第1章 それは、あのこのほほえみから 1
一
エミリは孤児だった。両親は流行り病で小さいエミリを残して逝ってしまった。
孤児となったエミリは修道院に引き取られた。そこで読み書きや炊事、洗濯、帳簿のつけ方などを習ったエミリは、今年で十八才になる。神様に生涯お仕えする静謐な人生も悪くはないが、エミリは、村の人々に囲まれて賑やかに暮らすことを選んだ。
泥と煙に日々まみれながら、エミリは必死に働く。つらいけれど、充実した日々だ。
「え?今週の日曜日にマリア会をするの?」
修道院に届け物をした時に応対したのが、年の近いマーサだったので、エミリはついつい世間話をしてしまう。
そうなのよ、とマーサは微笑む。
「先週、司教様がこの村にもお寄りになってミサをしてくださったじゃない?村のみんなもとても喜んで、村中からお捧げものが集まったのよ。町にお帰りになる司教様が、捧げものは村人のみんなで分け合うのがよい、と仰ったから…。」
マリア会というのは、教会が村人に食料や布を施す会のことで、1か月に1回行われている。定期的に行われている会を、厳格な教会が突然行うと言い始めるのは稀だ。
エミリ達の暮らす村は、大きな町から離れたところにある。しかし、町と町をつなぐ街道の途中にあるので、昔から旅人や商人が食料を補給したり体を休めたりする場所として、そこそこ栄えていた。今回のように、エミリの住む領地の司教様が各地に教えを伝えてくださる時は、「村」という規模ではあるが、寄ってミサをしてくださるのだ。
「いいじゃない。突然のことだと言っても、事情を知っているから、きっとみんな喜ぶね。」
「そうね。さっき、捧げものをほとんどの村人が持ってきたって言ったじゃない?だから、マリア会としては珍しく、全世帯に物資を渡せそうなのよね。」
マーサは嬉しそうに言った。エミリは奉仕心の強いマーサを眩しそうに見つめた。
「あ、でも…。」
マーサの顔が曇る。どうしたの、とエミリは促した。
「村のはずれの森に住むアダムスさん。」
「アダムスさんって、みんなに“魔物”て言われている男のこと?」
「エミリ、魔物なんて言い方やめてよ。アダムスさんは来ないわね、絶対に。ミサにも来ないし、食料や布を届けても、いらないと言うわよ。窓も扉も閉まったままで。時々いないし。でも家にいるからと言って私達の前に顔をだすわけでもないし。受け取らないで、どうしているのかしら。」
「やっぱり噂のように夜な夜な人魂をたべているんじゃない?」
いたずらっぽく笑って見せた美咲の肩を、マーサは掌で押した。
「あ、やだ。もうこんな時間。」
「ほんとだ。あたし、まだ配達が残っていたんだった。」
少しお互いの近況を聞きたいと思って話だしたのが、長い時間になってしまった。二人は手を振り合って別れた。
下宿させてもらっているお惣菜屋さんの包みを抱えなおしながら、美咲は先ほどの会話を反芻する。
村はずれの森の奥に住む謎の住民、アダムス。彼の素性を知る者は誰もいない。村は共生社会だから、孤立して生きていくのは至難の技だ。それにも拘わらず、彼は村の誰とも交わらない。
彼と出会って言葉を交わしたという数少ない村人に言わせると、こうだ。
「『なぜお前たちがしたり顔で施そうとしたり、私に指図したりするんだ?お前たちが私の領分を侵してきたんだ。早々に私の前から去れ。』というようなオーラがぷんぷんただよってたよ。あれは相当な人間嫌いだ。」
村人が気にかけてあれこれ働きかけても、一事が万事この調子で、すげなくされてしまう。では放っておけばいいのかというと、そうもいかない。
なぜならアダムスには、医術の心得があるからだ。母親が難産で苦しんでいる時、大けがをして腕や足がもげそうになっている時、謎の発作で白目を剥いている時、その他いろいろ大変な時、村人はアダムスの小屋へ走る。運よくアダムスがいれば事情を話して、現場に来てもらう。するとアダムスは、どこからともなく不思議な色の粉や液体の入った小瓶を出して患部に塗ったりかがせたりする。彼が手助けをして、助からない命はなかった。この術が、一般の「医術」と同じものなのか、エミリは知らない。とにかく命を救うすべをアダムスは持っている。
助けた対価として、アダムスは法外な金額を要求する。一文たりともまけることはない。少しずつ何年もかけて彼に支払った人もいる。そういうわけで、アダムスは「森の賢者」として、村人から疎まれつつ頼られているのだ。
エミリはいつも、人から巻き上げた大金はどうしているのかと思う。日用品や食料品を購入するのに使うとしても、かなりの額が余るだろう。
まあ、私には関係ないけどね。そうして、エミリは配達仕事に集中することにした。
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