第11話
それだけじゃない。凄まじい告白までされた。いつもの冗談とごまかせるものじゃない、本当に真剣な告白を。
思い出すと叫びそうなほど恥ずかしい。
「……あら、千香、本当は熱だけではないのではなくて? 顔面がおかしいわ、顔色が赤くなったり青くなったり……目も泳いでいるじゃないの」
美矢乃さまが私の顔を覗き込んでくる。今の私は顔が近づくだけでも致命傷だ。
「い、いえっ……ただ、これは昨日を思い出して……あ! 昨日!
美矢乃さま何であんなに早くに駆けつけてきて頂けたのでしょうか? このお部屋まではどうやって……」
苦し紛れに言ったのだが、逆効果だった。美矢乃さまは涼しい顔をして、とんでもないことを聞かせてくれた。
「だって、図書室の前で待ち構えていたもの。あのダンピールに気づかれないように気配を消してね。ちなみに、部屋までは私が抱いて運んだわ。千香、身長のわりに軽いのね、もっと栄養をつけないといけないわ。そうだわ、一般人の寮の厨房に──」
「あのっ! それは結構です! 私は標準体重の範囲内ですので!
というか、抱いて運んだというのは……」
訊いた瞬間に、訊かなければよかったと後悔したけれど、美矢乃さまは軽やかに「ふふふ」と笑った。
「お姫様抱っこ、というものかしら? 周りの目が心地よかったわ、皆さん驚いてらしたわよ、ファンクラブの方達なんて手を取り合って何か言っていたわね」
「……あああ……」
しかも、私は美矢乃さまのお部屋に1泊してしまった。そして美矢乃さまの看病を受けている。美矢乃さまは学校を休んでまで付き添ってくださっている。今も私は美矢乃さまのベッドのなかだ。熱が下がりきるまで、美矢乃さまは一般人の寮には帰らせてはくれないだろう。
──詰んだ。
周りは完全に誤解しているはずだ。美矢乃さまと私が、ついに特別な関係になったと。
両手で顔を覆う私に、美矢乃さまは私の頭を撫でて嬉しそうに言った。
「あのダンピールは憎むべきものだけれど、結果としてはひとつだけ感謝しなくてはね。私に抱きついてきたときの千香の可愛らしさといったら……しかも、周りの方々に私達の絆を見せつけられたのですもの」
「……熱が上がりそうになるので勘弁してください……」
美矢乃さまのシャンプーの香りがする枕に、うつ伏せになって顔をうずめると、美矢乃さまは「あら、それはいけないわ!」と生真面目に声を上げて手を離してくださった。
「さ、お薬を飲まなくてはいけないし、お粥を少しでもいいから食べてちょうだい」
よかった、話題が逸れた。ほっと胸を撫で下ろして半身を起こしていると、美矢乃さまがレンゲにお粥をひとくち分すくい取り、息を吹きかけている。
「……あの、美矢乃さま、それは……」
「はい、あーんして?」
「──自分で食べられますので!
その程度には元気ですので、ええ本当に!」
勢いよく全力で反駁する。美矢乃さまは小ぶりな唇をとがらせた。
「看病といえば定番なのに……」
「でないと、熱が上がります」
「照れるあまりに?」
「違います、恥ずかしさで倒れそうです」
「似たようなものじゃない。──でもまあいいわ、ここは千香の精神衛生を尊重しましょう。熱いから、よく冷まして食べるのよ。待っていて、今ベッドテーブルを出すわ」
そう言って、案外簡単に引き下がってくださった美矢乃さまはベッドに備え付けられた折り畳み式のテーブルを出してくださった。その上にお粥の土鍋を置いて、茶碗を手渡してきてくれたのでお礼を言って受け取る。
お粥は美味しそうだった。実際に食べてみると、鶏の出汁が効いていて旨味があって、程よい塩分が優しくて美味しい。あっという間に完食してしまった。
美矢乃さまは、そのさまを嬉しそうに眺めていた。食べ終わると、薬のシートから薬を取り出してペットボトルの水と一緒に渡してくださった。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ、私は嬉しいの。千香の役に立てているのですもの。もうしばらく熱があってもいいのよ?」
「……それでは公演に間に合いませんよ?」
「台詞はすべて覚えているでしょう?」
「そうですけど、まだ課題はありますし……」
「もう、千香ったら真面目なんだから。でもそこも好きよ。……ねえ、千香。夜明け前に私が話したこと、文化祭公演の後でいいから、考えてみてね」
やはり、避けられない問題なのか。散々先延ばしにしてきたことでもあるし、仕方ないのか。
「……はい……」
「いい子ね。では、もう少し寝なさい」
美矢乃さまの顔が近づいてくる。瞼にくちづけされて、睡眠薬を飲んだような不思議な酩酊があって眠りに落ちた。
熱は翌日にはすっかり引いていた。私は美矢乃さまのバスルームをお借りしてシャワーを浴び、自分の寮の部屋に戻ることになった。バスルームは綺麗に手入れされていた。ボディソープもシャンプーも見たこともないメーカーだった。きっと高い。美矢乃さまは「私と同じ香りね」と意味深に喜んでいた。それはスルーさせて頂くとして、明日から演劇部の練習に戻るのだ。
寮の自室に帰ると、たった2日あけていただけなのに薄ら寒く感じた。
これは寂しさなのだろうか? あと1週間で美矢乃さまと一緒に帰れなくなると思ったときのように。
──でも、しっかりしなくては。
私は両手で両頬をぱちんとはたいて気合いを入れた。
* * *
「ああ……帝にわたくし達の関係が知られてしまったわ……どうしたら……」
憔悴しきった面持ちで美矢乃さまが演じる。
私は美矢乃さまの細い両肩を掴んで決死の覚悟を決めた男を演じた。
「……逃げましょう。ふたりで。他の吸血鬼の血の弾丸に私が撃ち抜かれたら、魂の契りは解かれて貴女は元に戻る……けれど、その先に待ち受けているのは檻のなかの地獄です」
──他の吸血鬼の血の弾丸。今は入手困難になっているけれど、裏社会では現存する。
その台詞を口にしたところで、図書室でのダンピールの言葉を思い出した。
同時に、悟る。父は吸血鬼の血の弾丸を受けたのだと。そうして、殺されたのだと。
「あなたとなら、どこにでも行くわ。地の果てまでも……そこが不毛の地でも恐れない」
──殺された。父は、殺されたのだ。
「ああ、姫……愛しております、貴女のためならば、この命惜しくはありません」
台本通りの台詞を口にしながら、涙が溢れてくる。どうして父は殺されなければならなかった? 魂の契りを交わした相手を奪われた母はどんな思いで生きた?
「わたくしもよ、あなたを愛しているわ……だからお願い、共に生き抜くと言ってちょうだい」
美矢乃さまがアドリブで私の涙を唇でもって拭う。私は固く目を閉じて美矢乃さまの体を抱きしめた。激情に衝き動かされる男として。
「誓います……もう、貴女を帝のいいようにはさせない。貴女は気の遠くなるほどの時を孤独に苛まれながら生きていらっしゃった……もう、ひとりにはいたしません」
「嬉しい……あなたの腕のなかは、なぜこんなにも幸せなの?
吸血せずとも満たされてしまう……これが真実、愛というものなのだと知ってしまったわ……」
「愛……私も初めて知りました。帝への憎しみだけで生きてきた私にとって、貴女は幾億の星よりも輝かしく、そして貴女の抱いてきた悲しみを思うと胸が張り裂けそうになる」
「──はい、そこまで! 10分休憩!」
顧問が手を叩いて合図する。緊張感がほどけた。
私はといえば、慌てて美矢乃さまから体を離した。感情に任せて、何てことをしてしまったのだろう。演技のなかで公私混同するなんて。
「あら、千香ったら……あんなに情熱的に抱きしめてくれたのに、ひどいわ」
「演技です! 演技です!」
「2度も言ったわね? まあ、千香は最近変わってきたから嬉しいのだけれど」
「変わった……?」
首を傾げていると、顧問が美矢乃さまに同調してきた。
「そうそう、千香、最近演技に艶が出てきたわよ。魂が込められているというかね、台詞をなぞるだけじゃなくなったわ。どういう心境の変化?」
台詞をなぞるだけ……ひどいことを、さらっと言われた気がする。いつも必死に夢中で演じてきたのに。
それが顔に出ていたのか、顧問が補足した。
「今までもよかったんだけどね、演じることに没頭していて。でも、役に呑み込まれていた感があったのよ」
「……役、に」
「だけど最近は役に自分を乗せられるようになったわね。いい兆候よ。この勢いで明日の本番も頑張ってね」
「は、はい!」
どうやら褒められているらしい。しかも、かなり。
──そう、文化祭まであと1日。明日には演劇部の公演が控えている。だから今日は明日に備えて練習時間は短めだ。しっかり体を休めて、万全の体勢で挑むために。
よし、本番も頑張ろう。そう勢いをつけたところで、顧問が楽しげに告げた。
「やっぱり一緒に帰るっていうのは効果があったみたいね。宮牙さんのお姫様抱っこ私も見たかったわ」
「先生、それは私の黒歴史です!」
「何を言っているの? 千香。私達の絆を深めた重要なイベントではないの。私に身を任せきった千香の愛おしさ……今思い出してもたまらなくなるわ」
「もう、その話はやめてください……あれから何回言ったと思ってらっしゃるんですか」
げんなりとして肩を落とす。そう、美矢乃さまは武勇伝のごとくというか、壊れたレコードのごとく耳にタコができそうなほど何度も繰り返し言っては私を何とも言えない気持ちにさせているのだ。
「さあ? 数えきれないくらいは言ったとしか憶えていないわ」
「美矢乃さま……」
思わずうなだれる。その頭を、美矢乃さまがぽんぽんと撫でた。
「これくらいで照れていたら駄目よ。本番はキスシーンもあるのですもの」
……もう言い返す気力もない。真似だけだというのに。
顧問はといえば、それを微笑ましく見ている。フォローが欲しいのに。
「まあ、千香のスキンシップ嫌いが改善されてよかったわ。宮牙さんの努力の賜物ね」
「ええ先生、私随分頑張りましたのよ」
駄目だ、会話の流れについていけない。気力をすっかり削がれたところで、顧問が「だけどね、千香。これはいい傾向なのよ。生身の感情は舞台の礎になるの。──はい、練習再開!」と、声を上げた。
何やら大事なことを教えてもらった自覚はあるものの、心境としては、これから演じる美矢乃さまとのラブシーンを演じるどころではなかった。でも、舞台は待ってくれない。しっかりしなくてはと自分を叱咤して哀れな男の役の心情を手繰り寄せた。
舞台の礎──どんな感情でも、演じる肥やしになるのだろうか? 思い出したくないことでさえ?
「今日は時間が短い分ハードだったわね。先生のスパルタぶりは驚嘆に値するわ。そう思わないこと、千香?」
「……何しろ、明日が本番ですからね。気合いも入りますよ……」
既に日常となったふたりの帰り道、私の声は浮かなかった。美矢乃さまが気遣わしげに私を見上げる。
「どうしたの、千香。元気がないじゃない」
「美矢乃さまこそ緊張しないんですか? 大ホールでやるんですよ? あの会場4千人入るんですよ?」
「あら、ひとりでも1万人でも同じよ。人前で演じるっていうのは、魅せることよ?」
「私もそう思えたらいいのにと思います……」
中等部の舞台は小ホールで生徒だけが観ているなかで行われたから、人数はもっと少なかった。文化祭は一般来場者も訪れるのだ。
しかも、吸血鬼と一般人が共演するということもあって、前評判がすごい。ホールは確実に埋まるだろう。2階席の後ろには立ち見もある。そうなると4千の席どころではない。
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