第2話

 濃紺のセーラー服に印象的な臙脂色のラインは2本。スカーフも同じ色で、留め方に生徒の工夫や個性が光る。細いプリーツのスカートは膝下5センチ。淡い肌色のストッキングに黒いローファーが映える。

「──では、今週の朝礼は終わりです。生徒、退場」

 生徒は整然と列を乱さず校舎へと戻ってゆく。高学年から先に戻る。そして2年生の順番になり──ひときわ目立つ容姿の女学生が1年生の列に目的の人物を見つけて艶麗な笑みを浮かべ、軽く手を振った。

「きゃあっ、今私に向かって手を振られたわ!」

「いいえ、私によ!」

「あら、ステージから手を振られたら、周囲の30人は同じことを考えるって知りませんの?」

「そこの1年生、私語は慎むように!」

 騒然とした1年生に注意の声が飛ぶけれど、浮き足立った女生徒達は収まらない。

 これは、毎週恒例の『ご挨拶』だ。

 色めきたつ生徒達のなかで、ただ1人──そ知らぬふりをするものへの。


 ──私立菩提女学院は幼稚舎から大学院まである名門だ。

 この世のすべての学校は基本的に吸血鬼用と一般人用に分かれている。この菩提女学院は高校から全寮制で、寮も校舎も吸血鬼と一般人では別々に建てられているけれど、ひとつの学園のなかで吸血鬼と一般人が関わりながら学べるという国内唯一の学校だった。

 ただし、吸血鬼と一般人が互いの領分に往き来できるのは、魂の契りを結んだ相手の元に限られる。ちなみに、1度魂の契りを結んでしまえば、吸血鬼は他の一般人を吸血できないし、一般人の方も他の吸血鬼から吸血されることはないから、魂の契りさえ結んでいれば秩序は保たれる。──吸血鬼として生を受けたダンピールの一部を除いて。

『私立』の『女学院』というだけあって、通っているのは裕福な家の子がほとんどだけど、私──和泉千香は特待生制度を利用して中等部から受験組で在学している、今は高等部の1年生だ。母に捨てられてから養護施設で暮らしていたが、誰かは分からない誰かの支援によってこの学院を受験できたのだ。定期試験で常に3位以上であることが条件だから厳しいけれど、勉強は嫌いではないし、この学院を卒業できれば就職に有利だから頑張っている。

 毎日の予習復習にテスト勉強は欠かせないけれど、楽しみももちろんある。吸血鬼と一般人が一緒におこなうもの──毎週月曜日の朝礼、文化祭、体育祭、林間学校、修学旅行、そして部活動。ちなみに私は中等部の2年生から演劇部に所属している。

 一般人にとって、美しく身体能力もずば抜けている吸血鬼の存在は憧れの対象だから、一般人の生徒はこれらのイベントを楽しみにしている。

 特に部活動は、吸血鬼との共同作業が多く交流が盛んだ。そのため、異種間交流と相互成長の促進と銘打って私が中等部の2年になったときに全校生徒の部活動参加が義務づけられたほどだ。


 もっとも、あからさまに言ってしまえば、この学院に入学する一般人は少しでも高貴な血筋の吸血鬼と魂の契りを結ぶための出逢いを求めて、というのが目的だから、異を唱える生徒などいなかった。

 しかし私はといえば少しでも食いっぱぐれない仕事に就くために勉強に明け暮れていたから、期限の4月末日を過ぎても入りたい部活が見つからず困ってしまった。

 そこで、見かねたクラスの担任が、自分が受け持っている演劇部はどうかと誘ってくれて、興味を持たせるために女性だけで構成されている歌劇団の演劇に連れていってくれたのだ。

 演劇なんて見たこともない私にとって、歌い、語り合い、踊り、思いのたけを乗せて愛を口にする人達は皆、輝かしくて眩しくて麗しくて美しくて華やかで、生き生きとしていた。脇役のひとりでさえも精一杯演じているのが伝わってきて見入ってしまった。

 ──こんなふうに、やってみたい。

 小学生のときに母に捨てられ、中等部でも施設で育ち、経済的な自立と安定だけを漫然と求めて生きてきた私にとって、それはまさに閃光だった。

 生き抜くことを演じる。演じることで生き抜く。

 舞台で演じられていたような、愛し愛されることの素晴しさを私はまだ知らなかったけれど、舞台への憧れに偽りはできなかった。

 私は、帰りの駅までの道で先生に演劇部に入れてくださいと頭を下げていた。先生は嬉しそうに「よかった、頑張ってね」と背中を軽く叩いて入部を認めてくれた。

 だけど、世の中は理不尽なことばかりだ。

 それを、演劇部に入部して基礎練習に励んでいた2年の3学期、3年生の卒業公演での配役で思い知ることになる。


 主演であるヒロインの相手としての男役──まだ基礎も出来ていないと自覚している私に突きつけられた配役は無茶としか言いようがなかった──。


 私は当然ながら抗った。何度も断った。中等部を卒業し高等部へと進路を進める3年生の中には、それこそ初等部の頃から演劇を続けてきていた筋金入りの部員も少なくはない。その方々をさし置いて、ほぼ素人の私が素人丸出しの演技で3年生の皆さまへの花向けになる舞台で演劇部に泥を塗る真似など出来ないと顧問の先生にも訴えた。

 だが、私の言葉は聞き入れてもらえなかった。

 代わりに待ち受けていたのは、ヒロインに相応しい男役を演じる為の猛特訓だったのだ。

 全くもって、世の中には理不尽な事が溢れている。しかし、それを嘆く暇さえ許されなかった。

 私は厳しい特訓を激しい奔流に流されるように受け、卒業公演の舞台に立たされた。

 その後、私を襲う理不尽が続く事も見抜けずに、ただその場を乗り越える、乗り切る事だけを、当時の私は考えていた。

 それでは考えが甘すぎると知るには、私はまだ『彼女』の事を知らなすぎたのだ──。




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