メソッド演技法
「あなた、何を言ってるの……?」
突然の指摘に綺紗羅さんが怪訝そうな顔を向けてきた。
それでも、俺は構わず言葉を続ける。
「メソッド演技法……って知ってますか?」
自分の過去や体験を思い出し、役に感情を与える演技法だ。
泣きたい時、過去に自分が経験した辛い経験を脳裏に思い浮かべ、その時の悲しさを当て嵌める。
たとえば嬉しさを表現する場面だとしよう。それを表現するために初めて玩具を買ってもらった時のことを思い浮かべる。
そうすると、役に対して嬉しいわけではないがさも嬉しいかのように自然体で表現ができるのだ。
下手に自然に演技しようと思うよりも、メソッド演技法は自然体の自分を現せられる。
「馬鹿にしてるの? 素人じゃないのよ、こっちは。それぐらい知ってるわ」
「じゃあ、なんでしないんですか?」
「な、なんであなたにそんなこと言われなきゃいけないわけ!? 部外者で、あなたは素人でしょ!?」
そうだ、俺は部外者。
本来プロに対して指摘するなどおこがましいとしか言いようがない。
けど―――
「そんな素人に心配されるほど見てられなかったからですよ」
「ッ!?」
「ここに至るまでのほとんどのリテイクがあなたの原因だって分かってますよね?」
容赦なく突き立てた言葉に綺紗羅さんは悔しそうに押し黙ってしまう。
自分でもなんでこんなことを言っているんだろうと思う。
だが、頑張っているこの人の力になりたいなと……同時に思ってしまった。
「綺紗羅さんはカメラと演技に意識が向きすぎなんですよ」
俺は言葉を続ける。
「このCMはどの角度から見られても構わない舞台じゃない。画面越しに見る視聴者へ向けたものだ」
「……けど、演技には変わりないじゃない」
「違いますね、全然違う」
舞台と撮影は似て非なるものだ。
役者が演じるという一点は正しい。しかし、舞台は客席に座っている全員に分かるよう大きな声で話したり、大仰な動作を見せて遠くから、違う角度からでも認識してもらえるように演技する。
対して撮影の場合はあくまで自然体。カメラや音声が勝手に拾ってくる状態で大袈裟な演技など必要とはされていない。
「いいですか? 今回のCMでは美味しそうにカレーを食べる一家がテーマです。カメラは言わばリビングを覗ける窓。視聴者には思わず覗いてしまった光景に『いいなぁ』と思ってもらえるようにしなくてはならないんです」
今日の献立は何にしようか? そう考えている時にふと賑やかな声が聞えてくる。
なんだろうか、と覗いてみた先にはカレーを並べて楽しそうに、そして美味しそうに食べる家族の光景が写っていた。
だから食べたいな、今日の献立はこれにしよう―――そう思わせることが、このCMでもっとも求められていることだ。
誰かが覗いている状況が必ず起こっていると思うか? ただご飯を食べるのに、誰が覗いているか分からない窓に意識を向けて食べるか?
そんなことをやられていても、見ている側は「見せているのだ」と変な意識を作ってしまう。
「……とはいえ、本当にカメラを無視してずっと自分の顔が写らない。なんてことは避けなくちゃいけません。だからあくまで窓を意識せず、窓に顔を背けないという一点を片隅にさえ置いておけばいいんです」
ひとしきり言い終わると、俺は綺紗羅さんの顔を覗き込む。
すると綺紗羅さんは先程の苛立った表情から少し考え込んでいるものへと変わっているのが分かった。
「それは分かるんだけど、顔を背けないって頭に入れちゃうとどうしてもカメラが……」
どうやら、自分の中でまだ考えが纏まっていないようだ。
とはいえ、俺の言ったことが必ずしも正しいわけではない。ただ、あくまで一つの例として考えてほしかったのだが―――
「じゃあ、ちょっと来てください」
「ちょ、ちょっと!?」
俺は綺紗羅さんの腕を掴んで引っ張った。
戸惑う綺紗羅さんをとりあえず無視して、カメラの横へと立たせる。
───その行動に周囲の人間がざわめき始めた。誰だこいつ、と。部外者の行動に疑問を覚えているようだ。
……あとで怒られるかもしれないけど、仕方ない。
「ここで見ていてください」
「えっ、ちょっと!?」
綺紗羅さんの制止を無視して、今度はセットへと上がった。
何をする気なんだ? そんな声も聞こえてきたが、まだ誰も止めに来ない。
その前に済ませなければ。俺は俺の行動に戸惑ってこっちを見ている姉さんに小さく手を振った。
そして、姉さんがおずおずとしながらもこっちに来てくれる。
「ねぇ、いきなりどうしたの葵く―――」
「カレーを持ってきてくれたところから、お願い」
姉さんの言葉を遮る。
有無を言わず、真剣な瞳を向けたまま。
すると姉さんは意図を汲み取ってくれたのか、戸惑った状態のまま大きな深呼吸をして満面の笑みを浮かべた。
『うわぁ~、お父さんが作ったカレー、すっごく美味しそう!』
その言葉の続きは、妹が姉の言葉に同調するもの。
―――人と関わることが苦手だった俺は、家での生活が唯一ありのままでいられる場所だった。
だからこそ家族で過ごす時間は楽しかったし、姉さんの浮かべてくれる笑顔には救われた。
楽しかった……美味しそうな料理に目を輝かせる姉さんの姿を見るのも、一緒に食べるのも。
これからのセリフは、あの時のこの感情にピッタリだ。
窓はあそこ。意識するわけでもなく外が暗くなったなと思う程度でいい。
それよりも重要なのは、このシーンで仲のいい家族の瞬間を―――
『美味しそうだね、お姉ちゃんっ!』
同じような笑顔で、溶け込めばいい。
本当に美味しいそうなんだぞと、役者にも視聴者にも思わせられるような自然体で。
まぁ、ここからのセリフを俺は知らない。
こんなものでいいだろう。しばらく演技から離れていたような感覚が少しあるし、ちゃんとできているか不安だがこればっかりは仕方ない。
「「「「「…………」」」」」
姉さんや綺紗羅さん、スタジオにいた人間全員が呆けたような様子を見せる。
そりゃ、確かにいきなり部外者がセットに立って演技したら「なんだこいつ?」とか思われるのは当たり前だけどさ───
(そ、そんなに下手な演技だったか……?)
偉そうに言ってしまった手前、なんか一気に不安になってきた。
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