黄色い狐、ココ
無月彩葉
黄色い狐
狐第十三小学校四年生のココは黄色い狐の女の子です。
そう言うと「狐の毛並みは皆黄色いだろう」と烏は笑いますし、「やはり狐は馬鹿だ」と狸は鼻を鳴らします。確かに、狐の毛並みは子どもであろうと大人であろうと皆黄色。けれどそれは、『狐の姿』であればの話。
森の狐は変幻自在に姿を変えることができます。形も大きさも色も好きなように化け放題なのです。
しかし、ココはそれがうまくできませんでした。
いくら葉っぱを口に咥えて唸ったところで、体の色だけは黄色いまま。トカゲになってもうさぎになっても黄色いままなのです。だから、狸どころか同じ狐にさえ、しかも自分より小さな狐にさえ笑われてしまうのです。
それでもココは、今日も健気に化ける練習をしています。
さて、そんな彼女の生活を少し覗いてみましょうか。
狐の小学校は人間も狸もお地蔵様も足を運ばないようなうんと山奥にあります。とりわけ第十三小学校はふもとへ降りても人間の数が少ない、いわゆる過疎集落に面する森にあるものですから、他の生き物に見つかることは滅多にありません。
何故小学校がなるべく目立たないような場所にあるのかというと、それはここの生徒たちが皆、秘密の特訓をしているからです。
狐が何かに化けるのは、狸や人間をからかって遊ぶためではありません。確かに自分の
狐は化けることで外敵や天候の変化から身を守ったり、人里に降りて買い物をしたりします。
化けることは生きること。だから小学生のうちからきちんと化け方を身につけなければなりません。
そして、ただ姿を変えられればいいという訳でもありません。彼らは化けても不自然に思われないように、様々な生き物の言葉遣い、仕草などができるように勉強するのです。
低学年のうちは石ころや小枝などの無機物に、中学年になるとリスやウサギなどの小動物に、そして高学年になると大きな獣や人間に化けることが許されます。
狐の少女ココは四年生。現在は小動物に化ける練習をしています。
丁度
ふわふわとした茶色い小さな毛玉にクリクリとした目と小さな耳、それに手と足も付いて、たくさんの子リスが登場です。
大きさはまちまちで、少し小さすぎたり尻尾がうっかり狐のままのリスもいますが……とりわけ目立つのは黄色い毛並みのリス。このリスは頭から尻尾まで黄色い狐の毛の色のまま。これが、黄色い狐と言われるココです。
ココは今日も自分の身体の色を変えることができませんでした。
だから彼女はいつも馬鹿にされるのです。
ココは黄色い狐だ、と。
コリコリとどんぐりを齧る仕草のテストでは満点で、天敵が来た時に落ち葉の下へじっと身をひそめる動きだって得意な方。
けれど変化だけはどうしてもダメでした。
今日も0点を貰った帰り道。お母さんの権幕が怖いココは、とぼとぼと獣道を行ったり来たりしていました。
そうして迷った末に、ココは近くの小池へ向かいます。そこには優しい鯉のおばあさんが住んでいるのです。
悩み事にも何でも答えてくれる物知りなおばあさん。ココはそんなおばあさんのことが大好きなのでした。
「おばあちゃん、私よ、ココよ」
そう言いながらポチャリと川に石ころを投げ入れてみましたが、返事はありません。石ころが小さかったのだろうかと思い、もう少し大きな石ころを投げ入れてみたのですが、それでもうんともすんとも言いません。
「体調でも悪いのかしら」
ココは心配になり、鯉に化けて水の中に入ってみようかと思いました。しかし、今日のテストのことを思うと悲しくなり、
またうろうろと彷徨っていると、水の中から微かな声が聞こえました。
「ココ……そこにいるのかい?」
「え、ええそうよ!遊びに来たの……おばあちゃんは体調でも悪いの?」
慌てて尋ねると、また微かな声が返ってきます。
「いいえ、違うのだけれどねえ……今日は帰った方がいいのよ、ココ」
「どうして?」
「今日は何故だか森が騒がしいの。さっきも滅多にこない烏がここまでやってきて、汚れた羽をここで洗うものだから汚くて水面に出られなかったのよ。時が経って水面が綺麗になるまで私はここに身をひそめるわ」
「そんなあ」
森が騒がしいことは分かりませんでしたが、鯉のおばあさんがそう言うのだから間違いないとココは思いました。けれどそんな異変より、おばあさんに会えないことの方が悲しくて仕方がありません。
寂しさを紛らわすため、ココは別の場所へ向かいました。
「おーい、キツツキのお兄ちゃん」
カシの木が立ち並んだ森の奥深く。心地よいサバサバという葉の擦れる音が鳴り響きます。そんな中で、コンコンコツコツサクッサクッサクという独特な音が聞こえてきました。
「おや、ココじゃねーか。どうしたんだ急に」
こちらからでは見えないほど上の方から、キツツキのお兄さんの声が降ってきました。
「えっと……」
ココはうまい言葉が見つかりませんでした。気晴らしに来た、というのは忙しいキツツキに失礼かもしれないと思ったからです。キツツキはそんなココに構わず木に穴を掘り続けます。規則正しく楽しいリズム。ココはその音に静かに耳を澄ませることが好きでした。
「そうだ、今日は早く帰った方がいいぜ」
キツツキの性格はいつもさばさばとしています。こちらが何も言わずとも勝手に喋り出したり、逆に長時間何も喋らなかったり。気まぐれです。そんなキツツキはココに早く帰った方がいいと、そう告げました。
「どうして?」
「人間がこの森にやってきているからさ」
「人間なんて敵じゃないわ。私のお父さんは
「慢心はいけねえぜ」
「まんしんってなあに?」
キツツキはさっさと作った穴に入り込みました。どうやらぴったりのサイズだったようで、それっきり穴から出てきません。ただ一言、
「慢心は油断をするってことさ」
と教えてくれました。
ココは再び歩き出します。誰も相手にしてくれません。皆、とても忙しそうなのです。やはり人間が森に入り込んでいるからなのでしょうか。だから烏は行水し、キツツキは木を削る作業を早々にやめて潜り込んでしまったのでしょうか。
仕方がない、怒られるのを覚悟で家に帰ろう……ココがそう思った時でした。
「おい、うまそうな狐だなあ」
目の前に黒い毛並みをざわざわと揺らす、
「お、狼!」
ココは焦って対処法を考えます。けれど肝心な時に、先生に教わったことが出てきません。
身体はプルプルと震え、立っていることがやっとです。
けれどふと思い立って、ココはお気に入りの鞄から葉っぱを取り出しました。
「えいっ」
ポンっと可愛らしい音がして、ココは小さな石ころに変化しました。固い石ころだったら狼も食べる気にはならないだろう、そう判断したのです。
けれど、頭上から聞こえてきたのは笑い声。
「おいおい、これが石だとよ」
「こんな色の石があるものか」
ココが化けた小石は真っ黄色。そうです、ココは身体の色を黄色から変えることができないのでした。ゲラゲラと笑う二匹の狼。ココはふと、その二匹の声に聞き覚えがあるかもしれないと思いました。
「もしかして……」
狼はまたゲラゲラと笑います。笑いすぎて咳き込んでしまいました。その声はまるで子狐のように高く、幼げです。
「ああ、やっぱりあなたたちね!」
どうやら、その二匹はココのクラスメイトだったようです。
「四年生はまだ狼に変化してはいけなかったはずよ」
「それはお前みたいなへたっぴのことだろ。俺たちは狼に間違えられる程に完璧だったんだ。誰にも文句は言われないさ」
二匹は随分と自信満々です。確かに二匹の変化は完璧で、どこにも違和感はありません。ココは余計に惨めで悲しい気持ちになりました。
「さて、他の動物たちも怖がらせに行くか」
「おお」
「せ、先生に訴えるわ」
意気込む二匹にココは悔し紛れの言葉を吐くことしかできません。
その時でした。
ターン、と大きな銃声が森銃に鳴り響いたのです。
「何の音だ?」
「人間よ。人間が森にやってきているのよ」
どうやら森の動物を狩るためにやってきた猟師のようです。再び、大きな銃声がグワンと森を揺らします。
三人はじっと身を潜めていましたが、やがてガサゴソと草を掻き分ける音が聞こえてきました。こちらに何かが近づいてきているようです。
「ふん、人間なんて俺たちが追い返してやる」
狼の格好をしたココのクラスメイトは少し震えた声で言いました。今や狼の威厳はうまく出せていません。すぐにでも小さな狐に戻ってしまいそうでした。
「逃げましょう」
ココはそう促します。けれど二匹から返事はありません。ココは二匹の足が震えていることが分かりました。
『おい、こっちに何かいるぞ。かなり大きい』
『本当か?』
すぐ側で人間の喋り声が聞こえます。人間の言葉は難しいですが、真面目に勉強しているココはしっかり聞き取れました。
銃を持った人間は狼でさえ撃ち殺してしまうことはココも知っています。人間の銃を前に勝つことのできる動物なんて滅多にいないのです。
何とかしなくちゃ……ココは無我夢中で葉っぱを口に咥えました。
その頃、猟師の二人組の男たちは銃を片手に森を彷徨っていました。獣を撃ち殺し、その毛皮を町で売るためです。どうせなら大きな獲物を狙おう……男たちはそう考えています。彼らは村の男たちの中でも身体が頑丈で勇ましい男たちですので、怖いものはありません。
長年の勘から躊躇なく森を突き進み、どうやらこちらに大きな獲物がいる……そう睨んでやってきました。
『この奥だ』
一人の男が草を大きく掻き分けます。その時、風がザアアアっと二人の間を通り抜けてゆきました。
『え……』
『おい、どうした?』
『狼がいる』
『そりゃあ、いい。大物か?』
一人の男が呆然としているのを不審に思いながら、もう一人の男も草むらの向こうを見つめます。そして、彼もまた同じように呆然としてしまいました。
『……あれは何だ?』
『狼じゃないのか』
『そんなバカな』
草むらを抜けたその先には一匹の狼が立っていました。
しかし、それは男たちがよく知っている狼ではありません。
その狼は、全身黄色の毛でおおわれており、さらに森に差し込んできた日の光を浴びて、金色にさえ見えました。
キラキラ光る毛を逆立たせながら、凛として立っている狼。
それはまるでこの世のものとは思えないほど幻想的で、あまりに美しすぎるため、男たちは何か恐ろしいものを見ているような感じがしてきました。そこにその狼がいるだけで、辺りがシーンと静まり返ってしまったかのようです。
猟師の二人が、まるで足が棒のようになってしまったかのようにその場に突っ立っていると、その狼は低い声で
『カエレ』
と一言告げました。
鋭い目つきと片言の人間の言葉。
それだけで、猟師の男たちが震えあがるのには十分でした。
彼らは人語を喋る美しすぎる狼に怯え、一目散に森を逃げ去ってしまいました。
金色……いえ、黄色の狼。それは紛れもなく狐の少女、ココでした。
彼女は咄嗟に狼に
偶然ながらも、ココはなんとか人間を追い返したのです。
「しまった……」
しかしココはあることに気が付きました。
「小学四年生はまだ狼に化けてはいけないのよ」
先ほどクラスメイトに言った言葉。それを自らも破ってしまいました。
「どうしよう……お母さんに怒られてしまうことが増えてしまったわ」
そろっと後ろを振り返ると既に狐の姿に戻ったクラスメイトの二匹。やっぱり見られている……ココは逃げ出したい気持ちでいっぱいになりました。
その時です。
「ココ、お前すごいな」
「かっこよかった」
二匹はココに近寄ってまじまじと彼女の姿を見つめました。
「その毛も、本物の狼よりきれいだし」
「今まで馬鹿にしてごめんな」
そして笑顔で彼女の勇士を褒めます。
ココが化けることで褒められたのは、初めてのことでした。
今までの憂鬱な気持ちも全て吹き飛び、ココはすがすがしい嬉しさを感じずにはいられませんでした。
「本当?」
「おう。その……助けてくれてありがとな」
悪戯好きで意地悪なクラスメイトが素直に頭を下げています。
ココは誇らしく、けれど少し申し訳ない気分になりました。
「いいわよ。その代わり、私に化け方を教えてちょうだい」
ココは狐第十三小学校の劣等生。化けても化けても黄色いままの劣等生。
今日も化け方の練習の授業では皆が一斉にうさぎに化ける中、一匹だけ黄色い毛並みのうさぎがいます。けれどもう彼女を馬鹿にするものはいません。
「黄色いうさぎも可愛いわ」
「でも、もう一回練習してみようぜ」
そうやって皆がココの周りに集まります。
ココは狼に化けたことを親にこってり叱られてしまいましたが、それでも小学校の一躍人気者になりました。そして、また狼に化けてほしいと言われます。
ココは少し照れくさくて、あれ以来狼には化けていませんが、しかし嬉しい気持ちでいっぱいです。そして、一つの決意をしました。
あの二匹を助けたように……誰かの役に立てる狐になりたい。化け方が下手でも勇気だけは忘れずにいたい、と。
これは誰も知らない狐の小学校の、小さな狐の少女の物語。
黄色い狐、ココ 無月彩葉 @naduki_iroha
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