第2話 定食屋での再会

 摺りガラスの戸から覗かせたふたつの顔。

 ひとりは真っ赤なベレー帽をかぶった眠たそうな半目の女子、もうひとりは上下黒ジャージと便所サンダルを着用した、服に似合わぬ美麗な男子。

 見覚えあるふたりのすがたに、沢井と森谷はもちろんのこと、千枝子でさえ「マッ」と口をあんぐり開けた。

「イッカちゃん、恭くん⁉」

「ちえママまいど~~~」

 イッカと呼ばれたベレー帽の女──古賀一花こがいちかが、千枝子の手をちいさな両手できゅっと包み込んだ。一花のうしろに立つ背高のジャージ男は、そちらを見向きもせず首をこてんとかしげて止まっている。構わず、千枝子の口は止まらない。

「どうしたのよう恭くん、昔はなんもかもお坊ちゃん然だったのにこんな、金も女もスッた無職のヒモ男みたいな格好して……家も顔もいいんだから、すこしくらい整えなさいな」

「この人寝起きなの。ほオんと、横を歩くあたしの気持ちも考えてほしいったら」

「…………」

「いまね、あんたたちふたりの話をしてたのよう。ほらそっちの」

 と、興奮したようすで喋る千枝子の口元を制し、オリーブ色の髪を無造作に伸ばした男──藤宮恭太郎は、足を引きずるようにして店内に一歩踏み入れる。きょろりと首を巡らせ、森谷と沢井の座る席の方へ身体を向けると、つかつかとまっすぐ足を向けた。

 長い前髪の隙間から覗く、ビー玉のような瞳がぎょろりと沢井を見下ろす。あまりにも整った顔立ちに射竦められ、柄にもなく硬直する。が、つぎの瞬間、恭太郎はパッと笑みを浮かべて沢井の肩をがっしと掴んだ。


「龍さんッッッ」


 爆音。

 森谷と沢井はおもわず耳をふさぐ。

 迷惑そうに歪んだふたりの顔など気にも留めず、恭太郎はぐるりとうしろに控える一花を見た。

「おいイッカ! やっぱりいたぞ、僕が言ったとおりだろッ」

「ねエ。さすがは恭ちゃんの地獄耳」

 と、言いながら一花はおもむろに沢井のとなりの空席へと腰かける。つづいて恭太郎も無遠慮に森谷のとなりにどっかりと座った。

 そのまま卓上のメニューなど見向きもせず、声を揃えて、

「カツカレー!」

 と厨房に向かってさけんだ。

 厨房に立つ強面の老大人は、おたまで鍋を二度叩き、了解の意を返す。ここ『ざくろ』の店主であり千枝子の伴侶である兵頭典泰のりやす。おしゃべりな千枝子に対してむっつりと口を閉ざす職人気質は、ザ・昭和男子というにふさわしい。

 場が落ち着いたところでようやく沢井の脳みそは再始動した。

 おまえら、と目を白黒させる。

「なにしてんだ、こんなとこで」

「何って。ここいらで久しぶりにアンタの声が聞こえたから、こうしてわざわざ駆けつけたんだ。なんか変?」

「聞こえたって……そんなでけえ声で話してたか」

「龍さんの声はとりわけよく聞こえるんだよ」

「──まあいいや。しばらくだったが元気にしてたか、まあ見る限りじゃうっとうしいほど元気そうだけど」

「元気げんき。でも、音はウルサイ!」

 と、恭太郎が煩わしそうにぶるるっと首を振った。

 すると千枝子がすかさず外の暖簾をおろして、店内のラジオボリュームを最小にまで落とした。摺りガラスの扉がぴしゃりと閉じられると、外の喧騒が遮断されて、店内は心地よい静寂がただよう。

 どーお、と一花が恭太郎を覗き込む。

 いくらかマシ、と彼は手根部で耳を二度叩いた。


「やっぱ耳がええなあ」

 

 感心。

 心の声が漏れ出たような森谷のつぶやきに、となりに座る恭太郎は思いきり横を向いた。まるで、たったいま森谷の存在に気が付いたかのような反応である。つられて一花がのったりと森谷に顔を向けるや、

「アッハ」

 と無邪気な声をあげた。

「うそ、シゲさんじゃん。なんか見たことある人だとおもった。こんなとこでなにしてンの」

「こないだの旅行で会ったヤツだ。ホストの!」

「だれがホストやッ。警視庁捜査一課って言うたやろが! ていうか知らんかったのに構わず同席するってどない神経しとんねん自分らっ」

 と、森谷が席を蹴って反論する。

 そんな同僚を見て、沢井がアッと膝を打った。

「そうだその話をしてたんだ。おい森谷、なんでこいつらのこと知ってる?」

「あ。いやほら、このあいだオレ休暇とってんやんか、バカンス行こう思て。そこでえらい難儀な事件に巻き込まれたって言うたやろ。──」

「ああ、離島の」

「そう! その島で、いっしょになって事件巻き込まれた高校生が、この一花と恭太郎と、いまいてへんけど将臣の三人やってん。えらい難儀したもんでそれはもう仲良うなってよ。なあ!」

「ね……龍さん。この人ケーサツ騙ってるよ。いいの?」

 同意を求める森谷にかまわず、一花は沢井へ目を向けた。

 あまりの信用のなさにおもわず苦笑するが、沢井は「信じがたいが本当だ」と肩をすくめる。不服そうに信じがたいとは何事や、と森谷はふたたび席に着いた。

 恭太郎はキャハハ、と腹を抱えてわらう。

「ホントに警視庁の人かよ!」

「ぜったいウソだとおもってた。見た目からしてホストかなんかだよねって、将臣と話してたんよ。アハッ、アハハハ……」

「おい森谷、”それはもう仲良くなった”んじゃなかったのかよ。えらいナメられてるじゃねーか」

 沢井はケタケタと笑い飛ばす。

 おかしいな、と森谷が首をかしげた。

「オレの思い出ではもうちっとこう、シゲさんシゲさんって慕われとったはずなんやけど。……その証拠に、今夜おまえらの飼い主と食べ放題に行くんやで」

「飼い主?」

 一花が首をかしげる。

 が、ほどなくして恭太郎が代わりに獣のような声をあげた。どうやらお茶を飲みながらの返事だったらしい。

「将臣のことか」

「おん。おまえら珍獣をうまーく扱いこなすんや、珍獣使いみたいなもんやろ」

「そんなつわものがいるのかよ」

 と、沢井が目を丸くした。

 数年前に一時だけ関わったにすぎない沢井でさえ、このふたりの手綱を掴みコントロールすることの難しさを知っている。この子どもたちはあまりにも、いろんな意味で自由が過ぎる。

 恭太郎はフッと口角をあげた。

「どうせシゲさんから誘って、さんざ嫌がられたところを押しきったんだろ?」

「なんで分かんねん。腹立つわァ」

「今日のあいつは、心の安息日だからな」

「心の安息日?」と、森谷。

「そー。携帯の電源切ってさ。とくにあたしたちだけはぜったい接触不可って言われてんの。失礼しちゃうよね……それなのにシゲさんとは会うの? それちょっとおかしくない?」

 と、ふてくされる一花の前にカレー皿が置かれた。

 千枝子はにっこりわらって、お盆を前に抱えて向かいの卓席のひとつへ腰かける。

「楽しそうでよかったよう。でも……今日はなんだって急に。なにかあった?」

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