革命的転回

 マリアは起床時刻よりもよっぽど早く目を覚ました。と、いうよりもよく寝付けなかったといった方が正しい。普段は訓練の疲労で、目を瞑れば数分もせずに夢の世界へ旅立っている彼女だったが、昨日は──少しだけ飲んだ酒の影響があるのかもしれないが──1時間以上経ってもハッキリと目が醒めていた。


 おかげで眠りに就いたのは日付が回った頃であり、さらに元々早い起床時刻よりも早く目が覚めたため、眠気が彼女の体を支配していた。


 起床時刻に遅れることが言語道断とされる一方で、逆に早く起きすぎてもいけないという規則をこれほど恨めしく思ったことは初めてであった。


 結局、眠気に苛まれたまま1時間を過ごし――途中プルスト上等兵が新兵点検の準備のために部屋を出るのを少し羨ましく思いつつ――彼女は起床合図であるシンバルの音を迎えた。隣で寝ていたセヴリーヌがもぞもぞと起き上がるのを見てマリアも同様にベッドから降り、すぐに制服への着替えを含めた身支度を始める。


「おはよ、マリア」

「おはようございます」

「今日は頑張ってね、応援してるよ!」

「ありがとうございます」


 着替えや洗顔を行いながら、マリアとセヴリーヌは言葉を交わす。起床から部屋を出て点検を受けるまで、わずか7分しか時間がないため、朝は慌ただしくなる。その間に自身の身の回りだけではなく部屋の片づけまで行わなければならない。昨日の宴の後に若干片づけをしたとはいえ中々に散らかった部屋を大急ぎで片付け、ドアを開けて飛び出した時には刻限まであと十数秒であった。


「ヴィユヌーヴ二等兵、マルシェ二等兵。ギリギリではないか!もっと余裕をもって行動しろ!」

「「す、すみませんでした!!」」


 既に部屋の前で待機していた点検担当者から雷が落ちる。点検担当者はその部屋における営内班長ではない上等兵もしくは伍長から日替わりで選ばれるため、彼女らの部屋の班長が勝手に始めた宴の片づけのせいでここまでギリギリになったという事情は当然知ったことではない。


「……不備なし!すぐに移動せよ」

「「はい!」」


 急いで準備したのにも拘らず、点検に引っかからなかったためマリアは内心でホッと胸をなでおろす。


 そのまま2人は宿舎を出るが、セヴリーヌは通常通りの訓練であるのに対して、マリアは修了試験があるため、ここからは別行動となる。そして――配属部隊が一緒にならない限り、彼女とはここで一生の別れとなる。


 たった3ヶ月ほどの付き合いとはいえ、共に厳しい訓練を耐え抜いてきた戦友とも言うべき友人と離れることは、マリアとしても少なからず寂しいものであった。


「それじゃあ、ここでお別れだね。修了試験、頑張ってね!」

「はい、ありがとうございます。セヴリーヌも、訓練頑張ってください!」

「うん、ありがとう。もし同じ部隊に配属になったら、その時はよろしくね」

「はい、その時は是非」


 2人はそう言って別れの挨拶をし、それぞれの道を歩き出した。セヴリーヌは朝食を摂るために食堂へと向かうが、マリアはあらかじめ伝えられていた試験のために設けられている特別棟へと向かわなければならない。修了試験当日は食事なども分けられ、完全に受験者は他の新兵らとは完全に隔離された状況に置かれることになる。


 少しずつ増大する不安と緊張感の中、マリアは一歩また一歩と特別棟へと歩みを進めた。


――――――――――


 結論から言うと、修了試験のうち筆記試験と戦闘技能試験については、拍子抜けするほどには難しくなかった。作戦指揮や戦術の考案を行ったりするなど部隊の中核的役割を担うことになる士官や、その下につき彼らの指示を理解して兵卒を取り纏める役割を果たさなければならない下士官などと違い、基本的には上官の指示に従うだけの兵になるための試験なので、当たり前と言われれば当たり前なのだが。


 筆記試験はきちんと講義を聞き復習を欠かさなかった人間ならば、誰でも合格できるレベルのものであり、戦闘技能試験に至っては普段の訓練の延長線上のようなものであった。教官の反応からして、恐らくは大きなミスはしていないであろうことはマリアにも分かっていた。


 しかし――それが故に、彼女は緊張を強くしていた。彼女は戦闘技能試験の後に教官から告げられた『適性確認試験』なる試験を受けるため、別室で待機するように命じられていた。


 鉄製の床、壁、そして扉に窓すらないその部屋は、無機質という言葉を体現したかのような部屋であり、そんな中に1人で放り込まれたことも彼女の不安や緊張を増長したという側面は否定できない。しかし、それ以上にマリアはこの後に待ち受ける『適性確認試験』に対して強い恐怖を抱いていた。


(この試験で、4割も落とされている……)


 マリアは気持ちを落ち着かれるために深呼吸をしたが、その考えを頭から振り払うことはできなかった。明らかにダメな人間だけを振り落とすように設計されているらしき筆記試験や戦闘技能試験で落とされる人間は殆どいないであろうことを考えれば、脱落する4割の人間はこの試験で落とされると考えるのが自然だろう。


 しかし、『適性確認』で4割も落とされるというのは、普通にあり得るのだろうか?さらに言ってしまえば、この試験を受けているということは、曲がりなりにも訓練課程を全うし、試験を受ける資格があると認められているということだ。そんな人間が適正なしの烙印を押されてしまうことになるのは、到底考えにくい――


「マリア・ジャンヌ・ヴィユヌーヴ二等兵。試験の準備が整いました、こちらへ」

「……!はっ、了解しました」


 そんなことを考えていると、ギィという重厚な音とともに鉄扉が開き、無機質な声が響いた。マリアを呼んだ案内役の下士官に連れられ、彼女は試験場へと向かう。


 適性確認というのだから、きっと面接のようなものが待っているのだろうという彼女の考えは、試験場への道の時点で打ち砕かれていた。下士官の女性は、明らかに射撃訓練場の方へと歩みを進めていたからである。


(射撃訓練場……?)


 戦闘技能試験の一環として、射撃技能についてはもう試験が済んでいる。再びそれをやらせるのが『適性確認』?


 疑問は深まる一方であったが、それを口にする権限はマリアにはなかった。戸惑いや緊張を孕んだ心持ちを抱えたまま、マリアは射撃訓練場に足を踏み入れた。


 入口には、事務官と思しき男性が立っており、マリアを連れてきた下士官と一言二言交わす。彼はチラリとマリアを一瞥すると、ハンドジェスチャーで奥へと進むように示した。彼女はそれに従い、歩く。


「少し待っているように」

「了解しました」


 入れられたのは普段使っている広い射撃場ではなく、細長い1人で撃つ用の射撃部屋であった。防音の観点から密室となっているその部屋は、ひんやりとした空気と少々淀んだ火薬の臭いが漂っており、おそらくは直前に誰かが使っていたであろうことを物語っている。


 5分ほど待機していると、ドアが開く音が聞こえた。思わずそちらの方を見やると──


「久しぶりだね、ヴィユヌーヴ二等兵」

「……!コルデー大尉殿」


 そこに立っていたのはコルデー大尉であった。マリアは慌てて立ち上がり、彼女に向かって敬礼する。そんな彼女に対してコルデー大尉は「楽にしてくれて構わない」と言って敬礼を解かせると、後ろに立っていた下士官に合図を送る。


 下士官は頷くとマリアに対して小銃を渡してきた。マリアは若干困惑しつつもそれを受け取る。


「さて。既に聞いていると思うが、これが『適性確認試験』の最後だ。やることは非常に簡単、今からそこに出てくる“的”を撃つことが合格」

「射撃技能試験のように、的のどこに当てるかで点数が変わったりはしないのでしょうか」

「うん。外さずに当てれば──よっぽどのことが無ければは達成されるよ。心配しなくても、君ならば一発で合格できるだろう」


 恐る恐る質問したマリアに対して、コルデー大尉は穏やかな口調で答える。どこかその口上に違和感を抱きつつも、彼女は小さく頷いた。


「では、そろそろ始めようか。すぐにの準備を」

「はっ、了解しました」


 しばらくしてから、部屋の奥の方にある、マリアたちが入ってきた扉とは別の扉が開く。そこから出てきたのは――


「暴れるな!まっすぐ歩け!」


 小銃を持った憲兵と思しき兵士と、目隠しをされ猿轡を嚙まされた、囚人服を着た男性だった。その歩みは遅く、どこかというか、をしている印象を受ける。それを見て、マリアは思わずコルデー大尉の方へ振り向いた。


「大尉殿、まさかとは思いますが……」

「うん、アレが的だ。君がこの試験に合格するための条件は、アレをこの小銃で撃ち、その生命活動を停止させること」

「そんな」

「……人を殺したことがない君が罪悪感を抱かないように、試験前に少しヒントを上げよう。あの男は、既に革命法廷において死刑が宣告された死刑囚だ。つまり――共和国にとって唾棄するべき、だ」

「……!」

「そして、我々革命親衛隊の使命は『革命を擁護し、共和国の敵を全て排除する』ことだ。そして、そのは外国勢力や国内の反革命的政治勢力に留まらない。犯罪者や非行に走る人間などの『反革命的故意なき反革命勢力』までも、我々が排除するべき敵に該当する。よって、諸君らには正式に部隊に配属される前に、『共和国の敵を排除する』ことを実際に実行し、その職務が負う責任について、十分に認識してもらうことになっている。そのための『適性確認試験』なのだ」


 淡々と述べるコルデー大尉の言葉を受け、マリアは小さく身震いをした。そして、改めて彼女がこれから撃つことを命じられることになる囚人の男性の方へと向き直る。憲兵によって彼は壁に固定され、身動きすら取れないようにされていた。


 数分後、彼の命を奪った『人殺し』になってしまう。そう考えた途端、彼女を恐怖と不安が襲った。そして、ここに至りこの試験で4割もの人間がふるい落とされていることや、この試験について誰に聞いても頑として口を割らないのかを彼女は理解した。事前にそんなことを聞かされれば、恐らく試験を辞退する人間が続発するだろう。だからこそ、士官や下士官らがおり、容易には辞退を申し出ることが出来ないであろう土壇場で、その内容を告げるのだ。


「……ヴィユヌーヴ二等兵」

「は、はい!」

「君が葛藤する気持ちは分かる。しかし、善良な市民を撃つのならばともかく、罪を犯し共和国に仇名した犯罪者を処刑する程度のことで毎度毎度躊躇していては、戦場に立った時に間違いなく君は生き残れないであろう。勿論、どうしても無理だというならば辞退をすることも、制度上は保障されている。……選択の時だ、ヴィユヌーヴ二等兵。撃つか、撃たないか。自らの意思で決めたまえ」


 コルデー大尉にそう言われ、マリアは歯を食いしばり、覚悟を決める。一度大きく深呼吸をしてから、耳栓を嵌めてから小銃を構え、男に照準を合わせる。せめて一発で仕留められるように、その頭へと。


 もう一度深呼吸をしてから、引き金に指を掛ける。そして、一気に指を絞り、発砲した。


 銃声が、そしてすぐにくぐもった断末魔が室内に響く。銃弾はしっかり男の額を貫いており、壁に固定されたまま項垂れた彼は即死したであろうことが取れた。額からは血液がどくどくと流れ出ている。


「はぁ……はぁ……」


 小銃から手を離し、マリアは壁へともたれかかった。また、数ヶ月前のように意識を失いかけるようなことはあってはならない。彼女は息を整えながら、引き金にかけた指に残っている感触と、耳に残り続ける断末魔を一生懸命忘れようとした。その様子を見ながらコルデー大尉は小さく拍手し、マリアに語り掛けた。


「お見事だったよ、ヴィユヌーヴ二等兵。文句なしの合格だ。……さあ、後始末は憲兵の諸君に任せよう。試験はこれにて終了。すぐに宿舎に戻り、正式に試験の結果が通知されるまで待機すること。……もし1人で戻るのが厳しい場合は人を付けよう」

「あり……がとう……ございます」


 吐きそうになるのを必死に耐えながら、マリアは答える。『人殺し』になったという事実は、彼女の脳裏にしっかりと焼き付いていた。付き添いの下士官に連れられ、そのまま彼女は射撃訓練場を後にしたのであった。

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