第8話 その闇はあまりにも深かった(んなわけあるかっ!)

 乱れた呼吸、流れる汗、狭まる視界。手足は重くなってきていて、肺も一呼吸毎に痛みを訴える。体のあちこちが休息を求めている。今のままの運動を続けることが難しいなど、とっくの昔にわかっている。

 だがそれでも足を動かし前へ、壁を登り上へ、穴を降りて下へ、アーツを極限まで使い全力で移動し続ける。移動し続けなければならない。そうでなくては、自分はに狩られるだろう。

 単調になってはいけない。思考を読まれて先回りされる。

 選択肢を狭めてはいけない。僅かでも混乱させなければ追いつかれる。

 出し惜しみしてはいけない。基本性能で負けている以上捕まる。

 少しでも離れなければ。脳に酸素が足りていない今では、どう足掻いても勝ち筋はない。逃げられるとは思えないが、思考の余裕を確保する時間を確保しなければ。


「はあ、はあ、はあ……ッ」


 彼が隠れたのは、床に穴が空いた少し広めの空間。しかし特徴として、彼が来た方向からは唯一の通路を通らなければならない。

 待ち伏せしやすく、逃走経路も確保できている。これ以上ないシチュエーション。

 しかし、青年が緊張を解くことはない。相手は一人。しかしその一人が、途方もなく強大だった。アラヤに所属するならば知らぬ者はいない、ナンバーズの称号を持つ彼女を相手にして、どうしてCランクにすぎない自分が慢心できようか。慢心を抱いた瞬間、自分は死んでいる。

 確かにこれは訓練だ。銃に込められているのはゴム弾で、命を奪う行為は禁止されている。死ぬことはない。だがそれに安心を覚えることはできない。これは上位訓練、肋骨の一本や二本簡単に粉砕されることもあるのだから。ましてや相手はナンバーズ、その程度で済めば御の字だろう。

 だが降参はしないし、全力で抵抗させてもらう。

 アレに立ち向かうと考えただけで体が情けなく震えそうだが、これでもCランクの意地というものがある。


(……ッ————来たか!)


 青年の解放力は磁場を感知するというもの。特に、解放力保持者が使う身体能力を底上げする武装、強化外装『アーツ』の磁場に敏感だった。

 コツンコツンと響く足音が、相手が入り口から入ってきたことを知らせる。磁場はこれまで感じた中でもトップレベルの強さ。すなわち、アーツと纏った相手がそれだけ強大な敵である証拠だ。


(推定でスコア3以上。バケモンかよ。だがこちらの位置はバレていないはず。奇襲するならここだ。……3……2……1……今ッ!)


 腰を低く保ちながら体を晒し、相手に銃口を向けた——


「は?」


 ——先には誰もいなかった。あれだけ強烈だった磁場すら消えている。

 その一瞬後、破壊音が耳に届く。

 何もかも理解が追いつかないうちに、さらなる異常を青年は感知した。


「悪くなかったわ」


 頭のてっぺんが押さえつけられているのではと思えるほどの磁場が、青年の背後にあるという事実。

 驚愕で固まる彼の頭部に、複合素材の塊が押しつけられる。


「でも、基礎が甘い」


 バンッ!

 脳に衝撃を受けた青年は、朦朧とする意識の中で悟った。


(ああこりゃ……相手にしたら無理ゲーだわ)


 コンクリートの上に体が倒れる。意識は半分飛んでいるし、頭部への銃による一撃は致命傷判定。放っておけば、青年は遅かれ早かれ運び出されるだろう。

 そんな青年から意識を外し、茜は次にどこへ向かうべきかを考える。

 狙いはただ一人、Sランクの三日月真宵。彼女は今何処にいるだろうか。

 今回の訓練で使われている範囲は、それぞれ東西南北に分かれた巨大建造物四つ。そして今、茜は北の制圧を終えたところだ。必然的に次は西か東に向かうこととなる。

 中央を突っ切って行けば南にも向かえるが、間違いなくなんらかの仕掛けが施されている。加えて、状況設定によっては狙撃スナイプされる可能性が高い。アーツのゴリ押しでいけなくはないが、体への負担を考えるとアーツのスコアは低めに維持したい。しかも、南にいなければ完全に無駄骨になる。それならば真宵に当たるまで殲滅をする方がよっぽど良い。よって、この選択肢は排除だ。


(彼女と分かれたのが南の建造物の東側。多少移動しても南か東。……どこまで動けるかわからないけど、Sランクならここに来れるかも。でも、指揮能力が高いなら人間を集める可能性もある。その場合は、始まってすぐ動く。なら、移動は最小限のはず)


 頭の中で思考をまとめた茜は、次の行き先を決めた。


「東ね」


 この選択が今後どう影響するのかは、まだ誰もわからない。





     †††††





(え、え!? なんでっ!?)


 めちゃくちゃ驚いている真宵の内心など知らず、ミアは『これから人食い殺しますよ〜』と言われても納得できそうな笑みを向けていた。

 だがしかし、油断は一切ない。

 普段は威圧的に上げている顎は下がり、真っ直ぐに相手を見据える。

 いつもは余裕で揺れている銃口が、まるで手首から先が固定されているかのように定まっている。

 いつもなら崩れている構えが、今は最速で動けるよう型にはまっている。

 アラヤに所属する者でも滅多に見ることのない、神谷ミアという人間の完全な臨戦体制。

 特筆すべき解放力を持たないながら、Aランクという高みに登るまで積み上げた力、技術、心構え、観察眼、視点、型。それらを惜しみなく注ぎ込みながら、ミアは自らを超えるSランクという評価を受けた真宵に対峙する。

 いやあの、その評価は戦闘オペレーターとしてでは、ないのですが? なんていう事実はもはや関係ない。猛獣の眼に映るのは泰然自若とした立ち姿。今回の訓練における規格外の二強が一角にして、あらゆる情報が謎に包まれた未知の強者。そして、茜との相性がそれほど悪くないミアにとっては、最大最強の相手になるであろう好敵手。三日月真宵だけが今のミアの意識に存在していた。


「返事くらいせい。今すぐ戦うっちゅうのも、味気ないわ」

【これに答えないと上段蹴りが飛んできます。適当に答えることを推奨。ただし時間が押していますので手短に】


 じょ、上段蹴り? ルヴィの恐ろしい情報に、真宵は混乱の中にありながらもなんとか言葉を捻り出す。ミアさん、気が短過ぎでは?


「手短に頼む。何が聞きたい」


 真宵の直球の問いに、ミアは目を眇める。駆け引きを一切求めない。それは珍しく気を利かせたミアの言葉を、真正面から不要とした。あの、どこで気を利かせましたか? なんて疑問は野暮である。


「そうかい。やったらド直球で行くわ。……お前、ここ来る前どこにおった?」


 その質問に真宵は心の中で首を捻った。何処と言われても、家にいたが。

 しかし、真宵はハッと考え直す。「引きこもっていました!」なんて答える人間を、果たしてティーチャーと認めるだろうか。いや、しない。反語である。

 ならばここでは、なんかそれっぽいことを言って誤魔化すしかないだろう。かといって嘘は言えない。なんか抽象的に、はっきりとは明言せず、後で言い訳できるように、程良い答えをするしかない。真宵はチキンだった。別に鳥類というわけではない、ハートが貧弱という意味だ。


「暗闇だ。外と隔絶された、私しかいない場所にいた」


 最初に出てきたのはそんな言葉。大した情報は含まれていない。だが、真宵の神秘的な空気のせいで、非常に重く深い言葉に聞こえる。


「暗闇だぁ?」


 予想外の言葉に、ミアはどういうことか測りかねていた。

 しかしそんな彼女には取り合わず、真宵は言葉を続ける。


「ここに来る(一年)前から私は暗いそこに(自分で)身を置いた。(おそらく)完璧な栄養、(動画の)程良い刺激、(ベッドに包まれる)安寧、そして数少ない(使っていた端末の)モニター光。当然その(一年)前は外にも出ていた。(ぼっちの)私を追い詰めるような(教育機関とかいう)地獄のような環境だったがな。だからやはり、(引きこもりの)私にとっては(グータラできる)暗闇こそが居場所だった。動く必要もないなど、気軽だろう」


 真宵の口から出た言葉に、ミアはもう笑みなど浮かべていなかった。

 それほどまでに、真宵の過去は想像を超えて痛ましく、暗く、重く、何より残酷だった。だってその暗闇は、明らかにまともな環境ではない。

 彼女が“地獄のような環境”と言った状況はまだ理解できる。厳しい訓練と実戦のことだろう。隊つき……戦闘を生業にする組織に所属していたならば、当たり前のことだ。アラヤでも過酷な訓練は存在している。

 だが、だがならば、“暗闇”とはなんだ?

 完璧な管理がなされていたことはわかった(勘違い)。それが自身で行ったものではないこともわかった(勘違い)。動くことさえ叶わないのもわかった(引きこもり的に勘違いとは言い切れない)。

 ああ予想はできる。だが、赤子でも傷病者でもない少女にそれが使われるのは、あまりにも歪過ぎる。


「……なんや、湿っぽそうやな」

「よくわかったな。(エアコンの設定で)いつも潤っていたよ。当然のことだろう?」


 もうここまで言われればわかる。真宵の言っているのはポッド型の設備のことだ。わかりやすくいえば“水槽”。照明のない部屋置かれたポッドの中に、真宵は入れられていたのだ。それも、自身の居場所と認識するほどに何回も、何時間も。

 それを行ったのが戦闘組織ならば、その理由は自ずと見えてくる。。より強い能力を、より最適な肉体を、より都合の良い精神を。解放力者相手に、それ以外に何があるだろうか。

 そう考えれば、真宵の歪さも納得できる。これほど若い少女が死線を何度もくぐった人間と同等の胆力を持っている時点で、この予想は浮かんで然るべきだった。いくつもの実戦と訓練だけで身につけるには、真宵は特殊過ぎた。その歪さを埋めたのが、“完璧な管理”だ。

 この事実が確かならば、これだけの若さでSランクという高みに辿り着いたことも納得がいく。いつからかはわからない。だが、相当幼い時からこれは行われていたのだろう。そうでなければ、ここまでの完成度が実現するはずがない。

 なんの動情も見せずに淡々と語る真宵に、ミアは苦々しい感情を抱き、同時に苛立つ。


「お前は……一人やったんかいな」


 お前はまだ少女こどもだろう。なのに、そんな環境に一人でいたなんておかしいだろう。それをした人間は、お前をなんだと思っていた。止める人間は、一人としていなかったのか。

 そんな口に出なかった思いが、ミアの中を駆け巡る。

 ミアの纏う何かを耐えるような空気には気が付かないのか、真宵は彼女の独り言に近い発言に返した。


「いいや、一人ではなかった。壁を一つ二つ隔てたそこに、同じ血の流れた(愛しい妹という)存在がいたよ」


 真宵の口から、衝撃的な(勘違いを助長させる)言葉が発せられる。


「……なんやと?」

(ひえっ)


 底冷えする声が、ミアの口から零れた。

 暗闇が居場所とまで言わせる人権を無視した管理を少女に強いていただけではない。姉妹か何かの血の繋がりのある者に、同様の環境を強いていたのだ。


(……いや、やったらおかしいわ)

 

 僅かな違和感に、ミアは別の可能性も考慮する。

 普通姉妹ならば“血を分けた”と言わないだろうか。あえて“同じ血”と言ったならば、そこには意味があるはずだ。

 もし、本当に文字通り同じ血が流れていたならば……


「彼女達は何よりも大切な存在だ。一人は私と同じく生まれ、その他は少し遅れて生まれた。私が守らねば……そう思っていたのだがな」

(あのー、本当に怖いです。なんで怒ったのぉ? 妹がいたらダメなのぉ?)


 ミアは不確かな答えを得た。同じく生まれた者を一人と限定しながら、以降に生まれた者は限定しない。それは、後から生まれた者達を真宵でさえ把握できていないからではないのか?

 つまりは、それだけ簡単に生み出され、消費されたのだとすれば——……


(命を設計して創造するっちゅうことか。……どえらいことしでかしてくれたなぁ)


 クローン、あるいはデザイナーズベビー。

 可能性でしかないが、それが本当に行われていたならば、真実全世界の人間が定めた決まりに反する行いだ。

 はらわたが煮えくりかえるほどの怒りを、ミアは自覚した。子供を実験動物に落とし、戦うための道具に変え、あまつさえ命を消費物として扱う。これに憤怒せず何に怒る。ミアがこれほどの怒りを向けたのは、同じく人を人とも思わぬ『アゾラ』に対して以来だ。

 ————妹までは順調だったのに、何故そこで斜め上に発想が飛ぶのか。深読みのし過ぎである。いや、ここは真宵の思わせぶりな言葉と、無駄に神秘的な立ち姿のせいにしておこう。……いやこれ、真実知ったらどうなるの?


「その他は? なんかないんか」

(え、ほか? こ、これはまさか……引きこもりだった証言を取りに!?)


 アホだ、真性のアホである。

 何故このポンコツがなんかわけわからん感じに人を振り回すのか。……まあ、外見が良いのが原因の一つだろう。ついでにワードセンス最悪かつ大事な情報を言わないところも。

 いやほんと、一年間人間関係を断ち切っていたとはいえ、対人能力低過ぎだ。

 緊張で早口かつ自分でも何言ってるかわかってない真宵は、己の勘違いに気付かないまま口を開く。


「他か。特に語るべきこともないが、そうだな……これまで与えられたものを返せなければ、殺されるな」


 いや待て、この状況でそのワードセンスは最悪だ。


「……は?」


 ほらみろ、ミアが怒りのあまりめっちゃ低い声を出していらっしゃる。ついでに奥歯がギリッって鳴っていらっしゃる。

 存在しない組織さん、貴方の命運は尽きたようです。存在しないが。


(ひえっ、だだだダメだったぁ? いやでもこれ以上喋ったらボロ出そうだし。お母さんにお金返さなきゃ殺されるし。嘘は言っていない。大丈夫、バレテナイバレテナイ。問題、アリマセン)


 問題ありまくりだこのポンコツ!

 ルヴィ! ルヴィは何をしている!


【…………っ】


 コイツ、ウケてやがるな。いい性格してやがる。


「それは——」

「問答はここまでだ。やるべきことは決まっていて、時間は少ない。違うか?」


 時間がないこととボロを出さないためという理由により、真宵は強引に話題を断ち切った。当然、後者の理由が9割を占めているのはいうまでもない。

 そういう判断ができるのならば、口にする言葉をもう少し選別するべきではないだろうか、なんて疑問をぶつける人間はいなかった。唯一できそうな謎脳内AIは、ウケていてそれどころではない模様。なお、ウケなくても矯正はしない模様。


「始めよう神谷ミア。今日の大仕事の一つ目だ。何をするかは……わかっているか?」


 真宵の言葉に、ミアは意図的に意識を切り替える。

 今何を言っても無駄であることは、ミア自身が良くわかっている。目の前の少女が抱える闇はあまりにも大きく、言葉でなんとかなる領域を超越し過ぎていた。故に、身を焦がすような怒りを押さえつけ、代わりに獰猛な笑みを浮かべた。

 真宵は言っていた、“戦い”を経験したことがないと。それは真実だろう。これまでの行動で、薄い笑みを浮かべることはあっても、大きな感情の変化は見えなかった。


(やったら教えたるわ。お前がなんの抵抗もなく受け入れとる“ソレ”がどんだけ退屈なもんか。張り合えんことがどんだけムカつくか。“戦い”っちゅうもんが、どんだけ心奮い立たせてくれるもんか。今ここで刻みつけてくれるわ!)


 ミアが浮かべた笑みに憐憫は見られない。


「いいわッ! おどれが全部忘れるぐらい、ボッコボコにして殺したる!」


 憐れみはミアには似合わない。それよりも、全力でぶつかって全力で自分を魅せる。それこそがミアのやり方だ。

 寄り添うなんざ面倒だ。力いっぱい引っ張って、道理も何もかも届かない場所へと連れていく。

 目の前の少女に欠けたものを、傲慢になって力ずくで与える。

 頼られてからなんてまどろっこしい。この場この時、全霊をぶつけて引き摺り出す。


(これが、託すまでの“教育”や。なあ、それでいいんやろ?)


 脳裏に蘇るのは、かつていた戦友。

 何もかもを背負おうとしたミアに“託す”ことを教え、命をかけて自分に託してくれた恩人。

 どんな状況でも変わることのなかった笑顔が、鮮明に思い浮かぶ。


『やればできるじゃない、ミアちゃん』


 変わらない笑顔が、少しだけ柔らかい気がした。


(え、え、えええっ!? 殺されるの!? ナンデ!?)


 一方、何故か殺害予告を受けた真宵は、頭の中で騒がしく混乱していた。


【大丈っ……失礼、大丈夫です】

(なんか笑ってなかった? ちょっと、ねえ!?)

【大丈夫です。全力で避けて全力で撃てば勝てます。ちなみに神谷ミアは一瞬で時速80キロメートルまで加速可能です】

(何それ化け物じゃん!? 人間じゃない!)

【さあ来ますよ、頑張ってください。……死にたくなければ】

(ああもうっ! わかったやってやる!)


 さあ、まずは一戦目。

 片や、傲慢にも与えるために。教育という信念を貫く誓いを込めて、獰猛な笑みを浮かべる。

 片や、人を集めライセンスを得るために。母親からの恐怖を想い、冷静な表情(ガワだけ)を浮かべる。

 こうして、後に伝説として語られることとなる混合実践式戦闘訓練フルランクバトルの戦いが幕を開けた。

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