第10話 死闘の行方
「何だと?」
自分で自分の首をむしり取る魔物など、聞いたことがない。
シブキは一体何が起きたのかと、立ち尽くした。
首が落ちてなお、魔物は倒れなかった。
みち、みち、みち……。
引きちぎれた傷口を残した肩の間から、赤い血にまみれた塊が持ち上がって来る。
土を割って伸び出でる新芽のように。血を滴らせながら持ち上がって来る肉の塊。
ぶるんと、皮を破ったように表面が弾けて、中から現れたのは毛の無い顔であった。
赤ん坊のそれにしては限りなく醜悪な「顔」は、絡まる糸のような血を振り捨てて目を開く。
そして、血にまみれた歯を剥いて一声鳴いた。
「KhwaaAAAAHHgh!」
めりめりと、唇を破って牙が伸びる。割れた舌がでろりと垂れ下がる。
針のように細い瞳が、きりきりと眼窩を彷徨い、行先を見つけたように5人の敵を見る。
「じゅぅぅいちぃいいいい!」
ぎぃいいーん。
脇腹に叩き込まれたチバの剣が今までとは違う音を立てた。
「ぬっ?」
少しずつ魔物の肉を削っていた刃が、肉に通らずに弾き返された。刀身をかざしてみれば、物打ちに刃こぼれができていた。
「馬鹿な。刃が通らぬとは……」
驚きにチバの動きが止まった。
「ロイド! ダメージが通ってない! 立て直しだ!」
シブキが戦列再構築の指示を出した。基点のロイドがポイントを作れば、残りのメンバーは雁の群れのように列を作る。
ロイドがカイトシールドを構え直し、遭遇時よりも一層低く体勢を落とす。
「今度は受け止める!」
ガン!
ロングソードを盾に打ち付けた。
「がふぅううっ!」
魔物は無造作に踏み込むと、ロイドの盾をめがけて腕を振り下ろした。
ぎゃんっ!
カイトシールドが悲鳴を上げる。
だが、ロイドは盾を持ちこたえた。魔物は腕を振り抜いた姿勢で固まっている。
(ここだ!)
シブキは口中で唱えていた呪文を完結させると、練りに練った溶岩魔法を放った。
バーンッ!
轟音と共に弾けたのは、魔物の顔を襲った「溶岩弾」であった。灼熱のラヴァをどっぷりと纏った質量弾が次々と顔面に突き刺さり爆裂する。
シブキの取って置きであり、このあと半日は魔法が使えなくなるほどの魔力が込められていた。
「肩借りるよ! えっ?」
ロイドの肩を踏み台にして飛び出したデニスが失速して地面に投げ出された。肩を蹴ったはずの足が空振りしたのだ。
「何で避けるんだよっ?」
振り向いたデニスの目に映ったのは、ずり落ちて行くロイドの上半身であった。
盾を殴りつけた魔物の一撃は、斜めに盾を切り離すだけにとどまらず、ロイドの体をも斬り落としていた。
「ロイドっ!」
はらわたを振りまきながらロイドの死体が地面に落ちた。パーティーの基点だった物は肉の塊になった。
「いかん。分散っ!」
壁役がいなくては連携攻撃ができない。固まっていては魔物の的になるだけだった。
「何をしてるっ! 散れ、モリヤ!」
シブキが自分の背後に向かって叫ぶが、モリヤは離れようとしない。取って置きの灼熱溶岩弾を放ったシブキの両手を癒すまでは離れられないのだ。
「魔法打つたび火傷してんじゃねえぜ! ヒール!」
発動さえすれば、回復自体は術がやってくれる。モリヤは隠れ場所を求めて岩陰へと走った。
ブゥーィィィイン!
斜め後ろから唸りを上げて迫って来る物がある。モリヤはとっさに
じん!
爪楊枝でも切るように勢いも落とさずに長杖を叩き切ったのは、丸鋸のように回転した金属板だった。
「ふぐっ!」
腹に受けた衝撃に目を下ろせば、横腹が口を開けて内臓をこぼしていた。
「俺のはらわたが……」
激痛に白目を剥いてモリヤは意識を失った。回復魔法を使う余力すらない。
腹を割いて飛んで行ったのは半分に断ち切られたロイドのカイトシールドであった。
魔物が指先で拾い上げ、カードマジックのように弾き飛ばしたのだ。
「行くぞ! 右だ!」
「じゃあ、左!」
声を掛け合ったのはチバとデニスであった。チーム最速の2人が左右から同時に魔物を襲う。
片方を防げば、もう片方はノーガードの敵を襲うという超スピードのコンビネーションであった。
単純だが限界を超えたスピードはそれだけで勝負手となる。
魔物の頭部は先程の灼熱溶岩弾を受けて、額から上が吹き飛んでいた。それでどうして戦えるのか意味不明だが、黙って見ているわけにはいかない。
獣を上回るスピードで大小2つの影が、魔物の頭部をかすめ飛んだ。日本刀と短剣が、魔物の眼を刺し貫いて行く。
「よし! 任せろ!」
声を発したのはリーダーのシブキだった。
ここで化け物に止めを刺すのは自分しかいない。
ロイドは真っ2つにされた。
自分の攻撃魔法は打ち止めだ。
モリヤの回復魔法も当てにできない。あいつは生きているのか? それもわからない。
チバとデニスの攻撃は通るが、威力が足りない。
なぜか硬度を増した魔物の外皮を断ち切る力は2人にはない。
ならば自分だ。
魔法が撃てない? それがどうした。
剣が通用しない? 知ったことか。
斬れない敵なら――叩き潰すのみ。
シブキは
「借りるぜ」
無駄に重いその杖を構え、上段に振りかぶった。
「……ぜ」
「何だ?」
杖を振りかぶったまま、シブキは意識を
「へっ、その杖は……てめえの、なまくら……とは……違うぜ」
「……しゃべるな。死ぬぞ」
「しゃらくせぇ。持ち手の命がある限り……そいつはま、魔力を絞りだ……せるんd」
そこまで言うと、力尽きてモリヤは再び意識を失った。
「魔力だと? あたしにまだ残っているって?」
命ある限り魔力を絞り出す、モリヤはそう言った。
「上等だ。てめえの命とあたしの命、ありったけで勝負と行こうじゃねえか!」
傷つけられた両眼を掻きむしっている魔物に向かって、シブキは疾走した。
「どりゃぁああああっ!」
駆け引きも何もなし。すべての力を注ぎこんで、シブキは最上段から魔物の頭部に長杖を叩き込んだ。
「白熱流ーーっ!」
モリヤの長杖を発動体として、シブキは超至近距離で魔法「白熱流」を魔物にぶつけた。発生地点は杖の表面だ。
じゅうじゅうとシブキの両手を焦がしながら、杖は魔物の頭を吹き飛ばした。
そのままずぶずぶと胸の真ん中までめり込んで行く。
「どうだ! この野郎っ!」
ぼとりと白熱した杖を取り落としたシブキは、激痛をこらえて魔物に向かって吠えた。両掌はすっかり炭化してしまい、感覚すらない。
首のあった場所から胸の中央まで断ち割られた魔物は、腕をだらりと下げたかと思うと、棒のように倒れて地響きを立てた。
「けっ。ざ、ざまあ……みやがれ! げふっ」
生命力の大半を今の一撃に込めたシブキは、真っ青な顔でせき込んだ。口の端から血が零れる。
「モリヤ? モリヤ! てめえ、死んだのか? 返事しやがれ!」
「うるせえなぁ……。のんびり死んでる暇もねえのか。だから、いちいち火傷すんじゃねえって言ったろうが……」
モリヤは横腹に片手を当てながら立ち上がった。ふらついているのは大量に血を失ったせいか。
「何だよ、その手は? トイレで尻も拭けねえだろ。こっちに出してみろ」
モリヤはカチカチになったシブキの手を取り、癒しの魔法をかける。自分の脇腹にヒールを掛けながら。
「あれ? 何でだ? 術の効きが悪いな。シブキ、どうだ?」
目を上げてもシブキの顔が見えない。
「けっ。情けねえ。目が
シブキの顔が見えなかったのは目が霞んだせいではなかった。
シブキの顔が無くなっていたのだ。
「GwaHooogh……」
シブキの顔があった場所には、魔物の胸があった。その中央に現れた巨大な
「シブキぃいいいっ!」
がつっという音と共に、モリヤは吹っ飛ばされた。
魔物にやられたと死を覚悟したが、組み付いていたのはチバだった。
「逃げろ、モリヤ!」
チバはモリヤを立ち上がらせると背中を強く押した。
「馬鹿言うな! シブキを回復しなきゃ!」
「シブキは死んだ。首を食われてな。死んだ者は回復せぬ」
「うるせえ! うるせえ! 首はどこだ? すぐつなげば……」
ばしっとモリヤの頬が音を立てた。
「甘えるな。死んだ者は帰らない。お前は死ぬな」
「モリヤ! チバとあたしで時間を稼ぐ。あんたは逃げて」
「ギルドに報告しろ。レイドを組まねば魔物は倒せないと」
「お、お前らを置いて行けるか!」
「走れ、モリヤ! 人を救うのがお前の魔法だろう? 生き残って魔物を倒せ!」
「モリヤ、走って!」
そう言うと、2人は獣のように走り、魔物に襲い掛かった。
魔物は腕を振り回すが、2人を捉えきれない。
「行け! モリヤ!」
「畜生ーーっ!」
モリヤは顔を歪ませて絶叫し、全力で走り出した。
杖も仲間の死体も、生きている仲間も、何もかも振り捨てて洞窟の出口を目指した。
途中で脇腹から血が流れ出したが、構わず走った。
回復魔法はふらつく脚に使い、街のギルドまで一息に駆け戻った。何事かと迎えたギルド職員にすべてを伝え終わると、モリヤは力尽きて息を引き取った。
最後の言葉は、「シブキの首を取り戻してくれ」だった。
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