肩ズン・2





『キャスリング』。


 チェスの用語から引用して名付けられた、世界でひとつだけの、私の武器。


 私はその密度の濃い銀色に、空の茜を反射させて、何度も蝶のように閃く光を確かめていた。小さな杖の中には、世界が反転して映し出されている。


 ちゃら、と先端のチェーンがぶつかり合うたび、手首に新鮮な、ひんやりとした感覚が咲く。


「――きれい」


 魔力を帯びたキャスリングは、見惚れるほどの美しさだった。


 これは誰の美しさなのだろう。ロザリーが丁寧に起こした繊細な形状。ビビアンの強い意志で集めた魔物たちの部品。完成へ導いたフェイスくんの静かな智慧。ジークの――


「……なんだろなぁ」


 本人は愛に決まっているだろう!とか言い出しそうだけど。


 彼の美しさは、もっと違うところにあるような気がした。


 キャスリングを少し力を籠めて握り締めると、身体全体に温かさが広がった。それから、私でもわかる、魔力の“におい”。


 ほんとだ、結構落ち着く。意外と必要な機能だったのかも。


 キャスリングをそっと頬にあてて、目を瞑る。それから、大好きなぬいぐるみにそうするみたいに、そっと輪郭を撫でた。


「……ふふ。ほんとにジークがそばにいるみたい」


「――居るが」


「――」


 ――嘘だろ。


 嘘だ。


 だっていま、放課後だよ。黒魔術科の塔の屋上で、私の特等席なのに。みんなは風が寒いとか高いところ怖いとか登ったところで意味がないとかそんな理由で近寄らないから、たまにこうして一人でココア片手にボンヤリする為の、場所で。


 ぐ、ぎ、ぎ、と油の足りないブリキ人形のようにゆっくりと首を回す。


 少し暗い屋根の下、階段の前に、奴が腕を組んで立っていた。


 喉がひくついた。悪寒がせり上がり、全身の汗腺が発熱していく。


「い、いつからそこにいたの?」


「“お、今日も一人だ~”……くらいから」


 最初からじゃん。言えよ。なんで言ってくれないの。主張をして。お願いだから。


「み、み、見てた…………?」


 こくん。


 ジークの頷きに反射するように、羞恥が顔面の血管を支配した。耳が、耳が熱くて、痒くなりそう!蕁麻疹のときになる感覚だわコレ!


 そして私は思わず、


「おわーーーーー!!んぎゃーーーーーーっっ!!!!」


 なにかに取り憑かれたように叫び出し、


「なっ、待……!!??」


 ジークの制止も無視し、その場から脱兎のごとく逃走した。離脱するほかないと、本能的に判断したのだ。


 落石のように、足の痛みも鼓動の速さも無視して、階段をひたすら駆け下りる。明日ふくらはぎパンパンになるわね。知ったこっちゃないわ!


 無理だった。


 あの一連の流れを見られて平気なカオをしていられるほどまだ拗らせてはいなかった。


 たまたまなんだよ。たまたまそういう気分になっちゃってただけなんだよ。


 思春期なのよ。許してよ。


 高速で自分に言い訳をしながら、アテもなくただただ走る。汗のせいで、皮膚にぶつかる風がやけに冷たかった。廊下の人ごみから注がれる視線なんて気にしない。


 とんでもないモノを見られてしまった。前のパンツなんて目じゃない。あれ、言葉がおかしいな。パンツは布だ。落ち着け、私。


「あれ、ザラじゃん。なにそんな走っ――」


 今の私はザラ・コペルニクスではない。スプリンター。そう、アスリートなの。走ることが存在証明なの。


 呆けたビビアンの真横を突っ切って、更に校舎の奥へ進む。進む。進む。


 私を止められるのは最早、己の身体の限界のみだった。








.








「ハア、ハア……こ、ここまで来れば平気だろう……!」


 思わず何処かで聞いた台詞がこぼれる。大抵このパターンだと絶対背後にいるやつだけど。


 しかし、幸いにもやつの姿は無い。無事に振り切ったようだ。


 ジークが追いかけて来ていないこと確認すると、一気に疲労が押し寄せてきた。


「ふおお……」


 膝が震えて、力が抜け落ちる。もう一度同じことをしろと言われたら出来ないわね。


 深呼吸をしながら、辺りを見渡す。


 人気のないところを目指してひたすら無我夢中で走ってきたけど、どうやら旧校舎……の更に裏、森まで来ていたようだ。


 私が乙女回路(笑)全開で悦に浸っていた塔はとっくに遥か彼方。


 目の前に広がるのは、深い青緑がどこまでも続き凝縮された、木々の遊び場。不思議と不気味さよりも、神聖さがある。


 一応学園の敷地内で、色んな学科が演習や採取に使う場所だけど……。


 そういえば、あんまりじっくり見たことないかも。


「ふむ……」


 ジークの真似をして、顎に手を当ててみる。好奇心がむくむく膨れ上がる。なるほど、こういう気分になるわけね。


 あっちの木は何だろう。あの木の実は。いま飛んでいった鳥は……森の中に巣があるのかな。


 ――行ってみよう。


 古来より乙女は森に惹かれ誘われるものなのよ。


 私は煉瓦道から外れて、生い茂る芝へ足を進めた。露ですこし湿った雑草が、足首をくすぐった。




.




「わあ……」


 沈みかけの虹色の空に滲む深緑。空気中の魔素エーテルに触れて、ときどき硝子のように輝く葉たち。くるりと巻いた枝々の先に実った飴細工のような果物、根元には木陰でも怪しく光る茸と、魔法生物たちがせっせと家路を急ぐ光景があった。


 その複雑怪奇で美しい青い光景は、森だということを忘れて、海の底の珊瑚礁にでもいるような錯覚さえ起こす。


 ――そうだ、せっかくだし。


 スカートの細ベルトに引っ掛けたキャスリングを握り締めた。(今度ホルダーも作らなきゃな……。)


 思った通り、先端のチェーンが反応して、ある方角に向かって空中で引っ張られていた。


 ジークたち曰く、「何かある」程度のことしかわからない精度のダウジング効果らしいけど。


 面白そうだし、行ってみよう!お宝だったり――それこそ、ジークが探している魔法だったりしたら大当たりだもの。


 まさか校内に魔物がいる訳ないしね。


 私は辿って来た道を振り返って、なんとなく頭の中の地図に記録し、キャスリングの指し示す方角目掛けて歩みだした。




.




「♪ふんふふんふ~ん……」


 しばらく森のなかを泳いで、キャスリングが一層強く反応する場所までやってきた。


「♪な、に、が、で、る、か、な~っと……」


 分かれ道を曲がる。


 まず目に飛び込んできたのは、泉だった。


 ルーンが刻まれた庭石らしきものに囲まれた、大きい水たまりくらいの泉。だけどその水面は、森の色数とは不釣り合いに、白黒で。まるで黒い大地にまばらに雪を降らせたみたいに、ずっと見ていると目がちかちかするような。


 ――スノーノイズ。


 ああ、そうだ。テレビの、砂嵐によく似ている。というか、そのものだった。あんなざらついた雑音こそしないものの、不規則に点滅し、無為に不安を煽る。


 そして、その傍らに佇む、巨体。


 カエル。


 全長五メートルはあろう巨大なカエルだった。


 虚ろな眼球はギョロギョロと蠢いて、口から自分の内臓を吐き出して引きずっていた。


 てかてかの身体は緑色の粘膜で覆われていて、ああ、あれが所謂ガマの油ね、へー、ふーん、ほー、そう、と軽く現実逃避したくなるくらいには、触感を想像したくないものだった。


「あは……」


 カエルと目が合った。自然と引きつった笑みがこぼれる。


 いやいや、まだ魔物と決まった訳じゃない。


 女の子が迷い込んだ先にいるものは、大抵賢者と相場が決まっているわ。


 後ずさりしそうになるのを堪え、


「こ、こんにちは……?」


 姿勢を低くしてお伺い。


「……」


 私とカエルさんとの距離は、そうね、人間の大股二歩ってところかしら。


 ぬちゃ、と、カエルの後ろ足が軋んだ。私と同じように低い体勢になる。ほら、やっぱり、話せばわかるタイプなんじゃ――


『ギビエエエエエエェェェェェ□●∵♯@÷⇔⊿kッこおぼろばばばあああああbbbbbbb!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』


「にょわあああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 カエルあらため魔物さん、全身を使っての咆哮と跳躍。唾液と身体の粘膜をまき散らしながら、私へとまっすぐに突進であります。反射的に私も悲鳴を上げて、背を向ける。


 すこしでも希望を抱いた私が馬鹿だったよおおぉぉ!!


 直感。捕食される。アレは敵意とかよりももっと野蛮。何しろジャンプの飛距離がとんでもないので(飛んでるのにね?)、私は全力疾走を与儀なくされた。


 前言撤回。ここまで来た時と同じことをしないと、死ぬわ。


 何で校内に魔物がいるかなぁ!?本当、最近おかしいなぁ!?校長先生に文句言ってやるんだからね!!


 何とか足止めできないかとキャスリングを構えるも、一瞬でも足を止めたら、振り返って魔法を撃つ前に飛びかかられて終わりじゃない、こんなの!


『ギャボロボボボボボボbbbごあああああええええええええええええええええ!!!!!!』


 ああもう、ケロケロですらないの。


「ひえええぇぇぇ!!」


 足が、足が。踏み込む度に筋肉が萎縮して、膝がカクついた。一歩ずつ、私の馬力は低下していく。カチコチに固まってブルブル震えて、神経に直接氷を注がれているようだった。


 ――助けて、ジーク。


 いつもなら、颯爽と現れるくせに。私がアホなことで置き去りにしてきてしまったせいで、無駄な好奇心に駆られたせいで、私のヒーローの登場は絶望的だった。




――「ディエゴ、行くよ!」


――「エエで~」




 不意に。


 私の対向から、人影がふたつ、現れた。弾かれるように目線で二人を追いかければ、その背中は見覚えのないもので。


 凸凹のコンビが、私とカエルの魔物の間に立ち塞がっていた。


 ちょうどあとひとっ跳びで、カエルに押しつぶされるなり、頭上を掠めて先回りされるだろうというところだった。


「嬢ちゃん、耳塞いどき」


「へ……」


 妙な訛りの凸のほうが、背中越しに私に語りかけた。


「“装甲錬成・アルラウネの声帯”」


 背の小さな人物が呟いた次の瞬間、私は、今しがたの言葉の意味を理解した。彼――いや、彼女?が弓のように身体を仰け反らせ、ぐんと解放。カエルの魔物に向かって口を開いた。


「━━━━━━━━!!!!!」


 強烈な音波だった。


「あ……う……ッ!!」


 先ほどの魔物の咆哮とも、私の悲鳴ともつかない。


 三半規管をまるごと串刺しにするような、暴力的なまでの空気の振動。周囲の一切の音が掻き消え、自分という存在が押しつぶされそうだった。


 目が回る。食道が逆流する。もうだめ、と戻しかけたところで、ぐいと腕を引かれた。


「来て!」


「で、も、もう走れな……」


 く、ないことに気が付く。視界は明瞭、耳鳴りもナシ。せり上がってきていた気分の悪さも、足の痛みも無い。


 キャスリングに付与された自動回復リジェネレーションだ。そうか、通りで、引きちぎれそうだった筋肉の炎症が元通りになってるわけね。


「行けそうじゃん」


 私の腕を引く、がニヤリと笑った。












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