第43話 終息
愛河裕子は上下スウェットを着せられ、所轄の車で連行された。古川は別便ですでに署へ送られている。
また、素っ裸でころがっていた四人の乙女たちは、病院へ搬送されるあいだは目覚めなかったものの、薬服用後およそ三時間ほど経ったころにそれぞれ目覚めたとのこと。真嶋史織だけは、服用した薬量が少なかったのか、愛河裕子が連行されるすこし前に目を覚ましていた。
彼女はパニック状態だった。
なぜって、そばには全裸で横たわる少女たち。付き添う三橋の右半身は、裕子のからだに塗りたくられていた血で真っ赤に染まっており、一見すれば大惨事。そのとき岩渕が恭太郎に付き添われて戻ってこなければ、絶叫していたことだろう。
なにより自身も着衣がなかった。
三橋の善意でゴールドのピアノカバーこそ掛けられていたものの、目覚めた史織に安堵したあまり岩渕が抱擁するものだから、もう大変。大事をとるため救急搬送されるまで終始顔をまっ赤にしていた。ちなみに唯一のけが人となった岩渕は、史織の付き添いとしてついでに救急車に乗っていったという。
愛河邸には次々に鑑識班が臨場した。被害者は搬送され、残ったのは四人の刑事とあの三人のみ。
沢井はたいそう草臥れた顔で空を見上げ、
「将臣」
と煙草の煙を吐き出した。
「はい」
「それからその女吸血鬼はどうなった」
「監獄にいれられてから、ですか」
「ああ、当然苦しんだんだろうな」
「さあ──四年後、闇のなかで死んだそうですよ」
は、と沢井が顔をしかめる。
「たった四年かよ」
「でも死体を外に出してみたら、五十四歳のはずなのに手や顔のシワ、髪、皮膚のシミが、まるで八十を過ぎたようになっていたとか。──これが、エリザベート・バートリーが起こした事件の全貌です」
「…………」
「死刑、かなあ」
なんの感慨もなさそうな言い方である。
が、その顔は若干愁いを帯びているようにも見えた。沢井はふん、と鼻を鳴らす。
「どのみちあれじゃあ、責任能力は問われるんじゃねえか」
「そうですか。…………」
旦那に愛されていたなら。
娘が生きていたなら。
自身のピアノに誇りがあったなら。
恋を──せなんだら。
無意味なたらればを夢想して、胸中にあいた穴を埋めようと考える。しょせん無駄なことだ。将臣はふるりと首を振った。おなじことを考えていたのだろう、沢井もおなじく首を横に振っていた。
それで、と。
半身血濡れのまま、三橋が首をポキリと鳴らした。
「けっきょく佐々木茜の遺体についていた痣と、あの指紋はなんだったんでしょう」
「…………」
三橋が、森谷を見る。
森谷が、三國を見る。
三國が、沢井を。
沢井が、将臣を。
将臣が、恭太郎を見て。
恭太郎が、一花を見た。
「エ? あぁ」
一花はきょとんとして、いっしゅん花壇を見ると、ふたたび三橋に視線をもどした。
「吊り照明に……古川さんがしっかり乗せすぎちゃって、照明を動かすくらいじゃ落ちそうになかったから、麻里ちゃんヨイショって引っ張ったら、ああなったって」
「…………」
「お母さんのこと止めてほしかったんだって。麻里ちゃんがいなかったら、あの遺体とうぶん見つからなかったかもねエ」
といって、一花はからからわらった。
「聞かなきゃよかった」
「まったくでィ」
三橋と三國はげんなりした顔で、それぞれ運転席へ乗車する。
さてと、と沢井は三人に向き直った。
「まったくたまげたガキどもだよ、てめえらは」
「ほんまやで。またいろいろ世話になってもうた。送っていきたいんはやまやまやけど、ちょっと仕事がてんこもりやさかい、お迎えでも呼んで帰ってな」
「この借りは三倍返しでかまわないぞ!」
「じゃあおれは食べ放題三回分」
「えーじゃああたし三億円」
「あかん。ほんまかわいくないコイツら」
「はーあ。ジャケットもダメになっちまうし、散々だった」
と、上機嫌にぼやいた沢井はくるりと踵を返し、それぞれのバディの車に乗り込み、走り去った。
ぽつねんと残された三人。
恭太郎は大きく伸びをして空を見た。
「なあ将臣」
「ん?」
「処女の血って、ほんとうに若返るものかな」
「……さあ。でもやっぱり、錯覚だったのだとおもうよ。目は時に心情につられていらぬものを見せるものだから」
「そうか。そうだよなあ」
「おなかすいたから恭ちゃんちでご飯食べよう。爺や呼ぼう」
「この袈裟、なんか血なまぐさいなぁ……洗って落ちるかな」
「もうとうぶん血は勘弁だな!」
「ねえ! 爺や! 呼んで! おなか! すいた!」
「「うるさいッ」」
日はすっかり傾いて、空は毒々しい朱色に染まる。
こうして連続殺人及び死体遺棄事件は、静かに終結した。
※
翌週の月曜日。
講義を終えて帰宅するところだった三人の前に、岩渕と史織が肩を並べてあらわれた。どうやらふたりとも入院することにはならなかったらしい。三人のすがたを見るや史織は駆け寄って、一花に抱き着いた。
「イッカちゃん!」
「わお。どしたのオ、しいちゃん。元気そうでよかった!」
「あのあと、きちんとお礼が言えないままお別れしちゃったから。どうしても顔を見て言いたくって」
と、史織は恥ずかしそうにわらった。
つづいて歩み寄ってきた岩渕は、恭太郎と将臣に対して深々と頭を下げる。まだ傷口はふさがっていないだろうに、痛がるそぶりは露も見せない。
「その節は本当にいろいろとお世話になりました」
「こちらこそ、なんだかいろんなことお願いしてしまって。肩の傷はだいじょうぶですか」
「自分は頑丈だけが取り柄ですから」
「イワさんは漢だなア!」
「藤宮さん──やせ我慢の声は聞かないでください」
「うははははははッ」
恭太郎はすっかり上機嫌だ。
しかし岩渕もまた、いままで岩のようにこわばっていた表情がわずかだが柔和になった。彼は彼なりに、愛河邸に出入りしていた十五年間に思うところもあったのかもしれぬ。が、いまさらそれを聞き出す必要もない。
将臣はぐっと背伸びをした。
「はあ。しかし、おふたりもとんだ災難でしたね。そうだ真嶋さん。チャンネル運営はどうされるんですか」
「そうですね──かなり主軸を担っていらした古川さんが逮捕されてしまいましたから、チャンネル活動はしばらくお休みします。このあいだのコンサートの仕切り直しをしたらチャンネルを消すことも検討しないと」
「それは……残念だなあ」
「消すことないじゃん。しいちゃんがわるいことしてたわけじゃないんだしさア」
「でも」
といって史織はうつむく。
「でもピアノはやめないんだろ」
恭太郎が問うた。
ハッと顔をあげて、史織は頬をほころばせる。
「も、もちろんです。ピアノを──憎んだ時期もあったけれど、でもやっぱりだいすきだから」
「それならいい。アンタの音がつづくなら、チャンネル活動なんざどっちだって」
「……ありがとう。藤宮さん」
けっきょくあれから、母の由紀子は向井伸二を解雇し、結婚も取りやめたのだそうである。娘の感情を優先したのかと史織が聞いたところ、母は首を横にふって「幻想から目が覚めたのよ」とだけ言ったとか。
母とのわだかまりは、一朝一夕でとっぱらえるものではない。が、それでも史織は自分から歩み寄ることを決めたらしい。
あの人も孤独だったんですよね、と史織は苦笑した。
「父から『赦してあげて』って言われたし……なんとか折り合いつけてみます。でもきっと、喧嘩なんかしたらまたひどいこと言っちゃうんだろうな」
「それでいいんじゃないですか。世の親子はもっと早くに、目も当てられないほどひどいことを言って、反省して、家族になっていくものなんだとおもいます」
「まあ。浅利さんもひどいこと言ったことあるんですか?」
「おれは残念ながらないんです。思春期ってことばを後ろ盾に、一回くらい言っとくんだったなあ」
「無理だろ。おまえのとこの母親は厭味も通じないし、父親なんか厭味をふっかける隙もないんだから」
「うん……まあ、とにかく。親子だってぶつかるものです。がんばって」
と、将臣はめずらしくあいまいに会話を締めた。
しかしその心意気はじゅうぶん受け取ったようで、史織はふたたび深く頭を下げた。
対する岩渕も、大のお得意であった愛河邸での仕事がなくなったことにはかなりダメージを受けているようで、口は開かずとも伏せる目はせつない。案の定声を聞いたか、恭太郎が首をかしげた。
「そのピアノはどうするんだ?」
「え。あ、愛河先生のところのですか」
「だってイワさん、ずいぶん寂しそうだから」
「……調律師の見習いとして師匠に連れられて、初めて携わった仕事だったんです。この十五年間、あのピアノからいろんなことを学んだ。もう調律できなくなるのかとおもうとやはり、すこし寂しいかもしれません」
「♪────────♪」
ふいに一花が口ずさむ。
史織がハッと顔をあげた。彼女の記憶に、この旋律はない。しかしふしぎと胸の奥からこみあげるものがあった。思いがけず熱くなった目頭に、史織はとまどう。
一花はそのまま、旋律の先を鼻歌で歌いあげた。
────。
──。
♪────────♪
聴取室に流れるラジカセの曲。
室内には、席を立って曲に耳をかたむける森谷がひとり。つい先ほど、五時間に及ぶ愛河裕子への聴取が終わったところであった。
課内のテレビでは、巷でさわがれていた吸血鬼事件の犯人が逮捕されたと速報が流れている。事件内容があまりに凄惨ゆえ報道規制が敷かれたため、内容は犯人の名前と顔写真、被害者の名前のみというあっさりしたものである。
♪────────♪
旋律はつづいている。
曲が進むにつれ、初めの旋律にあるもの悲しい雰囲気から一変、おだやかでやさしいメロディへと表情を変えた。通しで聴けばなんてことはない。心鎮まる、子守歌にふさわしい旋律だった。
なにが吸血の合図や、と森谷は懐から煙草を取り出す。
「ふつうにええ曲やんけ」
火をつけてすう、と肺の奥まで吸いこんだ。
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