第24話 死人絡みの専門家
一方の隣室では、史織の演奏がつづく。
うっとりと聞き入る一花とは対照的に、恭太郎は浮かない顔でソファに深く腰かけて長い足を組み、肘置きに置いた右手を顔に添え、人差し指でこめかみをとんとんと叩く。ふたりに挟まれた将臣はまるで石地蔵のごとく、ソファに座すままぴくりとも動かない。
史織の演奏が終盤に差し掛かる。
ちなみに三曲目、『クロード・ドビュッシー作/雨の庭』。作曲者の母国フランスの庭園にはげしく雨が降り落ちる様を描写した曲で、聴くにつけその描写が浮かぶ。高難易度技巧が求められる、音の雨──だ。
が、迎えるフィナーレは嫋やかに。
庭園に降り注いだ大雨が上がり、晴れ間の瞬間を彩るような音色とともに、演奏は終わりを告げた。
ゆっくりと鍵盤から離れた史織の手首は、これまでのはげしい演奏が嘘のようにゆるやかに膝に置かれる。一花はパッと立ち上がって「ブラボーッ」と割れんばかりの拍手を起こした。
石のように動かなかった将臣もスタンディングオベーション。ついでに恭太郎の頭を肘で押す。別に気を取られていた彼はワンテンポ遅れてワッと立ち上がると、
「すばらしいッ」
と満面の笑みを浮かべた。
三人からの賛辞に照れた史織が、あわてて立ち上がる。
「ご、ご清聴ありがとうございました。きのうのコンサートで弾く予定だった曲の一部ですけれど──みなさんこのあとも大学でしょうから、ここまでで」
「こんなのタダで聴いちゃっていいのオ? すっげ得した気分!」
「あの日に助けてくれたお礼ですから……あの、きっと私は、ピアノの話ばかりになってしまうけれど。また、お誘いしていいですか。つぎはこういう形でなくて、お食事でも」
「もちろんいいよ。もうオトモダチになったんだからさア」
「え、ええ!」
史織は頬を真っ赤に染めてうなずいた。
でも食事なら将臣抜きでね、なんて一花がへらへらわらったとき、家のなかにインターホンが鳴り響いた。これだけの豪邸でありながら音色は一般家庭で聞くような「ピンポーン」だからなんとなくおかしい。史織はいっしゅん隣室のようすを確認したが、すぐに部屋を出ていった。
勝手知ったるというところか。来客対応するらしい。
さあ、三人である。
将臣が恭太郎と一花を見た。
「それで、いったいどうしたんだお前たち」
「おまえと言うヤツは、僕とちがって聞こえないのによくわかるもんだなァ」
「お前たちが分かりやすいだけだ。一花はなんだ?」
「アハッ。アハハ……うんとね、いま居ないけどさア。ずーっとうしろついてきてた女の子がいたんよ。入学式でも見た子」
「あの旧校舎で?」
「うん。あの旋律もうたってたんさ。アッハ、アハハウフ、」
なにがおかしいのか、一花はクスクスと笑いながら答える。
将臣は無言で恭太郎の意見をうながした。
「ずーーーーっと水の音がする。あと、あの旋律」
「…………」
あの旋律、とは。
やはりこのふたりが再三言っているあれのことだろう。将臣はゆっくりと右手を顎に当てる。しかしその思考をさえぎるように恭太郎はさらに口をひらいた。
「あとな、となりの龍さんたち。ずいぶん面白いことを調べているようだぜ」
「どんな」
「うふふ……」
恭太郎はくちびるをちいさくすぼめて口角をあげ、
「死人の痕跡が出てきたんだと。しかもふたつ。……指紋と痣だ」
と、瞳をかがやかせた。
※
来訪者は古川だった。
岩渕に言われたか、あるいはもとより決まっていたか、真嶋史織と三人の送迎役だという。コンサート当日ではあまり話せなかったこともあり、一花は興味津々で古川に詰め寄った。
「この人が史織ちゃんのスタッフ? へえ、すごオい。アハッ。アハハ」
「よ、よろしく」
と、古川はたじろいだ。
なぜだかインターホンが押されてから、一花はどうにも笑いが止まらない。聴取を終えた警察のふたりや愛河裕子もそんな一花のようすに困惑を隠せない。
将臣は苦虫を噛み潰しきった顔で、
「演奏があんまり素晴らしかったんで、ハイになっちまったみたいで」
とフォローを入れた。
おかげで史織はさらに恐縮した。
「古郡さん」
「古川です。……なにか?」
古川はいぶかしげに恭太郎を見る。
あまり三人組と仲良くする気はないらしい。態度によそよそしさがあふれている。が、恭太郎がそんな空気に構うわけもない。ずいと一歩進み出て、腰を曲げると古川の顔を覗き込んだ。
「あんまり女性にだらしがないと、思いがけぬところで足元を掬われますから。気を付けた方が良いですよ」
「なっ、なに勝手なこと」
「お気付きでないなら結構です。僕らもアナタのことはそれほど、……」
と言って、恭太郎はさっさと身を引いた。
そのうしろでは一花がブバーッと吹き出している。ふたりの言動とようすですべてを悟った将臣が、しかしなにを言うでもなくただ憐れみの目を向けた。古川は怒ったような、しかしどこか不安げな顔で三人から距離をとった。
「それほど、なんだよ」
沢井が恭太郎のもとへやってきた。
うしろで三橋が裕子に謝辞を伝え、駆け足で沢井のそばに戻ってくる。恭太郎は一気に上機嫌にもどったのか、
「龍さんだッ」
と警部補のごつい肩を掴む。
古川からの心象が良くないことを慮った将臣が、ポンとわざとらしく拳を打った。
「沢井さん──おれらのこと大学まで送っていただけませんか」
「いやだ。お前らと一緒にいるといらんことまでぜんぶ」
「痕跡についてなら、もう遅いです」
「…………」
沢井が三橋をにらみつける。
彼女は自分のせいじゃないと言いたげに顔をぶんぶんと横に振った。が、すぐに沢井に顔を寄せて、
「これは逆にチャンスなのでは?」
とぼやく。
「チャンスってなにが」
「だって死人やらなんやら、そこのところは間違いなく……」
我々よりは専門家ですよ、と。
そういって肩をすくめた三橋の笑みを見るかぎり、彼女もなかなか柔軟な思考であるらしい。
────。
「んもーすっごかったんだから! ベッタベタベタベタベッタアって。金ン玉にもぶら下がってンのよ。アッハ!」
と。
後部座席で将臣と恭太郎をべたべた触る一花。
それ以降はクスクスと笑えて仕方がないようで、一向につづきを話そうとしない。聞きかねた沢井がバックミラー越しに将臣をにらみつけた。通訳しろ、という目くばせである。将臣はちらと一花を横目に見てからうなずいた。
「ですから、あの古川さんの身体にたくさんの女の人がベタベタくっついていたということでしょう。金玉んとこにも」
「き、気色のわりい光景だな! そんなもん見えてたのか、イッカ」
「うん。ピンポーンって鳴った瞬間から見えたの。ただでさえ金ン玉ぶらぶらしてんのに……女もぶらぶらしてんだからア。アッハハ!」
「ねえ。どういう生活を送ったらそんなことになるわけ?」
三橋が困惑した顔でブレーキを踏む。
それに答えたのは意外にも恭太郎だった。
「あの男は基本的に女を軽く見ているッ。四股五股と女をはべらせることに愉悦を感じるタイプなのだ」
「女をはべらせて愉悦を感じるのはお前だってそう変わらんだろうに」
将臣がぼそりとつぶやく。
ちがアうッ、と恭太郎が眉を吊り上げた。
「僕の場合ははべらせているのではなく、女の子が勝手についてくるだけだ。そもそも僕は彼女たちと遊ぶだけで、別に彼女たちで遊ぶわけじゃない。でもあの男は──」
すう、と目が細まる。
「何人も泣かしてきたんだろう。頭のなかも下種なことばっかりだった」
「へえ。恭太郎くんも、一花ちゃん以外の女の子と遊ぶことあるのね」
「当然だろ。僕はモテる! 大体イッカとは遊んでいるんじゃなくて、お守りをしているんだっ」
「でも結局だれもついて来ないんです。性格がコレだから」
将臣は憐憫のこもった苦笑──いや嘲笑か──で言った。
むっと頬をふくらませる恭太郎。
「ウルサイよ将臣」
「あははは。いいじゃない、まだ若いんだから」
「それで、なにが“それほど”なんだよ」
「だからア。それほど好きじゃないって言いたかったのだ。言う必要もないとおもって、やめたんだけどね」
といって恭太郎は口を閉じた。
くあぁと大きな欠伸をしてまもなく目も閉じる。コイツの場合は黙っている方が好都合だ。沢井はバックミラー越しに彼が寝たのを確認して、視線を将臣に向けた。
「さて、俺たち警察を足に使うからには──お前さんにも協力してもらうぜ」
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