松葉杖の真面目な話
ちょっと滲み出てしまうので、ここに書いてまとめておきます。
わたし、中学生のとき、松葉杖生活でした。
つまようじが足の裏に刺さって化膿して。
土岐三郎頼芸さんのコメント見るまで「大怪我」って思っていませんでした。
「つまようじ刺さったバカな子」って、家族に思われていたのです。自分でもそう思っていました。足の裏の傷に詰めたガーゼを替えるのはほんとうに痛かったです。
病院はね、学校から帰ってから行ったのです。
つまようじが刺さったのでばたばたしてしまい、遅刻して学校に行ったので、母は「釘が刺さって病院に行ったから遅刻します」と連絡を入れたのでしょう。
病院は学校から帰ってから行ったのです。
「西さんち」を書いていて気づいたのだけど、もしかしてすぐに行けば、わたし、化膿しなかったんじゃない?
でもわたしの両親は「学校は絶対に休んではならない素晴らしい場所」であると考えていたし、「先生は全て素晴らしい人」だと思っていたので、とても「病院に行きたい」とは言えませんでした。
そうか。
あれは大怪我だったんだ。
「つまようじが刺さったせいで、遅刻したダメな子」だと、ほんとうに今までそう思っていた。だって、そう言われていたから。病院に連れて行かれたけれど、母はなんか怒っていた気がする。「つまようじ刺したくらいで、大げさな」と思われていた。
学校へは送ってもらった。それはたぶん、そう。
でも、校内での配慮はいっさいなかった。
体育館へ移動も、階段を下りて、永遠に辿り着けないかと思われる場所まで行った。
わたしは友だちが多いタイプではなかったし、たぶん、そのクラスにはすごく仲良しの子はいなかったので、みんなに置いていかれた。先生だって、当然わたしを無視した。そして、体育館に着くころには、もう体育館でのことは終わって、みんな帰って来た。
すごく、さみしかった。
悲しかった。
わたしは学校が嫌いだったのです。
毎日行きたくないって思っていた。
だって、つまらなかったから。
勉強は出来たけど、でもだから授業はつまらなかった。
分かっていることがずっと続くから。
それに体育館の話から分かるように、わたしは人間関係をうまくやることが苦手でした。
授業中、わたしはずっと空想をしていたのです。
いまのわたしが中学生のわたしに会ったら「お前、もっと真面目に勉強して、そこそこの成績じゃなくて、一番を狙え!」と言うんだけどな。わたしは勉強しなくてもテストで点がとれたので、勉強しなかったのです。毎日小説を読んで、そしてお話を書いて交換日記やエッセイもどきを書いて、生きていた。
でも、こころの中に、そういう傷つきやすいわたしがいるのは、きっといいことなんです。ときどき、ぎゅって抱きしめてあげたい。
大人になって気づくことってあるんだね。
いまだにあるから、驚きます。
わたしが勉強しなかった理由の一つは「女の子だから」です。
「女の子だから」勉強は出来なくてもいいのです。
そういう感覚が家の中を支配していた。
女の子は適当な学校に行って就職して、そして結婚するのです。
結婚して子供を産むこと。
そこが重要ポイントでした。
そんなわけで、わたしは男女差別に敏感です。
たぶん、そのことで、小さなころから理不尽な思いをしてきたから。
今でも思うのは、ほんとうにいろいろ気づかない人間だったらよかった、ということ。いろいろ出来ない人間だったらよかった、ということ。「出来ない~」で済ませられる性格だったらよかった、ということ。
ただでも、つい頑張り過ぎる性格を形成した一端は親にあるなあ、と思う。長女だしね。
傲慢に聞こえるだろうけど、ときどき、ほんきでもっとばかに生まれたかったと泣いています。ほんとうにそう思うのです。なんだか、その方が生きて行くのが楽な気がしてしまうのです。
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