ダークサイドに落ちる原因はいつも同じ

 とーりちゃんの死神さん、まだ読んでいない。

 まずい。

 ただでも、家から出て仕事(ケーキ屋さん)してきたから、少しマシになった。


 ダークサイドに落ちる原因はいつも同じ。

 長男です。

 長男はいろいろあって(割愛)、育てるのがほんとうに大変でした。小学校は暗黒でした(わたしが)。夕方の電話は恐怖です。学校からの「今日、こういう問題があって」という内容なんです。胃が痛いです。

 学校に行きたくないときも多くて、てゆうか、人間的におかしい担任のときはむしろ行かなくてもいいと思っていて、でも欠席連絡を「連絡帳で近所の子に渡す」のが苦しくて、拷問のように感じていました。ただ、わたしはたぶん、他のひとよりタフだったので、学校側との交渉の末、いろいろ改善しました。


 わたしがずっと思っているのは「誰もたすけてくれない」です。「誰も」には夫も入ります。行政なんて、まったく頼りになりません。担任の先生にいじめられていたとき、教育委員会にも行きました。

 ああ、死なないと(あるいは死んだとしても)、動かないんだなあ、というのが感想です。


 子育てがどれほど大変でも、誰もたすけてくれません。

 夫は去年ちょっと関わりました。

 でも、たった一年で、父親は「あそこのお父さんは偉い、よくやっている」になる。

 なんで?

 わたしがずっと、それ以上の大変な思いをひとりでやってきたのに、なんで?

 世の中は不公平です。

 

 別にそんなことはもはやどうでもいいのだけど、わたしはたぶん、自分がやりたいことを全て諦めて、子育てをしてきたのです。理由は育てるのが大変な子だったからです。

 でも、それはいざ自分が働きに出ようとすると、マイナスでしかない。

 仕方がない。

 だけど、当の本人が、あんまりな態度をとると、頑張ってきたことも、わたしの人生も、わたしという人間そのものも、すべて否定された気持ちになるのです。


 悲しいです。

 嘘ばかりつかれて、ほんとうに悲しいのです。


 わたしはなんであんなに一生懸命子育てしてきたんだろう?

 わたしはなんで、ほんとうにあらゆることをぐっと我慢して、子どもを育ててきたんだろう?


 こんなふうに刺されるなら、子どもなんて要らなかった。

 結婚しなければよかった。

「誰も知らない」の映画みたいに、子どもなんて、放って自分の好きなことをしていればよかった。わたしはあの母親が羨ましのです。


 わたしはもっとずっと前に死のうと思っていたのです。

 生きていても意味がないから。


 自己分析した結果思うのは、わたしは親の愛情が足りてないのです。

 つまようじ事件で分かるように。

 いっちゃんが言うように、のろいがかかっているのです。

 ずっとずっと頑張ってきて、でも我慢が足りないと言われてきて。

 

 もっと違う人生を生きてみたかった。

 もっと違う親のもとに生まれたかった。


 分かっている。

 わたしの親はそこまでひどくないって。

 きちんと恵まれた環境だったって。

 でも、わたしは自分がつらいときには、ぜったいに実家に帰らないと決めているのです。だって、いっそう傷つくだけだから。


 もっとわたしという人間を分かってほしかった。


 それが、親に望んだことです。

 でも、ずいぶん長い時間をかけて、諦めたのです。


 親とは日本語が通じない。

 でも、自分の日本語が通じるひとといればいい。


 そうして生きてきて、まさか自分の子どもと日本語が通じないだなんて。



 ほんとうに大切に大切に育ててきて、ほんとうに一生懸命頑張ってきたのに、どうしてわかり合えないのだろう?

 頑張ったことが全て無駄だったのかと思える。



 生まれて来なければよかった。

 ほんとうに、生まれて来なければよかった。


 一生懸命生きてきて、どういう罰なんだろう?

 わたしが何をしたというのだろう?



 早く消えてなくなりたい。

 早く消えてなくなりますように、と祈っている。



 たぶん、これ、コメントもらってもお返事出来ません。

 ダークサイド垂れ流しでごめんなさい。

 

 わたしが親になって思うのは、「無償の愛」の押し付けは苦しいということ。そして、何かあると、基本的に「母親のせい」になるということ。誰もたすけてくれないということ。


 サインドバックみたいにされて、それでも我慢しなくてはいけないのだろうか?

 


 子どもを大切に思う気持ちは本当です。

 嘘ではないのです。

 でも同時に、あまりにもひどい態度をとられると、ほんとにわたしの人生を否定された気持ちになるし、わたしはきっと一生をそのことを赦せないように思うのです。それは、頑張って来た分、そう思うのだと思う。


 だからよく、頑張って子育てしなければよかったって思うのです。

 ほんとうに、たいせつにたいせつに育てたりしなければよかった。



 こんなを読ませてごめんなさい。

 コメントは要りません。

 ちょっと書かないと息が出来ないので、書いたの。


 *


 という文章を昨日書いて、それから「紫陽花ミステリー(仮題)」のために読んでいる虐待に関する本の二冊目を読みました。

 一冊目より二冊目の方が当たりでした。使えるかどうかはおいておいて、とてもおもしろい。


 その中に「一に、美味しく食べて、二にぐっすり眠れて、三に、誰かと気持ちが通じ合うことができれば、人は幸せである」という文章がありました。


 最近、こころの中の箱が開いているのです、ほんの少し。

 でもこの本を読んだら、さらに開いてしまったような気がします。

 ときどき開いちゃうのです。

 だって、消えてなくなるわけではないから。


「誰かと気持ちが通じ合うことが出来る」


 些細なことでは、もちろん、親と気持ちは通じ合っていたと思う。

 だけど、人生の根幹に関する部分では、まったく少しも分かってもらえなかった。それは今でも。


 そういうさみしさが、わたしの中にはまだきちんと残っていて、しまうことは出来ても、消すことは出来ないんだなあってしみじみ思いました。


 不遜に聞こえるでしょうが、わたしはもっと頭が悪い人間に生まれてこればよかったのです。思考力のない内省することすら考えない人間に。

 そうして、親が言うままに「結婚して子どもを生めば幸せ」って、本気で思える人間だったらよかった。


 こころの奥にを見通して、ついうっかり何もかも見てしまうことを繰り返す。

 もちろん、そこに蓋をして生きていくのだけど、鍵をかけて生きていくのだけど、つらいことが消えてなくなるわけではないのは、大人になってもいっしょなのです。


 わたしが、妙に「おいしいごはんをつくること」に熱心だったのも、かつては「ストレス解消のためにはまず眠る」っていう姿勢だったのも、生きて行くための、涙ぐましい努力だったのだと、思いました。無意識的にそれがだいじだと思ったわたし、偉いなあと思ってみたり。


 わたしは虐待されていたわけではないのです。

 でも、小学校のときに「尊敬するひと」の話になり、多くの子が「親」とか「両親」とか「お父さん、お母さん」と答えていて、それは本気で言っているのだろうか? みんな、周りに合わせているだけじゃないのだろうか? と思ったことをありありと思い出しました。

 少しも尊敬出来なかったのです。

 自分の親を尊敬出来るなんて、まったく信じられませんでした。


 北朝鮮に拉致された、横田めぐみさんの両親を見て(お父さんは亡くなってしまったけれど)、いつも泣けるのです。

 こんなふうに探してもらえるなんて、と思って。

 こういうのが親の愛情なんだなあって思って。

 わたしも、わたしのきょうだいも「もし自分たちが拉致されたとしても、こんなふうに探してもらえなかった」と確信しています。でもきっとそれは、そんなに特殊なことではない気がします。

 虐待ではない。

 だけど、わたしはほんとうは、「探してくれる」という確信こそが、欲しかった。

 でも、ぜったいに探してはもらえない。

 それが現実です。


 そう言えば、わたしの母親は、たぶん、わたしが小学校の高学年から高校の一年生くらいまでの間、いろいろなひとと浮気をしていました。詳細は知りません。

 わたしはそのことで、母親を汚いとかは思いません。

 ただ、自分が母親になって、「浮気する時間と心のゆとりがどこにあるのだろう?」と不思議に思うのです。

 わたしにはそんな時間、まったくありません。

 そうか。

 つまり、わたしが子どものことを考えている間、彼女は恋をしていたのです。

 そういうのって、あとから傷ついたりするんだな、と思いました。


 わたしは問題を起こさなかったし、友だちがいなくても親に相談もしなかった。成績もよかった。

 だけど、常に「何も出来ない駄目な子」「我慢が足りない」「努力が足りない」と言われてきたし、いつも気分で怒られていた。

 

 ずっと、さみしかったんだなあって思います。


 虐待はされていないけれど、でも、わたしは「無償の愛」って分からないのです。いつだって「条件つきの愛」でしかなかった。

 そんなわたしが、いくら頑張っても、子育てなんか出来ない気がするのです。

 

 どうして子どもを生もうと思ったのだろう。

 どうして出来ると思ったのだろう。

 わたしには「無償の愛」って分からないのに。


 ずっと昔から、消えてなくなってしまいたかった。




 だけど、自分で自分を褒めて生きてきたのです。

 二十歳くらいのとき、突然そう思うことにしたのです。

 まず、自分で自分を認めようって。

 わたしの人生はそこから始まっているのです。


 だけど、泣いているわたしはいつだって、こころの中にいて、永久に癒されることなく、そこにいて、いつも鍵のかかった箱の中にいるのです。

 その箱を長男が無情にも開けるのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る