夢本屋と絶対禁止領域

はじめアキラ

<1・夢見ル本屋。>

 その日僕は、少々気落ちして家に帰るところだった。理由は単純明快、買いたいと思った漫画が売り切れていたからだ。


――まさか、カナノヤで欠品って……マジかあ。


 一カ月も前から、発売を楽しみにしていたのである。小学校の友達とも話題に上っていた。というのも、僕達が応援している“スイルの狩人”は、週刊誌に連載している作品にも関わらず休載が多く、一年に一度くらいしかコミックスが出ないからである。

 その代わり、単行本化される時はいろいろとオマケの描き下ろしがあり、雑誌で先行して物語を読んでいた読者も充分楽しめる仕様となっているのだ。ゆえに、友達と話を合わせる意味でも絶対発売日当日に手に入れておきたかったというのに。学校が始まる前には本屋が空いていないし、学校に漫画を持ってくると叱られるので――最速のチャンスは、放課後だったというわけなのだが。


――いくら人気だからって!ないよこんなの、楽しみにしてたのに!!


 まさか、大手チェーンの本屋であるカナノヤ(一番学校に近い本屋だったのである)で売り切れているなんて、一体誰が想像できただろうか。しかも、本屋さんによれば他の支店でも売り切れが続出しており、次に購入できるのがいつになるのかまったくわからないとのこと。ああ、友達と遊ぶのさえ断って本屋に走ったのに、まさかこんなことになるなんて。

 どうせ買えないなら、大好きなドッジボールの誘いを断らなければ良かった、と思う。時すでに遅しだけれど。


――一応他の本屋さんも、探してみようかな。別の本屋さんならあるかもしれないし。


 とぼとぼと歩きつつ、いつもよりわかりやすく遠回りをして帰った。一番大手であるカナノヤで欠品しているなら、町の小さな本屋で残っているとは考えにくいが、まだ“ひょっとして”という期待が拭えない。遅くなりすぎると親に叱られるので、ほどのほどの時間近隣の本屋を探したら家に帰ろう、と僕は思った。

 といっても、帰り道に通る駅前の商店街に本屋はあと二軒しかなく、どちらも昔からある極めて小さな本屋しかないのだけれど。


「ん?」


 アーケード街に入ったところで、僕はふと一軒の店に目を止めることになる。

 商店街のすみっこ。大きな駄菓子屋とコンビニに挟まれたそこに、小さな小さな本屋があった。ボロボロの軒先には、“夢本屋”と書かれている。


「こんなところに本屋さん、あったっけ?」


 この場所に来ることは珍しくない。友達と遊んだ帰りに寄ることもあるし、そもそも学校の行き帰りでも通る道である。古くからある商店街であるため、時々お店が潰れたり逆に新しく増えたりなんてことも珍しくない。ただ、その場合はまず潰れた時に自分も気づくし、新しく出来る前の準備段階で新店舗の存在に気づくのだ。友人とも、あの空テナントに出来るのは喫茶店かな、とか。マックができたらいいよな、とか。そんなクイズじみたことをするから尚更である。

 だからこそ、意外だった。そして不気味だった。これでも僕は記憶力には自信がある方だ。学校の成績だって悪くない(面倒くさいので中学受験をする気は微塵もなかったが)。それなのに、夢本屋、の看板にはまったく覚えがなかったのである。多分、この本屋があった場所には別の店が入っていたはずだ。少なくとも隣の駄菓子屋とコンビニにはしょっちゅうお世話になっているのだから。

 それなのに、この本屋を見たことがないばかりか、この本屋の前に入っていたであろう店のこともまったく思い出せない。自分に限って、こんなことがあるだろうか。まるでおばけが作った店が、突然そこに出現したかのような不自然さだった。


――なんか面白そーじゃね?


 ついつい、興味を魅かれてしまう。元より本屋なら、自分が欲しい漫画も売っているかもしれない。胸を躍らせつつ、僕は入口の自動ドアを潜った。紫色の看板はボロっちいのに、入口はちゃんと自動ドアなのはどういうことなのやら。

 そして、外見に反して中はかなり綺麗な本屋だった。敷地が狭いので当然棚数も多くなく、即座に目当ての漫画はなさそうだと察する結果になったが。


「んんん?」


 しかし、この時は漫画が見つからないガッカリ感より、驚きが勝っていた。

 僕は棚に近づいて、まじまじと見る。どれもこれも、見たことのない出版社、見たことのない本ばかりなのである。


――ゼノファー出版って何?ユメノクニ文庫に、セッタブックス……何だろこれ。零細企業のばっかり置いてるとか?


 小学生だと侮るなかれ、僕は漫画以外の本もそれなりに読む方だ。まあ、ラノベやキャラ文芸が精々だが、それでも有名どころの出版社はひとしきり知っているという自負があったのである。にも拘らず、その本屋に置いてある本のレーベルにはどれもこれも一切見覚えがない。

 試しに一冊手に取ってみた。今時の本屋に珍しく、どれも透明カバーがかかっていない。立ち読みするつもりではないけれど、と己に言い訳しつつパラパラとページを捲ってみる。


――んんんんん?何これ?


 違和感。その一冊を戻して、さらに別の一冊。パラパラ。間違いない。


――どれもこれも、絵しかない。本なのに、文章が全然ない……。


 さっきの本は、西洋風のごっつい甲冑を着た騎士が、ドラゴンを退治しようとする物語であったらしい。今度のは先ほどよりもアニメっぽい絵柄で、小さな子猫が家を脱走して町内を冒険する話であったようだ。絵だけでもそれくらいは予想がつく。どちらも背景が細かく描かれており、キャラクターの表情がとてもイキイキとしたものであったのだから。

 挿絵のレベルは、高い。しかし、挿絵だけで文章が一切ない本というのはあるのだろうか。音声で聞く本というのも世の中にはあるとは聞くが、何かボタンを押すと音が流れる仕組みがあるようでもなかったし、仮にそうだとしても大抵の本は文字も一緒に記載することだろう。点字とか、あるいは別の国の言語が書かれている様子もない。

 文字があるのは、表紙と背表紙だけだった。前者は“カオスの騎士”。後者は“まるまるねこ、チェミーの冒険”と書かれている。


「お客さん、この本屋は初めてかい?」

「!?」


 ぎょっとして振り返った。どうして気づかなかったのだろう――カウンターで、店主と思しき老人がにこにこしながらこちらを見つめていることに。


「ほう、驚いてる驚いている。やっぱり初めてなんだね、夢本屋は。まあ、この町には来たばかりだからねえ、うちの店は。見慣れないレーベルばっかり、文字のない本ばっかり、何も知らなければみんな驚くってなもんだ」

「ど、どういうこと?」


 思わず“まるまるねこ、チェミーの冒険”を手に持ったままカウンターに近づいた。おじいさんはにこにこと笑いながら、この本ね、と告げた。


「このまま君が、その本を万引きして家に持って帰ったら……ただの、絵が描いてあるだけの本。でも、ちゃんと購入してくれて、その際に私が魔法をかけたらね。魔法の本に早変わりするのさ」

「ま、魔法の本って?」

「言っただろう、“夢本屋”だって。この本屋にある本はね……買った人がその世界に飛び込むことができる不思議な本なんだよ。つまり、本の世界を夢で見ることができるのさ。まるで自分が体験しているようにね」

「え!?」


 なんとも眉唾な話である。思わず手に持っているそれをくるくると回した。数ページ程度しかない、文字が一切ない、かなり固い表紙と紙でできた本。ちょっとだけ普通の本より重い気がするが、違いといえばその程度である。

 これが、夢で世界を体験できる、魔法の本だなんて。正直そんなこと現実にあるの?としか思えないが。


「まあ、疑わしいのも無理ない。よし、今回は初回特典だ、君が今持っている本を無料で差し上げよう。……ちょっとこちらに渡して御覧」

「う、うん」


 半信半疑、というより半分以上疑っている僕だったが。それでも店主には妙な凄みがあり、説得力がある。言われるがまま本を手渡すと、彼はその上でくるくると手を動かして言ったのだ。


「創造と終焉の魔女の名の元に、汝を夢へと誘わん。……君、名前は?」

「け、剣崎大空けんざきおおぞら

「大空君ね。……かの者は剣崎大空。仲介人の権限により転移の許可を与える。……は!」


 その刹那。おじいさんの手元で、本の表紙がキラキラと光った。僕は口をあんぐりと開けるしかない。表紙が輝いたのみならず、おじいさんの手元を離れて本が浮かび上がったのだから。


「さあ、本を手に取って」


 言われるがまま僕は手を伸ばす。すると、まるで僕を御主人様に選んだように、本がふよふよと浮かびながら僕のところまで移動してきたのである。そして、僕の手にすっぽりと収まった。同時に、キラキラしていた表紙が元通りになる。


「使い方は簡単。寝る前にその本を持って、“お願いします、今から本を開きます”と言って、本を布団に入れて寝るだけ。すると君は、その本の世界をいつでも夢で見ることができるだろう。普通に目覚まし時計とかが鳴って体が目覚めても起きることはできるけど……物語の途中でも好きな時に目覚めることができるよ。夢の世界で両手を合わせて“お願いします、今から本を閉じます”と言えばいい」


 魔法なんて、アニメやマンガの世界にしかないと思っていた。

 夢を見られる本屋なんて、楽しそうだけれどきっと嘘っぱちだろうと思っていた。――ついさっきまでは。


「じゃあ、いってらっしゃい。良い夢の旅をね」

「は、はい。ありがとう……!」


 魔法は、現実にあったのだ。おじいさんの力を実際に見てしまった以上、否定する理由はない。

 漫画が買えなくて落ち込んでいた気持ちはもう吹き飛んでいた。僕は既に、今夜寝る時間になるのが待ち遠しくなっていたのである。

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