脳内AIに導かれる、なんかズレた平穏への道

アールサートゥ

再会、そしてあるべき未来

 黄昏色に染まった空の下、街の光が差し込まない高い建物に囲まれた都市計画の穴とも言うべき場所。地面は舗装されているが、雑草が生えていることを鑑みるに、長く人の寄り付かない場所であったことが窺える。来る者と言っても、猫かネズミぐらいのものだろう。

 人工物によって外界と切り離されたこの場所は、人の手によって作られた結界の内だ。

 ここで叫ぼうとも誰も来ない。

 ここで泣こうとも誰も慰めない。

 ここで死のうとも死体が見つかることはない。

 作った人間さえここを気に留めることはないのだ。見捨てられた箱庭。それこそがこの場所の本質だ。

 だからこそ、この状況はあり得ないものだった。


「……ふ、こうして会うのは三度目かね。本来ならば最高の舞台を整えたかったのだが、準備はまだ整っていなくてね。こうして人目を忍んで会うことしかできなかったのだよ」

「…………」

「ふむ、その研ぎ澄まされた意志。そして我が予知すら欺く擬態。相も変わらず……素晴らしいな」

「…………」

「どうかね、今からでも我が同胞となり、共に至高の座へと至ろうとは思わないか?」

 

 本来人の気配など感じることのできないであろうそこに、2人の人影が対峙していた。

 暗がりの中ではお互いの姿をはっきり見ることすら叶わない。しかしそんなことは関係ないとばかりに、2人は悠然と佇んでいる。

 互いに互いを知っているからだろうか?

 決まっている、知らないはずがない。

 ここに立つ2人こそ、あらゆる人間を動かし、あらゆる知恵を尽くし、異能がまかり通る世界を舞台にぶつかり合った張本人なのだから。


「…………」

「いやすまない、答えは以前もらっていた」


 人影の一方、背の高い方がそう言った。

 体格から見るに男。声は若々しくも重みを持つ、聞く者を魅了する不思議な声。立ち姿、所作から洗礼された品位が見てとれる。

 そんな彼は愉快さを抑えきれないといったように小さく笑った。


「私が君に相応しい舞台を整えられた時、君を迎えに行くとしよう」


 答えはない。それでも男はより一層楽しそうに喉を鳴らした。


「我が麗しき好敵手ライバル。君は私に敵対する特別な駒グリフォンだ。ミスティナもまた私と同じ世界に住まう者だが、君は私さえ超えるかもしれない未知数の具現」


 男はより一層暗くなった世界の中で、それでも周囲を魅了する声を響かせる。


通常世界チェスルールに紛れ込んだ異常常識ギガチェスルール。私を欺きながら……否、全てを欺きながら全てを操らんとする。君を慕う者達は、それを知っているのだろうかね」

 

 顔は見えないが、そこには万人を魅了するであろう美貌が浮かんでいると、もう一方は知っていた。一度見ただけでも脳裏に刻まれるほどの、甘く蕩ける、しかし清廉された笑み。

 男にとってそれは数ある武器の一つに過ぎない。それでも、強力な武器であることに違いはないのだ。

 だが、それが相手に有効なものでないと、男は十分理解していた。故に、顔も見えないここを再会の場として選んだのだから。

 自身を賭けた勝負の果て、男に『敗北』の字を刻んだ初めての相手に、彼は最大限の敬意を払っていた。


「悪い女だ。初めはミスティナだけを見ている私の隙を突いた。次は私の計画を狂わせた。そして自分に目を向けさせ、裏で彼らの動きを狂わせた。より魅力的に見えるように。ふ、君には世界がどう見えているのかな。あらゆる捻れた因果を収束させるのが私。捻れた糸を紐解くのが君」


 男は恋焦がれた乙女のように胸を高鳴らせながら、興奮に体を昂らせながら、相手のシルエットを目に焼き付ける。

 男の力があれば、相対する者の秘密も、決意も、意識しない情報さえ暴かれる……はずだった。

 いや、男の脳内には相手のありとあらゆる理解が積み重ねられている。ただそれが、事実との差異を含んでいるという異常事態が起きているのだ。

 『アラヤ』の最高司令官たる同族、ミスティナならばいざ知らず、ただの小娘に過ぎないはずの相手は、だが男の叡智さえ欺いてみせた。


「認めよう。私は君に惹かれている。それとも、それすらもお見通しかな?」

「…リコ…」

「何?」


 この場で初めて発せられた小さな声に、男は瞬時に思考の海に潜り、その意味を推察する。

 万象を読み解かんとする男のスペックは、人類の頂点と言っても過言ではない。

 僅か1秒の時間に熟考した彼は、その呟きの意味を汲み取った。


「ああ、なるほど、次は美咲リコを中心に動かすということかね。彼女もまた良いものを持っていたが……あれはもう価値を落としている」


 そう口では言いつつ、男は思考の海を漂いながら美咲リコを彼女がどう動かすかを考える。

 男の導き出す未来はおよそ万全だ。これまでのストーリーも完璧にこなされている。彼の予知を突き崩すことは、並大抵の者にできることではない。

 しかし、男はだからこそ『それでも』と思ってしまう。

 半世紀掛けた計画での初めての敗北。それがどれほどの衝撃と感動を男にもたらしたものか。

 男は改めて相手を見る。

 すでに夜は訪れ、人影すら捉えることは難しい。

 だがそれでも鍛え抜かれた男の眼力は、対峙する最高の好敵手の姿を映していた。

 いや、見るまでもなかったかもしれない。男はその姿を鮮明に思い浮かべることができるのだから。

 自身と周囲を駒のように捉える男だが、数少ない好敵手と特異点だけは、彼の脳裏にしっかりと刻まれていた。


「麗しき潜む異常駒グリフォン。君は今何を思っているのだろうね」


 濡羽色の中でも一際光沢のある漆黒、それは繊細な絹の如き髪。

 凛々しさのある切長の目に嵌められたあお、それはサファイアの輝きを秘めた瞳。

 穢れのない初雪の純白、それは踏み荒らされることのない肌。

 その他にも、花びらのようなリップに綺麗に筋の通った鼻、やや大ぶりながら細く美しい手など、讃えるべき点は無数にある。

 これでまだ少女だというのだから、行き着く美しさは思うにあまりあるだろう。

 だが、男は彼女の美しさを認めながら、それ以上にその『覚悟』と『叡智』を評価していた。

 少女は知っていたはずなのだから。男の持って生まれ、磨き、積み上げた『力』の強大さを。それを相手にする恐ろしさを。

 それでも少女は立ち向かった。

 男を知る者ならば、その行為を無謀と称するだろう。

 しかし、少女は打ち勝ったのだ。

 完全無欠と思われた男の予知を破った、それがどれほどの偉業であることか。

 故に、あらゆる捻れた因果を収束させる『叡智』を誇る男は、少女の『叡智』を讃えるという最大限の敬意を払うのだ。


「私が、何を思っているかだと?」


 初めて、この切り取られた箱庭に少女の声が朗々と響いた。

 研ぎ澄まされた細身の直剣を思わせる鋭さと冷たさ。それは聞く者の息を飲み込ませるほどのもの。しかしそれ故に目を向けざるおえない強制力と魅力を感じずにはいられないだろう声だった。


「私を異常というのならば、お前はなんだ? 舞台を作りながら舞台に立つお前は、成程優秀だろう。しかしお前には一点だけ欠点がある」


 少女の言葉に、男は自分に何が足りないかを考える。

 男とて人間に過ぎない。力不足というものは感じるし、タスクにも限度が存在する。彼ならば全人類を従えることはできるだろうが、小規模の思想の乱れや反乱は許してしまう。それが限界というわけだ。

 しかし、男はそれすら計算に組み込み、望む未来に最も近い結果を実現できる。その力があるというのは純然たる事実、少女とてそれは知っているはず。

 男に敗北を刻んだために、少女が男を下に見ることはないだろう。

 男の領域に手をつけたからといって、いや近ければ近いほど、たとえ超えたとしても、一片の油断も許されない。

 あまりにも多彩かつ強力過ぎる駒同士の力量差は、小さな石ころがあるだけでひっくり返ってしまうからだ。


「私に欠点かね。それは何かな?」

「嗜好の偏りだ」


 男の問いに、少女は間を置くことなく即答する。

 あらゆる答えを考えていたはずの男は、意表を突かれたように肩を揺らした。


「そして見境のなさもだな。ああ、すまない。二つだったよ」


 笑いが混ざったからだろうか、少女の言葉は少しだけ震えていた。


「ミスティナに夢中だったお前は、他の役者がより活躍するのを見たくなったのだろう? しかし活躍だけでは我慢できなくなってきている。自分のものにして遊びたいと思ってしまったわけだ」

「…………」


 今度は男が口を閉ざす番だった。

 それを確認して何を思ったのか、少女は朗々と言葉を続ける。


「だが未だミスティナにも執着している。手を出したくてたまらない。だがまだ楽しみは取っておきたい。だが育ち過ぎてはいけない。……そしてその悩みさえも楽しんでいる。全くもって、お盛んなことだ。その脳内を見てみたいよ」

「……ほう」


 男は少女の言葉に一つ頷いた。

 それが見えたのか見えていないのかはわからないが、少女は一度切った語りのため、再び口を開いた。


「だが、お前は私という、育ち過ぎたが好みに合致した人間を見つけてしまった。そして知ったのだろう? ミスティナには当てはまらないが、それでも意識していなかった好みを持った者たちを」


 星が出てきた。だが一種の閉鎖空間であるここに届く明かりではない。

 それでも関係ないとばかりに、少女は視線を男に向ける。

 

「以前は完熟されたものばかりを相手にしていたお前は、アンバランスさに惹かれるようになっていった。そうやって視野が狭くなっていたから、私程度の出会いにそこまで執着せざるをえなかった。それも自身の嗜好に後ろ髪を引かれながら。だがそれは哀れな道だぞ」

「哀れな道、か」

「前に言ったはずだ。それを行ってしまえば、私は全力でお前の前に立ちはだかると」


 より鋭く、少女は言葉と目を鋭利にした。


「それでもなお、お前は止まらないのか?」


 男はクツクツと息を漏らしながら、少女の甘さに思いを馳せる。

 少女の問いは二度目だ。少女が男の所業を理解していないはずがない、彼はそう確信していた。

 男のあまりにも重過ぎる数多くの罪、少女はそれを知っている。

 それにも関わらず少女がこのように口にするのは、その神算鬼謀からは想像もつかない、数少ない“若さ”からだろうか。それとも、“仲間が欲しい”という嘆きのためだろうか。

 もしそうであるのならば、やはり彼女は“仲間”であると、男は確信した。


「答えは、以前と同じだよ。私の目指す先にこそ正しさはある。誰にも理解される必要はない。だが君は、解ってくれているようだがね」


 男にはわかる。少女が自身を理解し、あまつさえ同意さえしてくれていることが。

 男ならば人間の意思を自らの色に染め上げることも容易い。だが、少女は男の術中に嵌まるでもなく、自分の意志であらゆる基準を作っている。

 流れに生きる人間という生き物の中で、それは特筆すべき異常だ。


「……ああ、その嗜好が理解できないことはない。嫌いではないよ。自身に素直であること、それは一種の美徳だ。私のように偽りの中で生きる者には眩しくさえある」

「それは光栄だ。しかし、私もまた偽りで塗り固めた者だとも。なんせ、この私自身も偽りなのだよ」


 男はクツクツと喉を鳴らしながら、今少女が眉間に皺を寄せている姿を想像した。

 何を言っているのかわからないだろう。分かるはずがない。解ってはいけないのだから。

 真実を知るのは、真実を作ったものだけで良い。それが男の偽りなき思いだった。


「その体が大切な機能を持っていない。つまりは未来に託せないことは私でもわかるぞ」

「……なんだと?」


 少女の当たり前のことを口にしたという声音に、男はそれまでの余裕を消し去った。


「知っていたのか。どこで、どうやって。……いや、君ならばあり得るのかもしれないな」


 前半は硬く険しい声音で、後半は無理矢理な納得の言葉で、男は苦悩と諦めを滲ませた。

 だが、下だけは見ない。

 男が折れることはない。折れることなど許されない。止まることなどあってはならない。

 そんな男の心情を知ってか知らずか、少女は相変わらず美しくも威圧的な声を発する。


「そうでなければ、お前に限ってミスティナを狙うはずがない。過ちがあってはならないのだろう? お前は、そこのところは案外しっかりしているからな」

「……そうだ。宿命はこうして断ち切らねばならない」

「未来をも断ち切るその姿勢には感心するが……それでもやはりお前の行動は、理解されないだろうさ。だから、私はお前を哀れだと言うんだ」


 少女の言葉は、僅かに震えていた。

 それは嘲笑などでは決してない。むしろ畏敬、あるいは言葉通り哀れみだろうか。

 それを感じた男は再び口角を上げ、見えない微笑を浮かべた。

 少女の言葉の端々に表れていた理解こそ、男にとっては何よりも勲章として相応しい。


「そこまで知って、なお私に敵対するのかね?」

「当たり前だ」


 そう、その言葉まで男は予知していた。

 故に、には、最後まで悪を貫かねばならない。


「ならば、私を止めてみせたまえ」

「お望みとあらば、引導は渡してやる」

「それと最後に、君は自分で思うより熟してはいないとも」


 男はそのやり取りを最後に、闇が支配した箱庭から姿を消した。

 残った少女は夜空を見上げる。月すら見えないこの場所は、代わりに星がはっきり見えることもない。都市の真ん中にあるのだ、仕方のないことではある。

 そんな状況を確認した少女は、ポツリとこぼした。


「うえぇ……置いていくのぉ?」


 先ほどまでの精悍かつ研ぎ澄まされた声は、影も形も見当たらなかった。

 少女にとっては予想外。

 趣味嗜好以外はまともなはずである男がこんな場所に少女を置いていくのが、よほど予想外だったのだろう。


「やっぱり幼女ミスティナだけじゃなくて少女私達にまで手を出すのはやめた方がいいとか、幼女ミスティナのために避妊手術パイプカットしたこととか安易に言っちゃったから? 怒っちゃった?」

【流石です。あこまで言われれば、あの変態も己の矮小さを思い知ることでしょう】

「やめて!? 私が悪いみたいじゃん! いや、実際悪いけど……」

【貴方は何も悪くありません。あの厨二病男が全て悪いのです】

「あんな人でも劇団の劇長で、しかも凄いイケメンなんだよ。凄いよなぁ。特殊性癖ロリコンと厨二病以外は完璧だもん」


 はたから見れば、少女が大きな独り言を言っているように見えるだろう。いや、実際少女は一人で虚空と会話していた。彼女が聞く言葉は誰にも聞こえず、彼女の言葉は実体を持たない者へと向けられている。

 しかし、それが妄想の類いではないことの証明はすでに得られている。そのため、これは独り言とは言い難い。


「いやそれよりも、私が熟していないって……胸の——」

【それ以上はいけません。気づかなくても良いことだってあるのです】

「しれっと認めないで!?」


 少女は自分の前で手を上下させる。

 

 ストン、スカ、スカ


 障害物がないためだろう、手は見事に平行移動を可能とした。

 その事実に若干虚な目をした少女は、不毛な行動と思考をやめた。


「……帰ろうか」

【ナビゲートします】


 【声】の指示するままに歩き出した少女だが、真っ暗闇でそんなことをすれば結果は見えている。


「あばッ! ッ——……いたい」

【壁に手をつけて歩いてください】


 当然の如く壁に頭を打ち付けた少女は、大人しく【声】に従った。よほど痛かったのだろう。少女は及び腰になっていた。それでも【声】への信頼のためか、恐怖はあまり見られない……が、やはり暗闇が怖いことには違いがないのか、目をあちこちに向け耳に意識を集中させている。

 今の姿を彼女の仲間が……いや、敵味方関係なく誰かが知れば、信じられないものを見た顔になるだろう。

 それだけ少女は他人にとって絶対的であり、強大であり、絶対に曲がらない存在なのだから。

 少女はそうとも知らずに、明日には偽りの自分を演じるだろう。

 自分の考えと周りの考えに、大き過ぎる溝があるとも知らずに。

 





 これは少し未来の一場面。

 少女が多くの仲間に囲まれ、そのカリスマで意志を定め、世界最高の知性が彼女のために至高舞台を整える少し前の話。


 これは彼女と、彼女の周囲の英雄譚。

 あらゆる因果の糸が絡まる先にある、最っ高の幸福な結末ハッピーエンドへの架け橋。

 あるいは、幸せの終わりハッピーエンドへの扉。


 少女は脇役に過ぎなかった。そうであるはずだった。

 しかしそれを運命は許さない。

 たとえ脇役でも、物語を書き換えられる異常者モブとしてしか彼女は受け入れられない。

 

 数奇な運命な先に、彼女は誰よりも希望を寄せられる。

 そう、英雄と望まれた者が、それに応えなければならないように。

 彼女自身には、その意志が全くなかったとしても。


 少女が誰よりも劣っていたとしても、世界は彼女を目立つ日陰へと進める。

 その果てに、少女は未完成の舞台チェスボードを駆け巡る。


 まるで、ポーンが昇格プロモーションして、盤面を引っ掻き回すように。



 最後に舞台を支配するのは誰なのか。

 それは、彼女を見守る貴方の目で……

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