撮影見学

 大半の俳優や女優は事務所やプロダクションに所属している。

 そして、その事務所やプロダクションにはどうやって加入するのか? これに関しては大きく二つ。


 一つはオーディションを合格して事務所に所属する正規ルート。

 養成所や学校で学び、最後の関門として多くの志望者がこのルートを進んでいる。

 もう一つはコネだ。

 誤解しないように言っておく。別に金を積んだらいけるとか、知り合いだからという理由だけで入れるほどこの業界は甘くない。

 そのため、コネといっても皆が想像しているようなものではないだろう。


 確かに、知り合いから紹介してもらったというのはある。

 しかし、コネで入る人間全ては『その才能を認められたから』という一点に他ならない。

 今はあまり見かけなくなったが、街中で雑誌の編集者やそれこそ事務所の人間が「読モしませんか?」、「モデルに興味はありませんか?」と声をかけるのも、『容姿』という立派な才能が認められたからこそだ。


 その点、役者は演技が求められる。

 メディアに顔を出す以上、容姿も求められる部分もあるだろうが───事務所に所属する、という観点だけ見れば必要項目ではない。

 俺が『フォルテシモ』に入ったのは、このコネであった。

 姉さんが主演を務める映画の端役として参加させてもらった時に、当時の監督さんが目をつけてくれて、色々な映画に出させてもらい、事務所に拾ってもらえた。

 今思えば、演技の才能があると言ってくれて自覚させてくれたのもあの監督のおかげ。

 ───ふと懐かしい思いになってしまう。


(いや、今はそんなことじゃなくて……)


 ───俺は現在、姉さんに連れられて撮影現場へとやって来ていた。


 チラりと、俺は前を見る。

 少し大きな部屋の装飾をイメージしたスタジオ、照明器具や撮影道具が並び、多くの人間が一つの空間に集められていた。

 ───スタジオというのは面白い。

 一つの空間にまるで違う空間が割り込んでくるかのように存在しているのだから。

 今回はいかにも『我が家のリビング』といったようなもの。

 キッチンの様子が見えるカウンターキッチンに、テーブル。テレビの前にソファー、もう一つ小さなテーブル。

 ここに年齢性別分けた役者が立てば、きっと団欒という言葉が浮かんでくるだろう。


「しかし、君が噂の弟くんかー」


 そんなセットを端で見ていた俺の横に、一人の男性がやって来る。

 バッチリとキメたスーツがなんとも男らしく、仕事人という印象が真っ先に浮かんできた好青年。

 この人は神辺正人かんなべまさとさん。姉さんのマネージャーさんである。


「今日は見学させてくださり、ありがとうございます」

「別に見る分には構わないよ。もちろん、守秘義務もあるから撮影禁止他言無用っていう頭はつくけど」


 この人のことは知っていた。

 なんでも、街中で姉さんに声をかけたのもこの人で、俺が『フォルテシモ』に所属した時も神辺さんが姉さんのマネージャーをしていたから。

 だからからか、この人を見ると何故か懐かしい気分になってしまう。


(……いや、懐かしいのはこの空気もだろうな)


 撮影する前の緊迫感、集中、空気。

 皆誰しもが監督の言葉を待ち、撮影部や録音部、演出部が入念にチェックする。

 そして、演じる者が頭の中でイメージをはっきりさせるべく台本に目を通している光景。

 それらはかつて味わっていたもの。この空気こそ、懐かしいと思える要因なのかもしれない。


「てっきり僕は優亜ちゃんが無理矢理連れてきただけだと思っていたんだけどね。いきなり紹介された時もびっくりしたんだけど、まさか見学したいとは」

「せっかく連れてこさされたので。それに、俺もこの業界に興味がありましたから」

「へぇー、じゃあ家族全員で芸能界進出か! 優亜ちゃんが聞いたら喜ぶだろうねー」


 まるで自分のことのように笑う神辺さん。

 いつか姉さんが言っていたが、神辺さんはどこか兄のような感じがするのだという。

 なんとなく、この明るさと滲み出る安心感を見ていると言っていたことが理解できる気がする。


「それにしても、姉さんのことだから今日はモデルの撮影なのかと思っていました」

「今日は『あじまろ』っていうカレー粉のCM撮影だよ。最近、優亜ちゃんは絶好調だからね……こういう仕事ももらえるようになってきたんだ」

「へぇー」


 だから団欒としたスタジオとセットなのか。

 和気藹々と楽しそうにテーブルを囲むのか、それとも思い出深い印象を出して温かい空気のまま演出するのか。

 是非とも台本を見させてほしいものだ。


「あれ、そういえば姉さんは……」

「優亜ちゃんならあそこだよ、今他の役者さんと打ち合わせしてる」


 そう言って指を指したのは俺達がいる場所とは反対方向の端。

 そこでは男性が一人、姉さんを含めた女性三人が台本を片手に話し合っていた。

 パッと見の年齢の幅を見る限り、家族という構成で集められたのだろう。


(ふーん……今思えば、姉さんが役者として活動している姿は久しぶりに見るな)


 本業がモデルのためそっち方面はよく見たことはあるが、こうして役者としての姿を見るのは久しぶりだ。

 それこそ、きっかけをくれたあの時の映画以来ではなかろうか?

 今まで無邪気で可愛く、奔放な姿の姉さんも、今ではいつもが信じられないぐらい真剣な表情をしている。

 それが身内としてはどこか少し面白く、同時に興味深くもあった。


「さっきからジーッと見ちゃってるけど、まさか綺紗羅きさらちゃんに見蕩れちゃったか、少年?」

「綺紗羅……?」

「ほら、あの子だよ。優亜ちゃんの隣にいる子」


 長い茶髪に、姉さんよりも少し低めの身長。

 加えて美人寄りの端麗な顔立ちに、透き通った綺麗な双眸。傍から見ていても、間違いなく『美人』だと思わせるような容姿。

 確かに、マジマジと見ていれば見蕩れたと思われても仕方ない。

 けど、姉さんや佐倉の方が可愛いって思ってしまうんだよなぁ……どうしても。


「あの子もモデルの人なんですか?」

「ううん、確か女優だったはずだよ。しっかり事務所に入ってるしね。ただ、まだ所属して間もないんじゃなかったかな?」


 それでCMの仕事をもらえたのか……。

 普通、所属したばかりの人間には中々仕事は回らないっていうのに。


「凄いですね」

「本当にね。ただ、もしかしたら強引に仕事をもらった可能性はあるよ。なんでも、あの子は事務所の社長の娘らしいし」

「……ふぅーん」

「まぁ、あくまで憶測だしね。もらえた可能性だってあるし、それは監督に聞かないと分からないさ」


 じゃ、僕は優亜ちゃん連れてもう一回監督に挨拶してくるよ、と。

 それだけ言い残して、神辺さん俺の下から離れていってしまった。

 そのせいで、誰も知り合いがいない状況でポツンと一人になってしまう。

 前までの自分であれば、この場違いな空気に逃げ出していたかもしれない。

 けど、今はそんなことはなくて。

 俺は姉さん達の姿を傍から見続けた。


(……社長の娘だから、ねぇ?)


 神辺さんの言っていたことは本当だろうか?

 ……いや、それは本番が始まってしまえば分かることだろう。


 俺は頭の中でその疑問を振り払い、本番が始まるのを一人で待つことにした。

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