お前に拒否権なんてないからな・4




「おい、手」


 階段に並んで腰掛けると、急にジークが手を差し伸べてきた。ので、よくわからないまま握り返す。


 何かに反応したように、照明用の昆虫たちが、私たちの手元に集まって、一瞬だけその灯りを強くした。


「どうもな」


「……あっ!?今、私の魔力吸ったでしょ!?」


「いいだろう。減るものでもない」


「言ってくれれば良いのに……」


「フッ。気を悪くするな。触れたかったんだ、お前に」


「ヴォエッッッ」


 反射的に鳥肌が。いかんいかん、さっきのバウムクーヘンが口から錬成されるところだった。


 そんな私の反応などお構いなし、もう目にも入っていませんよという風で、ジークは金色のルーペ越しに薄めの魔道書へと目を通していた。パラパラと適当そうに捲って、次の本へ。


「あれっ。もういいの?」


「お前……本当にここの学生か……?」


 おっ、何だ。私ディスか?


 呆れたようなジークに、金色のルーペを投げて寄越された。シンプルで装飾などない、ただ真鍮の枠にガラスのレンズがはめ込まれただけのアイテムに見える。


「速読と、検索のエンチャントを施してある」


「そんなニッチなエンチャント効果があること自体いま初めて知りました……」


「ん。まあ……こっちでは若干オーバーテクノロジーだな……。その分、付与儀式も錬成素材も複雑で、使用する際の消費魔力も多めだ」


「自分で創ったの?」


「ああ。今」


「今!?」


「ポケットに材料だけ入れてきたからな。お前と握手してすぐに纏めて掴めばこんなもの、ポーションより簡単だ」


 はい、ドヤ顔決まりました。ノルマ達成だね!


「あっそう。じゃあ私に超感謝してよね(イラァ)」


 ていうかちょっと欲しいくらいだった。


 ジークにルーペを返して、私は今さっきジークが読み終えた魔道書を手に取った。


 ──『怒らない人が実践している四十五の魔法 著アレクサンド・フォレスト』


 ああ、こういうの読む人本当にいるのかしらって類のやつね……。列車の中にポスターが貼ってあるような。斜め読みしながら、ページを捲る。




『・怒らない人は、必ず催眠系の魔術をエンチャントしている!──イヤなことは、書き換えてしまおう』




『・爆破魔法で、心理的に安心感を得よう!──自分はいつでも殺せるぞ、という気持ち』




『・透明化しよう──もうその場にいることを諦めよう』




 やだ……思ったより過激じゃない……。


「で……結局ジークって、具体的になんの魔法を探してるの?」


 既にもう一冊を読み終えたらしいジークに問う。


「……」


 なぜ渋る。


「答えたくないならいいんだけど……知っておいたほうが力になれると思うんだ」


 ジークはやや考えて、分厚い料理本を閉じた。


「生命体の……姿を作り変える魔法──『ウルスラグナ』だ」


 聞いたこともなかった。そもそも……変身じゃなくて、


「姿を作り変える魔法?」


 ジークがルーペを置いて、私を向いた。私もジークに向き合う。


「ああ。整形や変化の類ではなく、一度だけ、生きたまま姿かたちのみ、遺伝子情報そのものを全く別のものに書き換える。ヒューマーが獣人に、精霊が昆虫に成ることだって出来る」


 へ……え。


 便利なんだか不便なんだかよくわからない魔法ね、というのが正直な感想だ。察するに、リスクのほうが大きいような気もする。自分じゃない何かに成るってことでしょ?ちょっと怖いな。


「そんなもので、何するの……」


「俺の本来の姿を、“今の姿こっち”にする」


「ええと……あの牛みたいな魔物みたいな状態のまま、見た目だけ、コレにしたいの?」


「そういうことだ。何かと不便でな」


 まあ……確かに少なくとも人間界じゃ大変かも。天井足りてなさそうだし。合う服とか探すの大変そう。


「ジークの錬金術じゃダメなの」


「骨格や筋肉、内臓や皮膚の量まで変えるとなると、錬金術では不可能だ。たとえば──そうだな、お前にも分かりやすく例えるなら──俺の本当の姿はだいたい百九十キログラムほどで、いま変身しているヒトの姿では六十七キログラムになる」


「えっ。じゃあその差分の体重どこにいくの」


「そういう話になるだろう。俺の錬金術まほうで、そういった余分な“ノイズ”は失敗の素になる。絵の具の配合と似たようなものだな」


 なるほど。大概の絵の具は配合を間違えれば、。綺麗な虹を描くつもりが、キャンバスに泥の川が流れてしまったら、目も当てられないわ。


「失敗するとどうなるの」


「爆発してその場にいる全員アフロになる」


「爆発してその場にいる全員アフロになる!!??」


 錬金術師のペナルティ、エグいな。


 ていうか実験失敗してアフロになるやつ、嘘じゃなかったんだ。


「ずっとヒトの姿で居ればいいってものでもない?」


「これはあくまで人間の規格に合わせた仮初の分身だ。本来のパフォーマンスを発揮しようと思ったら、やはりアレでなくてはいけない」


「ふーん……?」


 そういえば、こっちのほうが魔力の消費量が少ないとか言ってた気がする。


「俺たち魔族は亜人にんげんではなく、人外だ。基本構造スペックが違い過ぎて話にならないんだよ。だから、あっちの──牛頭のほうをどうにか見られる容姿にする必要がある。催眠魔法も考えたが、持続性を考えるとな」


「そんなに酷いかな、あれ」


「……少なくとも上品ではない」


 うーん。それは……。


 私はジークの“本来の姿”をぼんやり思い出してみる。あの一件で、しかも超テンパりながら見ただけだから、結構朧げだ。


 でも。


 人の頭くらいの手足。痛々しく裂けた赤い肌。蠢くいくつもの眼球。そんでもってでかい牛頭。


 何より──その姿をしたジークがひどく苦しそうだったことのほうが、強烈だった。


 もしかしたら、見た目のインパクトそのものよりも、それに“ひっついてる何か”が、彼のコンプレックスなのかもしれない。


「親父の……後を継ぐなら。相応しくなきゃいけないんだ」


 ジークが少し瞼を伏せた。琥珀の瞳が、頑なな意思を現していた。


 この本たちと同じなのかな。内容は変えずに、装丁だけ別物にする。そうすると、パッと手に取る人も売上も変わるかも、と。


「前聞きそびれちゃったけど、ジークのご実家って何してるの?」


「錬金術師だよ。親父は金属製品のプロフェッショナルでな。企業から金持ちの個人まで幅広く、依頼されたものは何でも創ってみせる」


「そ……れってすごいね」


「能力が高すぎるのも考えものだ。お陰で政治や権力争いに巻き込まれることも少なくない。だからハーゲンティの魔族は舐められちゃいけない。付け入るような隙があるんじゃ、駄目なんだ」


「……」


 私はまだジークのことを全然知らない。たぶん、その知らないジークが受けた傷なんだと思った。隙ってなんだろう。彼の姿を見て誰がどう思うのか、考えるのも躊躇われた。


 でもジークは、私のそんな深読みを察したかのように、何でもないように、素っ気なく語った。


「子供の頃……母親が、目の前で亡くなった。俺を庇って、車に轢かれた」


 私は知らずの内に唾を呑み込んだ。咄嗟に頭のなかでその光景を自分のお母さんに置き換えて、味わったこともない嫌な気持ちが胸に滲んでいくのがわかった。


「相手は、俺のことを魔物だと思ったんだ。それで、意図的に轢き殺そうとしたらしい」


 ジークがおどけるように、への字口で肩を竦めてみせた──が、私は、言葉が出なかった。


 ようやくつっかえながら、


「……酷すぎない?」


 とだけ搾りだした。


 同時に、ちゃんと確認しなさいよとか、そもそも魔物だろうと何だろうと普通に事故だっつーのとか、子供にそんなこと聞かせんなよとか、じわじわとどうしようもない怒りが沸いてくる。


「だろ?俺もそう思う」


 それで──それなら。脱ぎ捨てたい、って、望んじゃっても、仕方ないのかな。


「だから俺は、過去を克服する。過ちの原因を取り除いて、揺らがない根拠を手に入れる。俺の人生に立ち込める暗雲を嵐で追い払う。そうして今より胸を張って、家を守り、ハーゲンティの誇りを繋ぐんだ。そのために、ここに来た」


 ジークの言葉は、私が想像した斜め上だった。


 悲しいからでもない。辛いからでもない。復讐じゃない。逃避じゃない。


 ──今よりも胸を張るために、克服する。


 自分の浅はかさを思い知らされた。彼の琥珀の瞳がいつも熱く煌めいているのは、強くなろうとしているからだったんだ。彼がいつも背筋を伸ばしてふんぞり返っているのは、自信を手に入れる努力をしているからだったんだ。


 だけどそれは、病気やケガで寝ている時間をすっ飛ばして、病院に駆け込んで、明日から働きたいので早く手術してください!って叫んでいるみたい。


 きっとジークだから耐えられているだけで、本当は、抱えてるだけでも痛くて辛い筈だ。


「ジーク、手」


「ん?」


「魔力補給」


「ああ。ありがとう」


 今度は両手で、さっきよりも強くジークの手を包んだ。瞬きを二回もしない間だった。


 私の手から離れていく時間が、惜しかった。


 私がもう何も言わないのを察して、ジークは、読みかけの料理本を開いた。




 余計にわからなかった。ジークが私に構う暇なんて、無いじゃない。








 .








「見つからなかったね」


「そう簡単にはいくまい」


  当然というかがっかりというか。二、三時間、私とジークは階段で読書に耽ってみたが、収穫はなかった。ああ、えっと。


 長らく同じ姿勢だったので二人して伸びをしながら立ち上がる。


「あいててて」


 膝や肩甲骨がポキポキ鳴る。


「いでで」


 魔族も変わらないのね、その辺。私が吹き出すと、ジークも困ったように笑った。


 持ってきたときと同じようにジークが二十冊を纏めて持ち上げたので、私は先回りして図書館の扉を開けた。


「どーだった?」


「どーにも」


「ま、そんな日もあるねえ。お疲れ様。ちなみに落丁とか誤字とか無かった?ミミック混ざってたりしなかった?」


 カウンターでモニカとそんなやり取りを交わす。さてはそれが目的だったな。抜け目ない。


 それからちょっとだけ、あーだったこーだったとモニカにそれぞれの書籍の内容やらを説明して、最後に丁寧にお礼を言って、私たちは図書館を後にした。








 薄ぼんやりした暗闇の中に、天高く螺旋階段が昇っているのを見上げてウンザリ。


 ま、いいか。たまには運動運動。ちょっとした登山みたいなモンよ。


 ジークが無言で階段を登っていくので、その背中を追う。


「ジーク、あのさ」


 なんて──なんて声を掛けよう?


 元気を出して。もう元気でしょ。


 悲しまないで。余計なお世話よね。


 だって、ジークはもう自分で答えを出している。私の言葉なんて必要としていない。


 だけどジークが大事にしていること、前に進もうとしていることを打ち明けてくれたのに、何も反応しないのは、卑怯者のすることだ。


 だから伝えよう。


「今日、楽しかった!色んな話が聞けて。また一緒に、探そうね」


「……」


 私がせっかくとびっきり微笑んだのに、ジークは振り向きもせずどでかい溜息を吐いて、顔を覆っていたようだった。む、む……。呆れているというより、なんか……違うような。


 やっと目を合わせたと思ったら、今度は不敵に笑っていた。愉快でたまらない、というような。初めて会ったときのような表情だ。


「やっぱり二人で見よう。魔界の景色」


「え、なんでその話になんの……」


「お前に拒否権などない」


「あるわい!」














 ちなみに翌日、私はしっかり筋肉痛になった。


 あとモニカ、エレベーターあるなら最初からそう言ってほしかったなぁ。












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