終末日和 〜ユフの方舟

Tempp @ぷかぷか

第1話 終末の予報

「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターがいつも通り、期限を告げた。そしてその放送は、いつもと少しだけ異なった。

「このキャストでお送りする放送は本日で最後となります。明日からはAIによる自動放送となりますので、ご了承ください。皆様良い終末を」

 その時ちょうど、ピッと鋭い音が響く。コーヒーが入った。

 腰を上げてサーバを取り上げ、温めたミルクを入れた大きめのカップにぐるぐると注げば、グァテマラ特有な甘く香ばしい匂いが広がった。そして近づけ過ぎた眼鏡が曇る。


 世界の終わりの予告が始まってちょうど一週間。いや、正確には十日なのかな。その終わりの始まりは、最初はちょっとした天文ニュースとして現れた。

 地球の近傍でその隕石は突然検知されたらしい。その発見は一人の天文マニアからもたらされ、その事実は報道ニュースよりも先にネットの掲示板に疑問という形で投げ込まれたものだから、世界が隠蔽する隙もなかったのだ。そしてその隕石は地球と確実に接触すると言う。

 世界は狂乱に陥った。

 その隕石は真っ直ぐ地球に向かって直進していて、例えば昔の映画よろしく今更何かをぶつけて軌道を逸らすと言うことができないほどの速度をもって、すでに間近に迫っていた。衝突は必至だ。その隕石はユフと名付けられ、落下地点はある小国北部の山であると推測された。


 たった一回の接触で恐竜を絶滅させたチチュルブ・クレーターよりもさらに大きく、その直径は30キロを越えた。そして更に悪くその入射角は地軸にほぼ垂直に地球だ。つまりユフは神の鉄槌のように真っ直ぐ降り落ち、地中深くまで地球をえぐり、全てに滅びをもたらすだろう。

 この話のどこまでが真実かはわからないが、様々な憶測と推測はまことしやかに囁かれ、宗教団体の終末論とともに世界は混沌に包まれて、その最後の三日間は狂乱のままに過ぎ、そしてその最後の日にユフは地球に突入したが、地球が真っ二つに割れることはなかった。


 それはおそらくユフの組成によるものだろう。

 硬いと思われた外装は大気圏突入によって燃え尽きて、ソニックブームを起こしてたくさんの窓をぶち割り破片をふりまいたものの、最終的にはその内部の液体だか気体だかといった柔らかいものが落下地点にぶちまけられただけだった。

 地球人類は胸をなでおろし、そしてユフの成分の検証が行われることになった。けれども、調査に行った者は尽く帰らなかった。そしてその落下地点の近くから歪んだ同心円状に通信が繋がらない国が増加していった。衛星写真では、それらの国で路上や公園といったいろいろな場所で人々が倒れている様子が写された。

 結局人類滅亡は三日から最大数十日長引いただけだったのだ。

 ユフはその身で直接地球は破壊しなかったけど、内包していた致死の毒をふりまいた。それは触れることもできない全てを汚染する毒で、地球の表面を流れる風にのってやってくる。地球が自転している以上、防ぎようがない。全世界に終末のラッパが吹き鳴らされたわけだ。


 季節風に乗ってこの街に滅びの死者がやってくるのは落下から十四日後、今日からあと七日の後。七日後の夜八時過ぎにこの国東側にある山脈を超えて降りてくると予測されている。

 少しでも長生きしたくて最果てに逃げる人もいるけれど、結局それでも数十日。それはもう確定的に逃れられない運命だ。

 期限は十四日。

 終わりが決まってしまうこと、それが目に見えてしまうこと。暴力的な欲求や支配的な欲求は国が排除して三日間で全て潰えた。終わりに耐えられない人も最初の三日間でみんないなくなり、この国の人口は半分くらい、その後の一週間で三分の一くらいに減った。といってもその大半は自殺で、あとは少数の逃げる人。

 あとはゆるやかなこの終末になんとか耐えられる人だけが残って生活を継続している。それでも大抵の人は狂乱の三日間を経験して、残り十四日もの間、何もせず家で不安に耐えることはできないと気がついた。そして三日間で疲れ果てていて、みんな平穏な生活を欲しがっていた。


 この国は高度に技術が発達してるから、わざわざ働かなくても生きていける。労働は必ずしも必須ではない。けれども何もしないというのは手持ち無沙汰だし知り合いもできないから、ユフが落ちる前も多くの人は興味がある仕事を選んで働いたり、趣味の活動をして過ごしていた。

 流石に狂乱の三日間はほとんどの人が働いていなかったけど、結局の所あと十四日となって仕事を再開する人もぽちぽち出てきた。強い義務感で三日間を仕事に明け暮れた人は仕事をやめてかえってゆっくりしているらしいという話も聞く。もともと仕事というものは機械が代替でき、人間が従事しなければならない必要性は高くはない。


 終わるから、やりたいことをする。けれども物質的に不足のない生活を送っていたし、やりたい仕事をしてきたから、俺は特に欲しいものもやりたい事もとりたてて思いつかなかった。

 だからそれぞれの人が選んだ実現可能な終末の形というのは思ったよりも平穏で、家族で過ごすとか、何かよいことをしようとか、ゆっくりしようとか、結局のところそういった落ち着いた生活が続いている。わざわざ労力を払って精神を削ってまで実現したいと思うものはもとより乏しい。だいたいにおいてVRや映画なんかの疑似体験で事足りるものだから。

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