第25話 真宵は抱かれました(風評被害)
分けられたイングリッシュマフィン。トマトの冷スープ。場違いなおやき。そして入れたばかりの紅茶。
カップを持ち上げれば、マンゴーを思わせる芳しい香りを感じられる。口に含めば、華やかさの中にも重みある風味が鼻腔を抜けた。
最高だ。
当然本国ならばもっと香り高い茶葉や、絶技とも言える腕を持った者も用意できるだろう。
しかし今は他国に出張中であり、連れて来た中で最も腕の良い人間も野暮用でいない。紅茶のポテンシャルを全て引き出しているかと問われれば、“NO”と言わざるを得ないのは事実。
それでも“最高”と言えるのは、時と場所、状況を考慮した上で考え得る限りの最高値に紅茶が応えている、と断言できるからだ。ついでに、飲んでいる本人の“やりたい事はやり終えた”という満足感も、多少は関係しているだろう。
カップを置き、マフィンに手をつける。
うん、グレイト。
マフィン単体でトーストすらされていないが、なかなかの仕上がり様。人間の味覚を楽しませる為に、さまざまな工夫が凝らされているのがはっきりとわかる。
時代の進む利点は、技術の進歩だと納得させられる実例だ。
続けて紅茶に口をつければ、フルーティーな清涼感がマフィンの後味を流し、同時に土に育まれた力強さを感じさせた。
さて、ここからが予想のできない領域だ。
好奇心から昼食の席に並んだ“おやき”。ジャパニーズ的な伝統食材が、果たして紅茶に合うのかどうか。
日本円で単品1260円という割と安いものではあるが、この挑戦には相応の価値があるだろう。最近の粘土ケーキは絶望的に合わなかったが、このおやきには不思議と期待が持てる。やはりこの
意を決してその物体に口をつける。
……なるほど、悪くない。
“うま味”の凝縮された、“大地”と“人”を感じさせる深みを感じさせる刺激。受け継がれた歴史の重みを連想させる。
しかし紅茶に合うかといえば……少々主張が強すぎるか。味覚と嗅覚を占領するせいで、紅茶の良さを殺してしまう。これはいただけない。
とはいえ好奇心は満たせた。それだけである程度満足できる。
では本命のトマトのスープをいただこう。
こちらは絶対に外れの無いことを経験しているので、安定した美味しさを楽しめるだろう。その代わり好奇心という点ではあまり満たされないが。
そんなわけでスプーンを入れようとしたところで……部屋の扉が開いた。
「ふむ、随分早かったな。予想では食べ終わるまで帰って来ないと思っていたのだが」
入室して来たメリュに飄々と言ってのけるオリヴィエ。
メリュの状況も、苦労も、全てわかっていたはずだ。それでもオリヴィエは干渉しない。自らの考えと、何よりメリュの意向あっての判断だ。
オリヴィエ自身も猫可愛がりが過ぎることを自覚しているので、望まれれば一定の不干渉は認める。
「耐えるのが、難しくなってました」
息の上がっていたメリュは、呼吸を整えてからそう零す。
「ふむ、彼らの自己主張が激しくなったのか、君の《楔》としての力が抑えられなかったのか」
体の向きを変え、オリヴィエは神秘的なヘテロクロミアでメリュを見つめる。
「……一時的に《楔》の能力が高まった跡がある。まさか、抑えられずに
こちらではあまり知られていないが、妖精とは元来恐ろしい存在なのだ。
悪意なきただの
悪意を持った妖精は、その純粋さをもって“無垢な残虐さ”を発揮する。ある意味災害に等しい。
「違います。その一歩手前まで行きましたが、制御を離れることはありませんでした」
まあ、そうだろうとはオリヴィエも思っていた。
目の前で狂って自殺する可能性もあるのだ。目の前の心優しいメリュが狼狽えていない時点で、大事に発展しなかったのは容易に想像できる。
「ならギリギリで逃げてきたのかな。逃がさないように何人か配置されていたはずだが……ああ、そこで妖精を使ったのか。電子機器をクラッキングして混乱させたのかな?」
「半分正解です」
「水をもらって良いでしょうか」と言ったメリュに、オリヴィエは勿論、とポーズをとった。
「半分か。これはなかなかに面白い事が聞けそうだ」
「ふー……どれだけ話せば良いです?」
「いくらでも、と言いたいところだが、料理の味が落ちる前に食べてしまいたい。手短に頼んだ」
頷いたメリュは、おそらくオリヴィエが最も聞きたいであろう情報を口にした。
「真宵さんが寸前で私を逃してくださいました」
確かにオリヴィエが聞きたかった情報だ。
「ああ、なるほど。そうか真宵が。それは確かに場が収まるのは当然だ。相手にすら傷ひとつないだろうな」
「そこまではわかりませんが、彼女の一言がきっかけで逃げられました」
「逃亡防止の人員には手を出さない。君の成長の機会を奪わない為かな?」
「意図はわかりませんが、そうだと思います」
オリヴィエは楽しげだ。
彼の少女は何処まで知り、何を成そうとしているのか。わからない、わからないからこそ面白い。
「重要なことは先に聞こう。真宵の“一言”とはなんだ?」
メリュは考える素振りすら見せずに、一言一句違わぬ言葉を伝える。
「『彼らに助けを求めろ。君の言葉ならば必ず応えてくれる』。彼女はそう言ったのです」
「事情を知っているのならば普遍的な言葉。だが、結果は普通ではないのだろう」
言葉に込められた意味。引き起こされたであろう
“彼ら”の示すものは妖精、これは確実だ。
そのままの意味ならば、妖精がメリュを助ける、とそれだけ。だがそれではこれまで妖精がメリュを助けていないかのようだ。
妖精はすでにメリュに従っている。メリュがいなければ顕現できない存在故に、《楔》の意思を無視する妖精など生まれることはない。メリュに反するということは、存在意義の否定に等しいのだから。
となれば何が起こった?
(より力ある妖精が生まれたのか、より多い妖精を顕現できるようになったのか)
オリヴィエの考えは正鵠を得ていた。あまりにも的確に、驚くほど正確に。
間違いがあったとすれば、規模をあまりにも小さく捉え過ぎたことだろう。
「百数十以上の環境にも影響を与える妖精が助けてくれました」
以前までの妖精は、電子的干渉能力と索敵が主な能力。数も十数が限度だった。悪意を以て動けば危険とはいえ、直接的な干渉能力は持たない。
それが環境にまで影響を与える? 百数十?
「は、ははは……これはアメイジングっ! 実にグレイトだ!」
「もう一つ貴方を喜ばせる報告もあるのです」
「ほう! 何かな?」
息を整え、メリュは何処か高揚した声で告げた。
「真宵さんが声を掛けた瞬間、妖精さん達のざわめきが治ったのです」
それが事実ならば、真宵は妖精にさえも影響を与えたということ。この世界から認識されない妖精を知っていなければできない所業を、一体何を以て成し遂げたのか。
「はは、ははは、はははははは! ビューティフォー!! 何処まで楽しませてくれれば気が済むんだ!」
愉快だ。心の横から素晴らしい!
どれだけ予想を超えてくれる。最高だ。エンターテイメントとして最上ではないか!
「英雄譚に謎はつきもの。だが君は、“未知”であることこそが資格とでも言うつもりか!?」
はち切れんばかりの愉悦。
机に並んだ料理は、その魅力を落としていた。
†††††
「お疲れ様」
「見てたわよ。流石は真宵ね」
「……ああ」
うえと茜の労いにも、真宵は上の空で答える。
「助けたのは
「いや、そちらは問題なかった」
「じゃああの三人がどうかしたの?」
「…………」
押し黙った真宵に、茜はため息を吐く。
人生経験が浅かろうがわかる。こうなってはもう喋ってはくれないだろう。
そんな空気を変えようと、うえが声を上げた。
「じゃ、じゃあ戻りましょうか! 昼食がまだでお腹も減ってるでしょう」
「ああ」
「え、ええっと……」
一応ベテランのカウンセラーとはいえ、普段とのギャップが激しい真宵に動揺し、なんと声を掛ければ良いのかわからない。
「うえ先生、とにかく戻りましょう。真宵もそれで良いでしょう?」
「ああ」
上の空ではあるが、しっかりと後ろをついてくるので問題はない。そう思うことにした。
真宵が思考の中で何を思っているのかは、うえも茜も計り切れる気がしないのだ。神算鬼謀のSランク、その頭の中を覗くには、自身のスペックが圧倒的に足りていない。
そんな上の空の真宵の脳内。
(男の人にハグをばばばばばばばばbッ!!)
【ティム・サーサに抱かれましたね】
(だ、だだだ抱くって!? その言い方は……そのう……誤解があるのではっ!?)
基本情報:三日月真宵は交際経験がない喪女ぼっちである。
恋愛どころか古式ゆかしい相合傘すらしたことはない。教育機関では真宵に近づく男子がいないのが普通でもあった。
真宵自身は嫌われていたと思っていたが……果たして事実はどうなのだろう。泣いていたのは誰なのか。
(大体あれはたまたまだしっ!)
【たまたま腕にすっぽり収まるとは、なかなかにゆか——面白い状況ですね】
(ぐふっ!?)
愉悦してますねぇ。
そして偶然とわかっていての……いや、ルヴィにとっては必然であったのかもしれないが、どちらにせよわざとらしい物言い。真宵には効果抜群だ。
そんなに真宵で遊ぶのは楽しいか! 楽しい? さいですか。同意です。
(うにゅぅ……。近づいたらハグとか情熱的過ぎるというか。そりゃ覚悟があるなら満更でもないっていうか。コード交換しても良かったっていうか……)
お、乙女になりやしたかねぇ。
あの小心者がいつになく自己肯定感増し増しではありませんか。ちょっとは自信が付いたということだろうか。
(その後捨てられてもまあ私だし。利用価値がないなら仕方ないもんね)
ダメだ。こいつの人間不信と自己嫌悪はちっとも治っちゃいねぇ……! コイツァやんべえなッ!
【そうなった場合、私は全力で相手を
「スカーレット?」
「どうかしたの?」
「ん? あ、いや、なんでもない」
普段は声を出して意思疎通をしているので、うっかりと音が漏れる事があるのだ。一年前までは完璧に切り替えしていたので、脳内AIについて知っている人間はほぼいない。家族の間では“三日月家八不思議”の一つ、“姉ぇの神託”ともっぱら呼ばれている。
ん? 伝統に倣って“七不思議”だろって?
『それじゃつまんねぇ。本当は“二十不思議”にしたんいんだけど、それはそれでめんどいだろ? by三女』
怪訝そうな視線を避け、再び思考の海へと漕ぎ出す。
(スカーレット……coccinella……てんとう虫……。あ、
【……
(プ、
心の中で涙目になる真宵。ちゃんとスポーツブラはつけてるんだぞ! だからどうした胸部装甲剥離。
(元からありませんでしたが何か!? って何言わせとんじゃぁぁああ!!)
【一人で何をしているのでしょうか】
(止めないでルヴィ。私の尊厳がかかってるから!)
【今日、人の目の前で押し付けていましたね】
(そ、そそそれは関係ないじゃんっ!? それは別の尊厳っていうか……)
【ティム・サーサは“柔らかい”といった感想を一切抱いていません】
(別の尊厳が完全崩壊した!? 誰の胸が肋骨しか感じないじゃっ!)
【言ってません】
本当に言っていない。なんだ肋骨しか感じないって。
(誰が言った!?)
【貴方の父親が酔った勢いで部下に漏らしていました】
「……覚えていろ」
うえと茜は背筋に悪寒が走った。ついでにここには存在しない、哀れな
顔も知らぬ真宵の父親よ、お前の命運は尽きたようだ。これから娘……どころか事情を知った女性陣に無視されても、誠心誠意土下座を敢行して許されることを祈れ。
家に居場所がなくても……強く……生きろよ。
(あの
【お好きにどうぞ】
(なんでそんなに興味なさげなの!?)
ああ、真宵の心を見ていると、世界が平和だと勘違いしそうになる。
甘くて、柔らかくて、弱くて、輝いて、日陰から見る青天のような世界。
周りがどれだけ硬く暗く冷たくとも、彼女だけは変わらない。少なくともその性質は、間違いなく“善”だろう。
世界の全ての人間が“善”、甘く蕩けそうな幻想だ。
だがそれで良い。美しいだろう。そうであってくれ。
この《箱庭》がどんな最後を定められているとしても、それに抗う者の意志が無駄になるかもしれなくとも、きっと真宵の世界は“善”で満たされている。
それはある意味、世界の救済にも等しい。
ああ、だから——
——本当にそんな世界だったら、良かったのになぁ。
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