始まったばかりの高校生活が密かに充実し過ぎている
petrichor
第1話 噂の清楚美人
半分ほど開いた窓から入った風が優しく頬を撫でてくる。高校生になって早くも一ヶ月が経ち、五月の風は温度も丁度良く心地良かった。
HRが終わって解散してからまだあまり経っていない教室はクラスメイトの喧騒で賑わっている。短い月日の末、各々が波長の合う仲間を見つけて会話に花を咲かせているのだろう。
そんなクラスの喧騒には全く目もくれず、
授業中に解ききれなくてそのまま課題になった数学の問題。
解き途中の過程を忘れる前に解き終えたかったし、中途半端に放置するのは結人の性に合わなかった。
それに、結人は勉強そのものが苦手というわけでもない。
むしろ筆記用具をノートに走らせる摩擦の感覚は結構好みだったし、次々と問題を撃破していく爽快感や達成感はゲームにも似ていて意外と悪くないと思えるくらいだった。
「おうおう。メガネくんが放課後にまで真面目なこった」
馴染みのある声に顔を上げると、友人の
「今度お前が課題忘れてきても絶対に助けてやらないからな」
「ごめんごめん、冗談だって」
ノートに目を落としながらチクッと言うと、康介は軽い冗談だと思ったのかけらけら笑いながら結人の右隣の机に行儀悪く腰掛ける。
出席番号順に決められた座席によって結人の隣は康介だった。
一人ぐらい友人を作っておいた方がいいだろうし隣の同性なので……と話しかけて以来今では軽口を言い合えるくらいには仲が良い。
帰り道もバスが途中まで一緒なので、都合が合えば一緒に帰っていた。
「帰ってくるの遅くない?」
「ちと廊下で駄弁ってたもんで。……てか、それでいうとお前のそれもまだ終わらないだろ」
「確かに。あと二問だけだから許して」
「別に待つぐらい大したことじゃないからいいけど」
解き方の理解ができている数学の問題はすらすらと気持ちよく解ける。
余裕があったので康介に対して軽口をこぼしてみたところ、普通に反論されて結人は許しを乞う羽目になった。
「……にしてもようやるよな。課題なんてギリギリにやるもんだろ」
「いやそれが当たり前みたいな言い方されても困るんだけど」
「んー、少なくともお前みたいなやつは珍しいんじゃね? 休み時間は休み時間らしく使うもんだろ。普通は駄弁ったりして」
「……まあ、そうかもね」
康介の言うことも分からなくもないが、それは個々の優先順位の問題なのだろう。
結人は普段から学校の休み時間や空いた時間を課題に費やしている。
それは結人がはしゃいだり動き回ることに積極的になれないというのもあるが、タスクを早めに終わらせたいという性格故なのだ。
それで課題を後回しにしがちな隣人からは呆れや感心が混じったお言葉をよくいただいていた。
「いやー、授業以外で勉強なんて俺はあんましたくねえなあ」
「おい進学校の高校生」
首をすくめて戯ける康介に思わず顔をあげてツッコミを入れると康介はまたけらけら笑い出す。
愉快そうに笑うし会話のリズムがいいので康介と話すのは退屈しなかった。
「……なあ結人」
問題の方に戻ろうと視線をノートに落としたのだが、問題に手をつける間も無く康介がこちらの名前を呼んでくる。
その口調がどこか改まったもので気になって康介の顔を見れば、さっきまで笑っていた康介が何か意味ありげに真面目な顔を作っていた。
「課題なら自力でやってくれ」
「いやちげえよ」
「え、違うの……?」
「おい待て、お前は俺をなんだと思ってんだ」
「ノリがいい不真面目系男子生徒……?」
「まあまあ、間違ってはないな」
「ノリがいい自覚はあるんだ」
「じゃないとこんな漫才じみた会話できねえだろ。……ってそうじゃなくてな」
本来の目的を思い出したらしい康介が隣から身を乗り出してきて結人の筆箱からシャーペンを一本抜き出す。
急な行動に結人が反応できないでいると、康介はそのまま問題を解いている途中の結人のノートの端にシャーペンを走らせ始めた。
反射的に止めようと思ったものの、シャーペンで書かれた文字なら簡単に消せるしいいか、と冷静に考えて結人は康介の好きにさせてやることにした。
「ちょっと聞きたいことがあってな」
しばらくして書き終えたらしい康介がノートから手を退けた。
何かを試すような、どこか挑戦的な表情をしている康介に影響されて結人は恐る恐る……といった形でノートに顔を近づけてみる。
結論から言えば、そんなに構える必要は無かった。というのもノートには乱雑な文字で『
口に出さないで書くようなことなので重めの相談事か何かかと思っていたのだが、どうやらそのような類では無かったらしい。
ただ、ノートの端に書かれたこの大雑把な質問文をどう解釈してどう返せばいいのか分からなくて結人は困った。
(どう思う? ってなんだよ……)
困り果てた末に眉を寄せて康介に助けを求めると、康介はヒントでも与えるかのように斜め後ろを横目で見た。その方向を見ろ、ということらしい。
仕方なく結人も同じように斜め後ろを見て康介の視線を追う。
康介の視線を追った先には女子生徒の集まりがあった。
複数人が一人の机を囲っている様子はかなり異様でクラスの中でも目立っていたが、その集まりが周りの視線を集めているのはもっと他の理由によるものだろう。
実際、周りのクラスメイトの目線はその集まりに、と言うよりはその中心で姿勢正しく座って話の聞き役に徹している一人の女子生徒に向けられているらしかった。
彼女は独特なオーラを纏っているようで目立つし、持ち前の美貌には確かに人目を引くものがあった。
少し丸みを帯びた前髪は垂れ目を強調していて高校生にしては幼い相貌を演出しているし、ストレートの長い髪はそよ風にふんわり靡くと時折輝いて見えるほどの質感を秘めていた。
涼音を一言で表すなら清楚美人だろう。清楚系ではなく本当に清楚なのだ。
外見だけでも飾り気がなく、それでいて容姿端麗と印象が良い。さらに驚くのは人格の方で驕らず控えめな態度に丁寧な言葉遣い、とまるでいいところのお嬢様のようだった。
そんな清楚美人は高校生活が始まって間もなく全校の注目を集め、話題の人物となっていた。
毎日のように話題に挙げられているし、噂では上級生の男子からもかなりモテているそうだ。
結人はというと、涼音の美貌や人格は周囲の評価に賛同するが、それはそれとして毎日のように囲まれたり告白されたりしていると疲れるのでは? と人気者の涼音を気の毒に思っていた。
以前から彼女に対して思っていたことを今思ったかのように思い出して、結人は康介が書いた文章の下に『人気者で大変そう』と書く。それからわくわくとした様子の康介にノートを見せた。
返ってきた答えを見て「それはまあ、そうだな」と康介は頷く。
それでも求めていた答えの方向性が違ったのか、康介は首を傾げてあまり納得のいかないご様子だ。
どうやらそれは当たっていたらしく、「それはそうだけど……」と康介はシャーペンと今度はノートもかっさらっていって、自分の机の上で太腿の横に置いたノートに再びシャーペンを走らせ始めた。
今度はさっきよりも早く、ノートはほんの数秒で返ってきた。
これならどうよ、とでも言いたげな康介からノートを受け取って目を通すとそこには『付き合ってみたいと思う?』と読める、殴り書きされた文字列があった。
なるほど。先程とは違って質問が直接的な分、康介の聞きたいことは分かりやすかった。
試しにちらっと涼音を眺めてみても、美人だと思うだけで特に恋愛感情らしいものは湧いてこない。
まあ、関わりがないに等しいのでそうなるのも仕方がないのだが。
それに人気の涼音に手を出して周りから変な妬みを買うのは面倒だ。もっとも仮に結人が彼女に対して気があったとしても、涼音と自身が釣り合わない事を理解しているので手を出すことはないだろう。
結人は『まったく。美人だなとしか』と書いて康介に見せた。
「……ま、そんなもんか」
「そんなもんだろ。急に変なこと聞いてどうしたんだよ」
突然筆談を始めたのは周りや本人に聞こえないようにするためなのだろうと何となく察せる。でも筆談の内容や、なぜそれを自分に聞いてきたのかは全く分からない。
「いやー? お前的にどうなんかなって」
「別に興味ないな。それに間違って触れでもしてみろ、始まったばかりの高校生活が終わりかねん」
「ははっ、間違いないな。それも社会的に」
まるで危険物扱いだな、と康介は笑う。
笑っている康介を傍目に結人は涼音の方を盗み見た。
一連の行動や会話が話題の張本人である涼音の注意を引いていないか心配になったのだ。
幸いにも涼音はクラスメイトの話を聞く方に意識を向けていてこちらを気にしている様子は全くない。
結人は安心して軽く息を吐いた。それと同時に机の上の課題が全く進んでいないことにも気付く。
「まあとにかく、もうすぐ解き終わるから邪魔しないで待ってろって」
「うーい」
先程の筆談でのやりとりを消しゴムで全て綺麗に消して結人は問題を解くことに集中力を注ぐ。
高校生であれば恋愛の話ぐらい普通にするだろうし、その手のことでよく話題に上がる涼音のことなど結人にとっては些事でしかない。
だから、噂の清楚美人とあんな出会い方をするなんて、この時の結人は微塵も思っていなかったのである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
はじめまして、petrichor(ペトリコール)です。
私自身小説を書くのは初の試みなのですが、少しでも上手く書けていると思ってくださった方は是非評価の方をよろしくお願い致します。今後もよろしくお願いします。
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