第6話 フルランクバトル開始(でもすれ違いは起こる)

 荒れ果てた大型建造物の中、一人の少女が悠然と立っていた。

 敵となる人間はすでに散らばっていて、目には見えずとも危険はすぐそばにあるはずである。しかしそれでも、彼女からは緊張や警戒を見出すことはできず、また好戦的な色すらもその瞳にはない。ただ美しくも冷たい表情が冷静に周りを見ているという事実だけしか、周りからは確認できなかった。

 この場が直接戦闘を得意とする解放力者が鎬を削る混合実践式戦闘訓練フルランクバトルのものだとは思えない程に、彼女の姿は無防備に見えた。手には何もなく、足幅は狭く、重心が高い。だが、不思議とその立ち姿は整っている。自然体……とはまた違う。自然体を連想するほどに様になった、脱力と力みのバランス。日常的に体勢を整える癖のついた人間のものだ。それを混合実践式戦闘訓練フルランクバトルに参加している他の人間が気付けばこう思うだろう。『この人は、格闘技を修めている』と。しかもこの落ち着きぶり、自身の能力に絶対の自信を持っているのだろう、と考えるのが当然だ。

 しかし、少女はあまりにも冷静過ぎる。敵がいるかどうかもわからない状況、これほど動じない人間はそうはいない。

 ならば、彼女がいる精神的極致は『明鏡止水』に近いのだろうと、そう見えるのも仕方がない程の姿だ。


「……さて、開始の合図が鳴ったわけだが」

(え、え? ティーチャーなのに誰とも会ってないんですけど? 補助する人どこ?)


 当然、冷静に見えるのはガワだけである。真宵の思考にはクエスチョンマークが飛び交っているのが現実。その姿に深い意味を見出そうとしてしまうのは、美化のし過ぎというものだ。彼女に道理を求めて返ってくるのは深淵ぐらいのものである。勿論、その深淵すらも自らの内にあるもののため、実質返ってくるものはない。

 とまあそれはさておき、真宵は絶賛混乱中である。

 てっきり担当する人物のもとに連れて行かれると思いきや、茜はいつの間にかいなくなっており、適当な建物に入ったはいいが人がないという状況だ。


(しかもなんか色々持たされたし。これとか何に使うの? 私は非戦闘員なのに)


 真宵の今の格好は、簡単にいえば元々着ていた服の上からジャケットを身に付けたものだ。

 とはいっても、ただのジャケットではない。至る所に収納ポケットがあり、様々なものが収められている。止血帯や衣類カッターは勿論、何故か発煙弾やスタングレネード、小型の電子単眼鏡まで入っていた。しかも、至る所に最長30メートルまで伸ばせるワイヤーが備えられている。当然防弾機能も完備。あらゆる状況に対応できるようにアラヤで導入されているオペレーションキットは、オペレーターの安全を突き詰めたもの。そんじょそこらのものとはわけが違う。

 尤も、真宵はその真価をほとんど理解していないのだが。入っているものさえろくすっぽ知らない。

 そんなものよりも彼女が気にしているのは、ホルスターに収められていた一丁の銃器だ。


「……少し、小さいな」


 真宵が銃を触るのは二度目だ。そう、一度目はあのショッピングモールでの一件だ。

 今回持っているのはあの時よりもやや小さめの拳銃。複合素材で作られているためそこまで重くはなく、グリップも僅かに小さいため握りやすい。まあ、真宵は手が大きい方なのでそこまで違いはないが。反動も、テロリストから奪った型落ちの拳銃に耐えられた彼女ならば、楽に耐えられるだろう。真宵は意外と非力ではなかった。

 軽く構えて三箇所ほど狙いをつける。特に意味はない。なんかかっこいいからやってみただけだ。銃を持つと何故か構えたくなるのは、非日常を夢見る人間の性である。

 銃を下して一息吐き、なんとなしに呟く。


「これでは、訓練にならないな」

(誰かぁ。完璧にサポートするから出てきてよぉ)

【それをするのは私ではないでしょうか】

「遅かったな」


 反射的に言った真宵は、意識して思考での伝達に切り替える。


(何だか今日は答えてくれなかったね)

【すみません。情報蓄積に時間を取られていました】


 そんなこともあるのかぁ、と真宵は気の抜けた返しをした。無論、思考の中でだ。現実では澄ました表情で、黙って手近な壁に背中を預けている。


【それと、一気に複数の人間を味方にする方法があるのですが】

(え、何それ知りたい)


 ここに入ってから一人も会わなかったのだ。そんな方法があるのならば伝授してもらいたい。そして試験に合格してライセンスもゲット。……真宵の思考は単純である。


【この方法には貴方の演技力が欠かせません】

(演技力……うーん、あんまり自信ないなぁ)


 貴方の演技力は並以上のものだから問題はない、と結論付けているルヴィだったが声には出さなかった。言ったら言ったで調子に乗ってポカやらかすに決まっている。そういうところは信頼しているのだ。流石はあらゆる情報を精査し整理する謎AI、良くわかっている。その通りだ。


(直接言ったらダメなの?)

【声をかけたが最後、容赦なく撃たれますが】

(殺伐とし過ぎじゃない!?)


 思わず表の表情筋がぴくりと動くほど驚く真宵だが、ルヴィがそれなりに配慮した事実しか告げていないことに気付かない。

 今彼女が参加しているのは戦闘オペレーター達による弱肉強食の祭典、混合実践式戦闘訓練フルランクバトルという争いなのだ。実際は黙っていても攻撃されるし、何なら降伏しようとしても撃たれることもある。不意打ち騙し討ちは様式美。長く任務を経験しているほどその傾向は強い。ちなみに、無条件降伏などもっての外。罠を疑われて、こちらもまた先制攻撃されることだろう。とりあえず撃てばわかる。良い敵は失格になった敵だけだ。

 真宵がルヴィの言葉に抱いた感想の30倍は殺伐としている。そんな事実は、意図的に真宵には伝わらなかったのだ。


【ご安心ください。私が完璧に貴方を導いてみせます】

(ははッ、よろしく頼みます。ルヴィ先生)

【お任せください。……それと、今から返事は口に出してください】

(え、なんで?)

【基本は黙ったままで良いですが、たまに口に出してください】

(え、だからなんで?)

【従ってください】

(え、だか——)

【ください】

ア、ハイいいだろう


 理解はできない。しかし従わないと後が怖い。真宵は自分で最初から最後まで決めることが苦手なのだ。これまでルヴィに頼りっきりだった弊害とも言える。基本受動的で自分から動く人間ではない。ルヴィから与えられていることを周りがわからないため、能動的に見えるだけだ。ちなみに引きこもっていた弊害で人と関わることすら苦手になっている。つまりは、惰弱なのだ。


「さて、まずは」

【右手の出入り口から出て真っ直ぐ。その後突き当たりの階段を三階まで登り、東の大部屋まで移動してください。ルートは順次案内します】

「しなければいけないことは」

【大部屋に着いた後、天井に向かって発砲を推奨します。それと、足音が響くように歩いてください】

「ふむ」


 ルヴィの言葉の意味を聞いた真宵は、深く考えることもせずに歩を進める。

 真宵はこれまで、ルヴィの言葉より自分の考えがより良い未来に繋がったことがない。頭の中に響く声は、いつだって正しい未来に自分を導いた。たとえそれが満点のものでなくとも、真宵の浅はかな選択よりは圧倒的に“正しい選択”ばかりだと断言できる。……少なくとも、真宵はそう定義した。

 故に異論はなく。故に反抗はなく。故に、従うことに躊躇いはない。

 真宵にとって、ルヴィは絶対の存在だ。真宵にとって、自身は蔑みの対象だ。

 たとえルヴィが完璧でなくとも良い。自分よりも“正しい”ことに違いはないのだから。

 真宵がルヴィに勝るたった一つのものは、動かせる体があることだけだろう。世界に何かを残すためには、肉体が必要である。だから、『絶対』は『完璧』に成れない。それだけだ。

 だから真宵は考えた、感じた、確信した、

 私はルヴィにないものを持って生まれた。ならば持って生まれた者として、たった一つの祝福ギフトを以て代わりにならなければならない。

 だからこそ、真宵はルヴィの言葉を受け入れる。否、受け入れなければならない。

 それが罪悪感と劣等感によるものだと、果たして彼女が気付くのはいつだろうか。


「さて、ここか」


 彼女の心情は彼女自身でも理解しているとは言い難いもの。それに、今は何の利益もない話だ。詳しいことはいつかにとっておこう。

 とまあ、真宵がルヴィに向ける感情はさておき、指定の大部屋へと辿り着く。さまざまなパイプが走り、障害物が多数置かれ、名の通りかなり広い部屋だ。

 来る途中何故か聞き覚えのある音が聞こえた気もしたが、その破裂音のようなものについて真宵は考えなかった。無意識に避けたのだろう。何やら考えたくもない可能性に繋がっているらしい。

 というわけで真宵は深く考えずに銃を天井に向ける。


【もう少し右側です】

「右か」

【行き過ぎです。親指一つ分左にずらしてください】

「次は左か」

【そこです】

「ここだな」

 

 響いたのは火薬が爆ぜ銃が衝撃を逃す音、そして天井のコンクリートに反射する音、一度パイプに弾かれる音————そして最後に、ゴム越しに硬いものにぶつかったかのような鈍い音。


「うッ!!」


 ついでにその直後、短いうめき声のようなものが聞こえた。何か柔らかいものが落ちるような音も。


「……何か、聞こえたかな?」

(え、なに、え? どこから? 見えないんだけど。幽霊?)


 うめき声の聞こえた方に目を向けるが、パイプのせいで良く見えない。それでも、少なくとも目線の高さには何もいないことは確認できた。

 しかし神経を集中させると、何かがざわめく気配が何となく感じられる。何処からとかどのようなものがなどはわからないが、間違いなく何かがある。目には見えないが、僅かに耳に入る音があるのだ。

 

【気のせいでしょう。それと、隣の部屋に人間がいるようなので、気配がするのはそのためかと】

「ほう。直接会いに行くのは——」

【推奨しません。後で自分から来るでしょう。すぐに会えます。しかしどうしてもというのならば止めません。撃たれますが】

「——やめておこう。すぐに会えるのだからな」


 外面は澄ましたままだが、内心かなりビビっている。どれくらいビビっているかというと、ルヴィが何も言わなければ首を動かすことすら躊躇うほどだ。汝、臆病なり。しかして……やっぱりビビりなり。


「次だな」

【次は四階北の大部屋です。それと、少し時間が押しています】

「少し急ぐか」


 颯爽と歩き出す真宵。その姿は毅然とした威厳に満ち、あまりにも堂々とした姿は

 当然、追っている人間は互いをある程度認識している。距離やルートを工夫しているとはいえ、一人の人間を追ってここまで密集しているのだ、気付かないはずがない。それでも戦闘を始めようとする者はいなかった。

 勿論、この訓練に参加する以上集っている者同士が敵であることは、ここにいる全員が承知している。何ならこの場で今すぐにでも暴れたい者すらいるだろう。しかし、誰もがその衝動を抑えざるおえない。誰もが気配を極限まで消して潜み、ライバルの存在を見逃してまで少女の背中を追う。しかも時には、他の人間と接触して情報交換まで行う。

 混合実践式戦闘訓練フルランクバトルにあまりにも似合わない、戦闘が起こらない静寂と平和。それが薄氷の如き争いの前触れだとしても、少なくとも今は誰もそれを破ろうとはしない。

 何故このような奇妙な状況となっているのか。その要因は主に二つ。一つ目には、少女を追う一人の背中が関係している。

 豹柄のジャケットにデニム生地のパンツ、背中からでもわかる威圧感。正面から見る者はいないが、誰もが猛獣のような吊り目を幻視する。アラヤの戦闘オペレーターのほとんどが知っているであろうその人間の力量は、中近距離戦闘では疑うまでもなくアラヤトップレベル。その実力はAランクという評価が示している。

 誰が語ろう彼女の名こそは神谷かみやミア。アラヤ日本支部の中近距離戦闘の指導員コーチとして恐れられる、戦闘オペレーターきっての女傑である。

 そう謳われるミア、自身が参加した訓練では猛獣のように暴れ回ることで知られている。その姿は背負うジャケットの柄の豹を宿すが如く、近づかれればAランクやベテランの戦闘オペレーターでさえ一方的に狩られるのだ。相手になれば悪夢のような存在だろう。

 そんな彼女が周りにいる獲物を無視し、たった一人の少女に狙いを定めている。ミアという人間を知る者ほど、その姿には驚きと疑問を覚えた。しかも他の人間に捕捉されようとお構いなしだ。罠であると考える参加者は少なかった。そんなことをするより、ミアが直接襲う方が早く確実だからだ。

 そしてミアが狙う少女が只者でないと考えるのは、至極当然の帰結だろう。

 これが要因の一つ目。神谷ミアという実力者の存在だ。

 そして二つ目は、ミアに『何故見たこともない新人を狙うのですか?』と問うたクソ度胸ある勇者に告げられた、彼女からの予想外の答えだった。


『アイツ、Sランクのバケモンやぞ。しかも実戦付きのヤリコミで、隊つきや。ちゅーことで、狙っとることもバレとるわ。舐めとったら……死ぬかもなぁ』


 “実戦付きのヤリコミ”というのは“実戦経験ありで訓練経験豊富”ということ。“隊つき”は“軍隊などに所属経験あり”という意味。つまりはミアが狙う少女は、『軍隊などで高度な訓練を受けなおかつ実戦もこなしていて、しかもSランクという最上位の戦力評価を受けている』という文字通り化け物のような存在ということだ。

 その言葉はすぐさまシェアされ、漁夫の利を狙っていた者や総取りを狙っていた者の考えは打ち砕かれた。

 ミアの言葉が正しいのならば、手を出せば勝負になるなどという甘い考えは捨てざるおえない。下手に刺激をして始まるのは“蹂躙”だろう。

 その言葉の信憑性は、視線を外すことすらないミアの警戒が保証している。

 しかし少女は誰かを襲うでもなく、銃を用いて動こうとした者を牽制こそすれ、わざと目立つように移動するだけだった。そう、パイプ圧力調整施設……を模した部屋に着くまでは。

 そこで見せた曲芸。二度もの反射の末に一人の頭を撃ち抜いた射撃は、その場にいた者に衝撃を与えた。あまりにも鮮やかな、意識外からの一撃。少女は示したのだ。その気になれば、いつでもお前たちを蹂躙できるのだと。

 しかしながら逃げるという選択肢もない。それもまた、ミアによってもたらされた情報故だ。


『ああそれと、他んところには番付きの7がおんぞ。そっちはマジやから行くんやったら死なんようにな』


 “番付き”とはナンバーズ、すなわち日本支部の最高戦力。その7とは上から七人目。つまりはナンバーズ7。日本に七人しかいない化け物集団の一人ということだ。彼らにはこちらの方が馴染み深い。

 それが本気マジだというのだ。近くに寄っただけで敗退するのは目に見えている。

 それならば、ナンバーズに対抗できる可能性のあるSランクについていた方が安全というもの。目には目を、化け物には化け物を、というわけだ。たとえ、その気になれば今すぐにでも蹂躙されるかもしれないとはいえ、だ。

 故に彼らはついていくしかないし、目立つことすら許されない。

 そんな教え子達じゃくしゃとは違い、ミアは虎視眈々とタイミングをはかる。


(アンのヤツ、人集めしとんな)


 今現在も集まり続ける、戦闘をやめ様子見に移るオペレーター達。間違いなく、真宵の狙いは人を集めることだ。


(なんの為かは……考えるまでもないわな。ジブンとの舞台整えとるんやろうな)


 舐められている、とは思わない。

 自分の実力を見せつけることは、これからのことを考えて当然のこと。それに相応しいSランクという評価もある。そう、何もおかしくはない。

 忌むべきは、軽く見られる自分の実力。


(その余裕、噛みちぎってったるわ)


 ミアは獰猛な笑みを浮かべる。

 目は吊り上がり、口角は吊り上げられる。

 本物の豹が浮かべることのない、楽しみであるための猛獣の笑み。それを横目に見てしまった一人は、寒気が走り体の動きを止めてしまったほどだ。


(そう長くは我慢できんぞ、三日月真宵……!)


 壮絶な表情と視線。冷たささえ感じる真宵、彼女に向けられたそれらは、対照的に“熱”に満ちていた。


(うわわわっ、なんかぞくっときた……!)

【気にしないように。それよりもそろそろ着きます。次は西に撃ってください】

「どれが良いかな?」

【斜め左です。四つあるハンドルの右から二つ目を狙ってください】

「ふむ。こうか」


 真宵がこうも脳死状態でルヴィの声に従っているだけだとは、猛獣の眼を以てしても見抜けなかったようだ。

 両者がぶつかるまでは、まだしばらく時間がある。

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