自分の特性を識るということ

 わたしは結局のところ、ADHD(ADDかな?)で、ASD(アスペルガーのが分かりやすい?)である。

 ばっちり当てはまる。

 ちなみに、診断はされていない。本を大量に読んで(!)、自分を理解しているだけ。でもそれは間違っていないと思う。


 わたしは結局のところ、知力で人生をうまく生き抜いてきたのだ。

 もし、わたしがもっと馬鹿だったら、こんな人生ではなかった。

 考えること、本を読んで理解する力があること、分析力があること、観察力があること、そうして得た情報を自分の中に取り込んで再構築する力があること。

 それがわたしを転落させずに生きさせた源だ。


 時々、馬鹿の方が人生生きやすいと真剣に思う。

 出来ない方が楽でいいと思う。

 わりに人の五倍のスピードでやってしまうので、それを「通常モード」として、もっともっとと求められることが多かった(あ、だからケーキ屋さんで「遅い」と怒られたのは、衝撃だった)。


 過集中という言葉があるでしょう。

 わたし、これ、すごく当てはまるの。

 ここんとこずっと何か書いていて、なんとカクヨムの嫁とか運命とかサレ妻入れて、8つの賞に応募した。

 何かぶち切れて、思いつくところ全てに応募したのだ。

 数ヶ月過集中状態でした。

 睡眠時間4時間くらいでも動いていたし、頭も回っていた。


 今は、ひと段落して、定点確認しているところ。



 過集中はわたしの大事な特性なのです。

 これがあるから、広義な意味で文章に関わる仕事をずっとしていたわけで、それは「何もないところからつくりあげること」に適した特性でもあった。

 過集中はわたしを作っている大事な要素。

「一生懸命やらなくていい」とよく、両親に言われたけど(今でも言われるけど)、でも、一生懸命やらなかったら、わたしじゃないんだよ。いいんだよ、一生懸命やって人の五倍働いて大変そうに見えても、それがわたしなんだから。弱音なんて吐いていないし。


 そうそう。

 奈落に落ちたら? の話。

 わたしは考えるのです。

 どうして奈落に落ちたのか。自分はどうして落ち込んでいるのか。自分はどうしたいのか。奈落の底に穴を掘って考える。深く深く。

 そうして生き延びてきたのです。

 そうして、深く深く考えて、自分を理解してきた。

 

 だから、生きてゆける。

 ときどき、死にたくなるけど。

 どうして死にたくなるんだろう? この、寄る辺なさはどこから来るんだろう? とかも考える。


 いいんだよ。

 時々死にたくなっても、それもわたしなんだから。

 いいんだよ。

 泣きながら、死にたい、とか言っても。

 だって、そいういうのもわたし。


 過去は変えらえないから、死にたくなるのも仕方がない。

 いいんだよ、それで。


 そんなふうに思っている。

 そうして、今日、いま、生きている自分を褒めてあげるのです。

 わたし、生きていて偉いって。



 もっと馬鹿に生まれたかった。

 賢くない方がよかった。


 だけど、きっと、見える世界が違っていて、今の方がずっと遠いところまで見渡せて、美しいものもたくさん見えるから、これでいいや。

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