訓練

「射撃やめ!射撃やめ!」


 教官の言葉が訓練場に響くと同時に、射撃を行っていた親衛隊員たちが手にしていた小銃を降ろす。


 マリアが革命親衛隊に入隊してから、早くも3ヶ月が経とうとしている。第12親衛歩兵大隊教育中隊に配属された彼女は、小銃射撃や白兵戦のための剣術及び槍術等の訓練と作戦行動に必要な座学を繰り返す毎日を過ごしていた。


「休憩!5分後に再開する!それまで各自水分補給をしておくように!」


 その言葉を聞き、隊員たちがヘロヘロとその場に座り込む。そんな中で、マリアは立ったまま背嚢から水筒を取り出すと、コップに中身を注ぎ、ゆっくりと喉に流し込む。


 14歳という年齢から考えれば、準軍事組織といえど訓練や座学についていくだけでも大したものである。そもそも、マリアと同年代の人間は小銃を構えたり剣を振るう段階で脱落し、後方部隊――要するに輜重や衛生などに回されることの方が多いほどである。


 しかし、マリアは軍事訓練や座学に追われ、ろくに睡眠もとれないことも珍しくはない営内生活に普通では考えられない速度で順応していた。当然のことであるが──数年間監禁されていたことで彼女の基礎体力は相当衰えていたし、孤児院に入ってから多少は運動をするようになったとはいえそこまで体力をつけるために努力した記憶はない。


 そんなマリアが営内生活に順応し、更には決して軽いとは言い難い小銃や剣を構え、振ることが出来るのを見て教官や周りの隊員は勿論のこと、彼女自身が一番驚いていた。


「マリアの体力には驚かされるよ、そのちっさい体の中のどこからそんな力が出てくるのやら」

「……どうも」


 床にへたり込んでいる訓練隊員の1人が、茶化すようにマリアに話しかける。その言葉に、彼女は素っ気なく返事をした後、コップの水を一気に飲み干した。


 マリアの所属する教育中隊第8小隊は、女性の隊員のみが集められた小隊である。当初は男女を分離することはなかったそうだが、衛生上の問題を始めとして多くの問題が浮上したため、男女を分かつようになったらしい。


 しかし、そうは言っても警察などとは違い直接的な戦闘任務に投入されうる――隊史の授業によれば、既に小規模な暴動鎮圧なども勘定に入れれば、数十回の出動実績を持ち、投入された隊員は延べ十数万人を数えるそうだ――組織であるため、女性隊員というのはやはり絶対数として少ない。


「あまり茶化すような言い方するな、サンソン二等兵。貴様ももっと頑張って体力をつけろ、手を抜くことが悪いとは言わんが実戦で『あの時もっと鍛えておけば』と思っても誰も責任はとってくれないぞ」

「も、申し訳ありません、プルスト上等兵殿」


 二年目の隊員である、アリーヌ・プルスト上等兵がマリアを茶化した訓練隊員をたしなめる。彼女はマリアらが所属する分隊の副分隊長を務めており、新兵の監督役として小隊に加わっている。


 1個小隊およそ30人ほどの新兵を教官1人で見るのはおおよそ不可能に近いため、こうして2年目の上等兵や3年目の伍長などが複数人分隊長や副分隊長として小隊に加わっていた。


 ちょっと前まで普通の市民、そうでなくともおよそ武器や厳しい規律とは無縁の生活を送っていた新兵たちは、教官というよりも上等兵や伍長といった数年上の『先輩』によってみっちり扱かれることになる。


 普通、革命親衛隊においては新兵教育は3ヶ月で一応終了し、その期間を終えた親衛隊員は教育中隊長を筆頭とする中隊幹部によって『革命初頭軍事教練履修済』の認定を下され、本人の希望と充足状況によって各地の革命親衛隊部隊に配属される。そして、配属先で優秀であった場合は2年目もしくは3年目に教育中隊に異動し、自らの後輩を『教育』する権利を得るというわけだ。


「休憩終わり!集合せよ」


 そうこうしているうちに小休憩は終わり、マリアを含め隊員たちは再び訓練に戻るのであった。


――――――――――


「それでは本日はこれにて解散!各自宿舎へ戻るように!以上!」


 教官のその一言を聞き、新兵たちは疲労困憊した状態で各々の宿舎へと戻っていく。既に太陽はその地平の底へ沈んでおり、既にルスターが暑い季節へと移行していることも相まって、宿舎に戻ってからも新兵たちは茹だるような暑さに苦しまされることになるため、彼らの顔は一様に暗かった。


 マリアも宿舎に戻るが、彼女の顔に浮かぶ表情は他の新兵らと違い多少明るかった。何故なら――


「マリアは明日でもう訓練終わりだっけ?羨ましいなあ」

「そうですね。皆さんと離れるのは少し寂しいですし、『修了試験』が何なのかが分からないので、ちょっと怖くもありますね」


 宿舎に入り、自分が割り当てられた部屋へと歩いていると、いつの間にか横に来ていた少女──マリアと同室のセヴリーヌ・マルシェに声をかけられる。


 新兵は普通、4人もしくは5人ごとに分けられ、そこに班長として上等兵や伍長が加わり営内班が編成される。しかし、第12親衛歩兵大隊の場合は女性隊員に割り当てられた宿舎がかなり広く、余裕があったため班長含めて3人もしくは4人で営内班が組まれている。


 つまり、彼女はマリアによっては同室かつ同じ新兵という立場のパートナーであり、当然この3ヶ月で最も仲良くなった人物である。ただ、彼女はマリアよりも若干後の方に入隊したため、今日で一応訓練期間が満了となるマリアと違いまだ訓練は続くのだが。


「班長に聞いても頑なに教えてくれないもんね、でもマリアは座学も戦闘訓練の方もちゃんとやってるんだし、何とかなるでしょ!」

「だと良いんですけどね……」

「その後ろ向きの考え方はダメだって班長にも言われたでしょ!私を見なさい、戦闘訓練はともかく座学は何回も再試に引っかかってるけどこうやって何とかなってる!」

「多分それは誇ることではないと思いますよ……」


 宿舎の廊下を歩きながら、他愛もない会話を交わす。革命親衛隊に入った当初はビクビクしながら人と接していた彼女だが、慣れてくると意外に居心地がいいことに気づいた。貴族令嬢であった時のような堅苦しさはなく、孤児院にいた時のような、どこか互いに警戒しているような居心地の悪さはない。


 理不尽なことも多く、年頃の少女だというのに堂々と顔を殴られたり、ベッドが少しずれていたというだけで烈火の如く叱られたことも幾度もあった──それは戦場という理不尽の塊に向かう前に理不尽に|慣れさせなければならないという事情があってのものだろうが── とはいえ、同じ境遇にある同期の新兵とはそれなりに仲良くできていた。


 しかし、それも明日までだと考えると、少しだけ寂しいものがある。そんなことを考えながら部屋のドアを開けると、先に戻っていたらしいプルスト上等兵が待っていた。マリアとセヴリーヌが所属する内務班長も彼女が務めており、この3ヶ月で最もお世話になった人でもある。


「ヴィユヌーヴ二等兵、只今戻りました」

「マルシェ二等兵、只今戻りました」

「ご苦労だった。座ってもいいぞ」


 マリアとセヴリーヌが敬礼の姿勢を取って挨拶すると、プルスト上等兵はベッドに座りながら座るように促す。敬礼を止め、プルスト上等兵に促されるまま2人は部屋の床に座った。


 部屋に帰ってからも新兵たちの訓練は終わっていない。部屋の清掃や衣服の手入れ、座学の復習など班長による検査が存在する作業を部屋では要求されるのである。当然今日もそれが待っているというのは分かっていたので、そのつもりで2人はプルスト上等兵の指示を待っていた。


 ……のだが、どうにも様子がおかしい。普段なら部屋につくなりすぐに清掃を命じるプルスト上等兵は、ベッドに座った状態でニコニコとするばかりで、何も言ってこないのだ。勝手に何かをするわけにもいかないため、2人は互いに顔を見合わせ、首を傾げながらプルスト上等兵を見つめる。


「私が何も言わないのが不思議で仕方がない、といった具合だな」

「は、上等兵殿。指示を下さらなければ、我々は何をもすることが出来ません」

「そう改まるな。少なくとも今日に限っては――この部屋の中で、という縛りはつくが、楽にしてもらっても構わない」


 プルスト上等兵は、マリアとセヴリーヌの臆した様子を見て微笑を浮かべながらそう告げる。しかし、そうは言っても訓練で染みついた上下関係はそう簡単には崩れない。


 マリアとセヴリーヌが一向に正座の体勢を崩すことなくいると、プルスト上等兵の表情は微笑から苦笑に変わった。


「分かった。命令がないと不安ならばそれに応えるしかないな。ヴィユヌーヴ二等兵、マルシェ二等兵、命令だ、楽にせよ」

「「はっ」」


 命令とあらば従うしかない。マリアとセヴリーヌは今度こそ正座を解き、足を延ばして楽な姿勢を取った。プルスト上等兵は、マリアとセヴリーヌが肩の強張りを解いたのを見て満足そうに頷いた。


「ヴィユヌーヴ二等兵――いや、固いのはやめようといったのは私だったな。マリア、いよいよ明日で君は革命親衛隊の教育課程を終え、この教育中隊を巣立つわけだが――この3ヶ月間、どうだった?」


 当たり障りのない質問を受け、マリアはしばし考えこむ。ずっと訓練と座学漬けで、間違いなく生まれてこの方最も厳しい3ヶ月であったが、その反面――悪くはない日々だったと言えた。


「そうですね……確かにとても辛い期間でしたが、悪いものではなかったと思います。上等兵殿や教官殿はとても親身に私を指導してくださいましたし、その……」


 話しながら、マリアの顔は少しだけ朱くなっていく。感謝の気持ちを伝えようとしたものの、口をついて出る羞恥に敗北したといったところだろう。プルスト上等兵はそれを見てハッハと笑い、マリアの肩をバシッと叩いた。


「なるほど、なるほど!要するにとても素晴らしい毎日だったということだな!セヴリーヌ、君もそうは思わないか?」

「は、はい、上等兵殿。私もそう思います!」


 勝手にまとめたプルスト上等兵の言葉に、セヴリーヌは否定せずに(若干顔を引き攣らせながらも)乗っかった。否定するわけにもいかずマリアがどう答えたものかと思慮していると、その心の中を見透かしたかのようにプルスト上等兵が話し始める。


「まぁ、ともかく。おめでとう、マリア。明日の修了試験を終えれば、君も晴れて我々と同じ誇り高き革命親衛隊の一員だ。君の成績、そして共和国に対する忠誠心の高さなら、試験に落ちることはないだろう」

「あ、ありがとうございます……」


 素直に褒められると、それはそれで少し気恥ずかしい。マリアはただでさえ少し赤くなっている顔をより赤くし、その顔を伏せた。


(そう言えば、『修了試験』って結局何をするんだろう……ここで聞けば、教えてくれるのかな?)


 顔を真っ赤に染め、プルスト上等兵の賛辞を受け止めながら、マリアは心の中でそう考えた。『修了試験』の内容については、厳格な箝口令かんこうれいが敷かれているらしく、新兵たちの中では様々な噂が飛び交っていた。しかも、脱落率が4割とかなり高いのも、それに拍車をかけていた。


 生来の性格として真面目で努力するタイプのマリアは、プルスト上等兵を含めた周囲の人間から『恐らく大丈夫だろう』と思われているとはいえ、前日になれば不安に感じるのは無理もない話だ。若干の逡巡の後、彼女は思い切って聞いてみることにした。


「あの、上等兵殿。一つ、質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ん?構わないよ、最後だし、何でも聞いてくれ」

「その――明日の修了試験とはどういったものなのでしょうか?具体的な内容を、教えていただいてもよろしいでしょうか?」


 するとプルスト上等兵は、それまでの柔和な笑みから一転して、険しい顔になった。更にマリアから少し目を逸らすと、小さくため息をつく。


「……それについては、教えることは出来ない」

「それは、言ってはダメだと言われているから、ですか?」

「それもある。そして――何も聞かされずに、君たち自身が、に向き合うことこそが、恐らくは君たち自身のためになると思うからこそ、私は――いや、我々は君たちに何も知らせない」


 その言葉に、マリアはあの時――コルデー大尉に対して『人を殺したことはあるか』と問われたその瞬間と同じ、根源的な恐怖のようなものを感じた。これ以上聞いてはいけないのだと本能で察した彼女は、小さく「分かりました」と答え、この話題を終わらせることにした。


「分かってくれたならよかった。それより、今日はマリアの卒業祝いとして、ささやかながら祝宴の用意をしている。喜び給え」


 マリアの返答にプルスト上等兵も小さく頷き、まるで何事もなかったかのように再び元の表情に戻り、徐にベッドの下をガサゴソと漁り始めた。マリアたちが黙って見守っていると、やがてプルスト上等兵は大きな箱を取り出し――いや、引きずり出した。目の前にドンと置かれたその箱にマリアとセヴリーヌの目線は釘付けになった。


兵隊酒保カンティヌでちょっとずつ買いためた食糧だ。生憎保存の効くものと酒しかないが、まぁ普段の食事よりはマシだろう」

「……え、あの……上等兵殿?よろしいのですか?」


 箱を開けて中身を机の上に出し、ごそごそと準備をし始めるプルスト上等兵に対して、セヴリーヌがおずおずとした様子でそう尋ねた。


 政治情勢や経済情勢で価格が乱高下する市場とは違い、国防軍や革命親衛隊が管轄する兵隊酒保は価格はほぼほぼ一定に保たれ、若干安いというのはマリアも聞いたことがあったが、それにしても保存が効く食糧や酒はそれなりに値が張るものだ。それを新兵に対して振舞うというのは、どうしても訝しんでしまう行動だった。


「ん?別に気にしなくてもいいぞ。私は特に趣味らしいもんもないのでな、新兵教育のための特別俸給が丸々余ってしまうわけだ。しかし、あんまりに貯えを増やすと税金で持っていかれてしまう」

「は、はぁ」

「そこで私は、君たち新兵にこれをお裾分けしようと思ってこの酒と食糧を持ち込んできたわけだ」

「そ、そうですか……」


 理由になってるかかなり怪しい返答ではあったが、折角のもてなしを断るのも失礼な話だろうと思い、マリアはコクリと頷く。セヴリーヌも同様に、マリアの隣で「いただきます」と言いながら箱の中身に手を伸ばした。


 その後は、飲んで食べての大騒ぎ――こそ教官にしょっ引かれかねないため控えたが、それなりに盛り上がった。しかしそんな中でも、『修了試験』への不安、そしてプルスト上等兵の言葉の真意について、彼女の心中は晴れないままであった。


 数時間後、マリアは不安と恐怖を携えたまま、床に就いた。

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