年生をやっている二人の目下の目標は『目指せ退学!』である。


 しかしこれが中々に難しかった。


 ──思い付いた当初は、ここまで学園側が辛抱強いと思ってなかったんだよなぁ……


 国のお言葉通り『弱者を守る』ために積極的に周辺校の不良どもからケンカを買ってブチのめし、周辺一帯の不良抗争を一掃してやった。清く正しく正規ルートで購入したバイクを廉史と二人乗りニケツで乗り回し、学校をサボって遊び回ってもいる。


 それでも毎回こうしてこっぴどく叱られるばかりで、二人が切望する退学処分は中々降ってこない。


 ──んだよ。なーにやったら愛想尽かしてくれんだよ、このガッコはよ。


「シラぁ、俺腹減ったー! 帰りにどっか寄ってかね? 今の時間ならまだメシ屋どこもやってるっしょ」


 煌司は胸の内で鬱々と考え込む。


 その鬱々が苛々イライラに変わる直前、廉史の呑気な声が煌司の思考をかっ攫う。『おん?』と意識がそちらに向いた瞬間、まるではかったかのように煌司の腹の虫が『くぅ』と鳴いた。


「確かに、腹減ったなぁ……。俺ら、思えば朝飯抜きだったし」

「こないださ、実地パフォームの帰りに旨そうなラーメン屋あったじゃん? あそこ行ってみたくない?」

「おー……ちょっと距離あんな。アシがねぇと……って」


 煌司の反応を脈アリと見たのか、目を輝かせた廉史がズイッと身を乗り出す。そこで煌司はハタと我に返った。


 そういえば、結構重要なことを思い出した。


「俺の単車、無事なのか?」

「あー、すぐに逃げられるように鍵もエンジンもつけっぱで、校舎裏に駐めてたよな」


 そもそもこの五華学園ではバイク通学は禁止されているし、寮で相部屋暮らしをしている煌司と廉史には徒歩通学しか認められていない。


 その時点ですでにバイク……しかも本来ならば卒業以降にしか転がせない大型バイクの存在はアウトだから、煌司の愛車は普段、寮の裏手の目立たない場所にひっそりと駐められている。


 一応法に触れていないのは、『黒浜廉史の相棒であり護衛官』という肩書きを煌司が持っていて、様々な面で特例を許されているからだ。大型二輪免許も、大型バイクの所有も、タンデム乗車も、一応法の下に正式に許可されているものである。


 ──ま、国は俺らに好き勝手させるために許可したわけじゃなくて、現場で俺らを便利に使うために許可してるわけなんだが。


 とにかく普段の二人が学校を抜け出す時は、一度寮まで戻ってバイクを引っ張り出してくるのが常だ。だが昨日は事が事だっただけに、すぐにトンズラできるように近場にバイクを引き出してあった。


 あれだけ現場を張られていたのだ。十中八九バイクは見つかっているだろうし、逃亡防止を兼ねて接収されているはずである。昼飯にありつきたかったら、まずはバイクアシを取り戻さなければならない。


「お。じゃあさっそく職員室乗り込む? 先公絞め上げて、鍵と単車の、聞き出しちゃう?」


 煌司が何も口にしなくても、廉史には表情と纏う空気の変化で煌司の考えなど筒抜けなのだろう。顔を輝かせた廉史がさらにズズイッと身を乗り出す。


「旨いラーメンのためなら俺、暴れるのもやぶさかじゃねぇよ?」

「んなのいいわけあるかボケェッ!!」


 だが残念ながら、以心伝心の相棒に煌司が答える暇は与えられなかった。


 煌司が口を開くよりも早く、爆発音と錯覚するような怒声が間近で炸裂する。足音と気配から声の主の接近に気付いていた二人は、音の直撃を受ける前にサッと両手で耳を塞ぐと、声がもたらす衝撃波を耳で受けなくていいように体の角度を調整した。


「テメェら自分達が何やらかしたのか自覚あんのかっ!? なぁに呑気にくっちゃべってやがんだっ!!」


 耳を塞いだまま、二人揃ってチラリと視線を上げる。


 その先にいたのは、一目見ただけで『体育教師兼生徒指導(担当顧問:柔道部)』という肩書きが分かりそうなガタイのいい中年男性教諭だった。


 ノシノシと二人の前まで歩みを進めてきた担任教師……昨晩の職員室で邂逅してから今朝まで説教を続けた村井は、足を止めて腕を組むとフンッと荒い鼻息を吐く。その勢いだけで、また周辺一帯の窓がビリビリと震えた。


「んげっ」

「ち、チーッス、村井せんせっ!」


 世話になりたくないのに毎度毎度世話を受け持ちにくる大人先公の登場に、煌司は分かりやすく顔をしかめ、廉史は引きった愛想笑いを浮かべる。


 そんな二人に、村井はキッと眉を吊り上げると再び怒声を上げた。


「白浜ァッ!! テメェ俺の顔見た瞬間顔しかめんなっ!! 黒浜ァッ!! テメェはもっと神妙にしやがれっ!!」

「ングッ!」

「耳破裂するって村井ちゃんっ!!」

「村井ちゃん呼ぶなっ!! 俺は大人で先生だぞっ!!」 


 ──良識ある大人は学校中の窓ガラスを割りそうな勢いでシャウトしたりしねぇっ!!


 煌司は両耳を押さえる手と噛み締めた奥歯に力を込めながら内心だけで絶叫した。前者は己の耳を守るため、後者はこれ以上音の暴力にさらされることを防ぐための防衛手段だ。恐らく今回も、この村井の怒声でどこかの窓ガラスが何枚か割れている。


「まぁいい。俺がここでどれだけやいのやいの言おうが、お前らには痛くもかゆくもねぇんだろうからよ」


 そんな二人の仕草で、さすがに村井も自分自身が周囲に迷惑をかけていると思い至ったのだろう。村井の声が『普通に大きい』と言えるレベルにまで絞られる。


「テメェらに招集がかかった」


 その上で、村井はニヤリと人が悪そうに笑った。とてもじゃないが、教師が浮かべていい笑みではない。


「招集主がお待ちだ。一緒に来てもらうぞ『災禍のバスティ・仁王デーヴァ』」


 ──まさか退学処分よりも前に、俺らを売り飛ばす算段を立てたとか、そういう話じゃねぇよな?


 いつもとは違う反応に、煌司は思わず両耳を押さえたまま廉史を見やる。


 視線の先ではまったく同じ反応をしている廉史が、煌司と同じような表情で煌司のことを見つめていた。

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