楽しいと恋

『君に、伝えたいことがある』


 葵を誘った張本人である監督の男が、その様子を見て笑みを浮かべた。


「いやぁ、これは凄いねぇ~」


 始めは掘り出し物だと思った。人気度でキャストをスポンサーの意向で選んでいる中で、頭一つ抜いている佐倉柊夜とつり合いが取れ、ギャラも安く済む俳優がほしかった。

 実際問題、葵は問題なく佐倉柊夜と釣り合っている。

 釣り合って、いたのだが―――


「もしかして僕、素晴らしい掘り出し物を見つけちゃったんじゃないの?」


 その視線は、御崎葵に注がれる。



 ♦♦♦



『君に、伝えたいことがある』


 ゴクリ、と。息を飲む。

 一足先にクランクアップを迎え、最後の撮影を眺めていた楪鳴海は茫然としていた。


(なんですか、これ……?)


 目の前のぽっかりと空いたスペース。

 まるで二人の時間とでも言わんばかりに開けられた空間の中、御崎葵は立っていた。


「これは、凄いね」


 その横では生田優太がポツリと呟き始める。

 気持ちは分かる。

 分かってはいるのだが―――


(役者業界っていうのは、こんな化け物揃いなんですか?)


 御崎葵という人間を、まだ分かっていなかったのだと。

 そう思わせられる。



 ♦♦♦



(※柊夜視点)


『君に、伝えたいことがある』


 今すぐにでも、乾いた笑いが零れてしまいそうです。

 たった一言。まだ撮影が始まってすぐの話であるのに、委縮してしまうような空気が漂い始めました。

 そんな空気を醸し出しているのは、間違いなく―――


(まだ上があるんですか、御崎さん……!)


 確かに、今日の私は調子がいいです。

 憑き物がしっかり剝がれたような、肩が軽くなったような感覚。

 今なら何の憂いもなく演技に集中できるのだと、全身が強く訴えていました。

 実際問題、撮影に臨んだ私は気持ちがノっており、今まで以上の演技ができていると思っています。


 最高潮、敵なし。

 私こそが主演なのだと、誰にも先を行かせないのだと柄にもなく自信が湧いていました。

 ですが、目の前の人を見ていると……その自信も憑き物と一緒に剥がれてしまいそうになります。


『君のおかげで、俺は今日……この場所に立てている』


 レベルが、違う。

 今まで見てきた中よりも誰よりも、格段に。

 これは撮影で、私はカメラの向こうにいる視聴者ではなく写る側の人間です。

 なのに、どうしてか……目が離せない。

 気を抜いてしまえば、演技などごっそり忘れて飲み込まれてしまいそうになります。


『初めは、君のことを嫌悪していた』


 仕草の一つ一つが大きい。

 それは決して大袈裟にしているというわけではなく、あくまで自然体に、違和感など生まれない範囲で。

 声は一段と低く、気持ちを表わすかのように生まれた表情は濃く、カメラに収まる動作がよく目立ち、異様な雰囲気が醸し出されている。


 クライマックスに相応しいというのはこのことでしょう。

 これでは、どちらが主人公なのか分からなくなります。


 ……あぁ、こういう人こそが『天才』だと評されるのですね。

 同世代の役者より明らかに群を抜いている。

 三流はカメラに写ることができ。

 二流は自分が流れる映像に違和感を与えず。

 一流は画面に映る自分を他者を惹き付ける。

 ですが、御崎さんは画面に一緒に映ろうとしている役者をも惹き付けてしまっています。

 これをなんと表現するべきでしょうか?


(は、ははっ……この若さで!)


 このような人は初めてです。

 一緒に演技をしていて、私自身が飲まれてしまうと意識させられる役者さんは。

 大御所さんと共演した時も、実力派俳優と名高い人と共演した時も、このように怖気づくことなどありませんでした。

 だから……だから、こそ—――


(……滾る)


 負けられない、そう思ってしまった。


(滾りますよ、御崎さんっ!)


 負けて、自分がよく映えないからとリテイクを受けてしまうのはごめんです。

 私だって、天才だと言われここまで生き残って有名になってきました。

 今、ここで、レベルを上げられ置いてけぼりなど真っ平。

 今まで女優として過ごしてきた今までのプライドが、それを許したくない。しかも、同い歳の男の子になんて。

 御崎さんが凄い人だっていうのは分かります。

 でも、それでも。


『私だって、初めは瑛士くんのこと「嫌なやつ」だなって思った』


 今回の映画はお世辞にも全体のレベルが高いとは言えません。

 名前を与えられたキャストは生田さんを覗いて作品に出たことのないモデルやアイドルばかり。


『だっていきなり脅されて、生徒会に入らされて、私の学校生活どうなっちゃうのって思ったんだもん』


 演技の色が極端に強ければ、薄い色とのムラが作品に現れ、壊れてしまう場合がある。

 でも、今ここ……最後のクライマックスは誰にも邪魔されません。

 思う存分ぶつけても、作品が台無しになることなどないのです。


『知ってる。それでも、俺は徐々に惹かれてしまった』

『……そっか』


 何か、胸の奥が熱い。

 頭に血が上り、胸の鼓動が早くなっている。

 私は間違いなく、気分が高揚しています。


『惹かれて、救われ、こうして目の前に君がいると……胸がうるさいんだ』


 あぁ、これは。

 もしかしなくても―――


(……


 本気で演技しても届くか届かないか。

 自分の中で間違いなく最高のコンディションにもかかわらず並び立てられるかどうか。

 挑戦しているこの現状が……楽しい。


(そっか……これが、楽しいんだ)


 自覚した。

 こんな場面で、茜は楽しいなどと思うことはないのに、そう感じてしまっている。

 抜け落ちたものが再び胸に戻っていくかのよう。

 分かる、分かるよ。前まで、私はこんな感覚を常に持っていた。


 ―――これが境。


 今なら喜んでいるって思える。

 今なら怒っているって思える。

 今なら哀しいって思える。

 今なら楽しいって思える。


 これこそが……佐倉柊夜かめん佐倉柊夜わたしの違い。


、御崎さん)


 あなたのおかげで、私は分かったよ?

 自分を見つけられた……あなたのおかげで。


 そんな恩人が一歩、一歩と私に向かって歩いてくる。


『私も、君といると胸がうるさいよ』


 そうだ、さっきから胸がうるさい。

 胸がうるさくて、どことなく頬が熱いような気さえする。

 彼の顔から目が離せないで、思わず抱き着いてしまいたくなる。


『今度は俺が……君を守りたい。傍で、ずっと』


 私だって君を守りたい。

 助けてくれたように、次は私が。


『そう思った頃に、俺は気がついたんだ』


 そっと、瑛士の手が茜の頬に添えられる。



『俺は茜のことが好きなんだって』



 …………。

 ……………………。

 ………………………………そっかぁ。


(これは、なんだ)


 流石にこれは初めてだなぁ。

 今まで誰を好きになったこともないからよく分からなかったけど、これを恋と呼ぶのか。

 そっか……全然、嫌いじゃないや。

 御崎さんに突き放された時に嫌悪した感情とまったく逆。

 心地よくて、嫌いじゃない感覚だ。


(困ったなぁ……)


 今までこういうシーンを撮ってきたことはあった。

 どういう顔をして、どういう感情を表して、何をすればいいか。

 でも、今は演技しなくても勝手に出ちゃう。

 同じような、茜と同じ姿を。


『俺はさくらが好きだ』


 どうしよう。

 私はどうしたらいいんだろう?

 でも、この気持ちが役で作った自分のものじゃないっていうのは分かっていて───


『私、も』


 私はそっと瑛士の顔をそっと両手で挟みます。


(一応、頬にって話だったけど……)


 別にいい、よね?

 私だってたまにはこういうアドリブぐらい入れても、さ。


「ッ!?」


 眼前にある瑛士の顔……ううん、御崎さんの顔が一瞬だけ驚いたようなものになった。

 多分、それはから。


(ふふっ)


 驚いてる驚いてる。

 でも、演技が剥がれるぐらいしてくれないと。

 だって私のファーストキスは、そんなに安くないんだから。


(やっぱり)


 御崎さんは私にとって───


『私も、瑛士みさきくんのことが好きっ!』


 瑛士の顔から離れて、私は嬉しさがこれでもかと滲むような笑みを見せた。

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