応援コメント

つきあってからするものなのだろうか」への応援コメント

  • 順番は、どうでもいいといえば、乱暴かもしれない。
    気持ちがたかぶり、体を重ね、相性いいとさらに好きになる、お互いに。そこの魂があえば、たいていはよほどじゃなければ、マイナスにならない。ほんとに、不思議です。(笑)

    少しずつ距離が近づいて、少しずつ魂を合わせていくように、付き合う過程で体を重ねる。それもまた良し。
    でも、経験則として以下略。プラスになればいいけどね、ってのは、ありますよね。

    わたしも一時期、恋愛脳だったらしいので、すごく。わかります。感覚的に?

    魂がふれあうくらい心地よい距離は、相手によってちがうものかなあ、なんて、ふと思ったりします。

    作者からの返信

    香坂壱霧さん
    そうなんです。
    躰を重ね相性がよくて、魂が合えばもっと好きになるのです。
    その後何度もすることで、また違うところにいける。
    完全に二人だけの世界。
    それは二人で作り上げていくものだとも思います。
    ゆえに人数じゃないなあって思うのです。その人と、どこまで深くいけたか、かな。

    経験則なんです。
    いろいろ失敗をしてきているので(笑)。
    「すきです、つきあいましょう」からではなんかうまく行かなかったというか。

    距離感は大事です。
    その距離感も同じくらいだといいなって思います。

    ところで、恋愛脳だとつい自分の恋愛を書きたくなってしまうので、物語は書けないなあって思ったりしています。

  • 付き合う前に体の相性を確かめるって、考え方もあるのですね!

    付き合って、お互いのことを色々わかってきて、仲が深まってから……って、順番が正答なんだと思い込んでいました。

    作者からの返信

    結音さん
    経験則かなあ。
    なんていうか、そこの相性が合わないと、結局うまく行かないのです。
    その人そのものがよく分かるから。そこがすごく大事なのです。
    隠しきれない、内面が出るというか。
    思いやりとか尊重とか。

    昔は結音さんみたいに思っていました。
    (遠い目)
    それで失敗したというかなんというか(笑)。

  • ん。ほんと大事だとおもう。
    そのひとの文字通りのぜんぶ、気持ちと物質のすべてを、相手のために使う行為。それ以上はそのひとのいのちからは出てこない。
    大事だとおもう。
    そこでダメなら、なにをどうしても、繕うことはできないと思う。

    いま、思いついた。
    すっごいごめんなさい。
    全力でことばを書いてやりとりをする場合、特に作品としてそのひとを表した場合。その作品を経由したやりとりって、そうした行為に似ているなあ、って。
    逃げること能わぬ、のっぴきならない、そのひとの全部を置いてくる行為だなあ、って。

    えへへ。

    作者からの返信

    いっちゃん
    ほんとうにそうなんだ。
    そこが合う合わないが、とっても大事。
    思いやりでもあるし尊重でもあるし、いろんな、人間として大事な要素がぎゅって詰まっている。

    全力でことばを書いてのやりとり!
    そうかも! というか、そう!
    なんていうかね、魂そのものじゃない?
    魂を好きになれて、魂に共鳴出来たら、すごく幸せ。

    しかし、そもそも、ことばでやりとり出来ることそのものが、わたしにはほんとうに奇跡。
    だからいつもありがとうって思う。

    ぜんぶ。
    わたしのぜんぶで、物語を描く。
    そして、カクヨム内の大事なひとたちがそのひとの全部書いたものを読む。
    夢みたいだ。