偽物の天国で君を忘れる

新代 ゆう(にいしろ ゆう)

第1章『どうしようもないから、忘れてしまいたい。』

1-1「死者との出会いをお届けします。」

 スマートフォンに「一次面接通過」の通知が来ていることに気づいたのは、就活で疲れきった身体を引きずり、暗い自室になんとかたどり着いたときだった。いわゆる「お祈りメール」以外のメッセージが送られてきたのは、実に数ヶ月ぶりのできごとだった。


 このたびは弊社の採用選考をお受け頂き誠にありがとうございました。それを枕詞とする企業からのメールは、いつも「夕陽有里様のより一層のご活躍をお祈り申し上げます」で締めくくられる。見慣れすぎて、暗唱できてしまうほどだ。テンプレートのようなこの不採用通知は、なんというか、心にくるものがある。


「就活生」から「社会公認のお払い箱」へと肩書きを変えつつある僕に、唯一「一次面接通過」のメッセージを送ってきたのは、株式会社バーチャルヘヴンという、記憶の片隅にかろうじて名前が引っかかっているだけの企業だった。


 たしかに、面接を受けた記憶はある。しかし、どんな企業だったのかいまいちぴんとこない。メールの受信ボックスを閉じ、そのまま検索アプリのアイコンをタップする。会社の公式ホームページはすぐに見つかった。


『死者との出会いをお届けします』


 あの会社か、と思った。声に出ていたかもしれない。暗いリビングの、いつから付いていたのかもわからない換気扇に隣人の声が混じっている気がした。


 メタバース、つまりはVRなどとも呼ばれる仮想空間は、近年、エンターテインメント以外のジャンルにも進出し始めている。さらには「完全没入型デジタル環境」などという亜種まで勢力を拡大しているため、情報社会に疎い人はこの技術の全容を把握しきれていないだろう。


 それらの情報を耳ざとくキャッチした両親たちの圧力により僕は仮想空間関連の会社を探し、説明会の会場を転々とすることになった。株式会社バーチャルヘヴンはそのうちのひとつだ。


「完全没入型デジタル環境」というのは、視覚と聴覚のみを用いる過去のVRとは異なり、それらの感覚に加えて触覚や味覚、そして場合によっては平衡覚などの体性感覚が再現された仮想空間のことを言う。名前の通り、まるで自分がその仮想世界に入り込んだかのような感覚を楽しむことができるのだ。これが使われたゲームをプレイしていた友人は、「異世界に転生したみたい」と自身の感動を口にしていた。


 死者を仮想空間上に復元し、依頼人のために再会の場を作る。それが、株式会社バーチャルヘヴンが行っている事業の内容だった。


 数年前、神経細胞痕跡復元技術という、死者の脳から記憶を抽出する技術の確立が大きな話題になった。株式会社バーチャルヘヴンでは、ENT法とも呼ばれるその技術を使い、読み取った死者の記憶を仮想空間に再現しているようだった。


 あちこちで新技術を使った機器が流通するなか、死者を仮想空間に生き返らせるなど類を見ない事業内容だ。大きな話題になっていないのは、この会社が創立から間もないことが原因だろう。そのうち倫理規定やら法整備やらが進み、会社は運営が難しくなっていくかもしれない。


 そうであれば別の会社に就職するのが正しい選択なのだろうが、あいにく僕に送られてきた一次面接通過の通知はこの一件だけであり、大学四年生の秋になるまで就活をしている僕に選択の余地はない。それに、そういった大きな選択をこなす余裕が僕には残っていなかった。


 他に憂鬱なのは、この企業の本社が地元の近くにあることくらいか。


 * * * * *


 案の定、面接の会場は実家からほど近い場所にあった。株式会社バーチャルヘヴンの公式ホームページによると、この企業ができたのは五年前のことらしい。僕が地元を出て東京の大学に通い始めたのが三年半前のことだから、認知していなかっただけで、実家に住んでいるころからバーチャルヘヴンはこの街に本社を構えていたことになる。


 地元の空気を吸うのは実に三年半ぶりだった。僕はこの街が嫌いだ。いや、嫌いと言うには語弊があるかもしれない。とにかく、居心地が悪いことは確かだ。どちらにせよ、もしバーチャルヘヴンに就職することになったら、当然この街に戻ってこなければならない。


 こんな季節までリクルートスーツを着ていることが情けない。この姿を知り合いが見たら、おそらくみんなが同じ感想を抱くことになると思う。「やっぱり」、頭のなかで古い知人の声が再生された。たしかに、そう思われても当然なくらい根暗な人間だった。でも、一方で、「そうなったのも仕方がない」という捉え方をされている、というのも事実だと思う。


 朝食はここらで有名なパン屋で済ませてもよかったが、個人経営の店よりもコンビニのほうがある種の気楽さを備えているように思う。客との繋がりが多い店はそれだけ会話をする機会が増えるし、会話をすればそれだけ意思決定の場が多くなる。なるべく自分の選択を介入させない道を選び続けることは、採用面接の受け答えに似ているような気がした。


 嫌な時間ほど早くやってきてしまうというのはきっと正しくて、惣菜パンを胃に収めてから一時間、体感では一〇分ほどで面接の時間がやってきてしまった。


 ノックの回数は三回で、「どうぞ」の声がしてから「失礼します」と扉を開ける。こういう、誰にでもできて知識として決められていることは、くだらないとは思うけど、余計なことを考える必要がないから楽でいい。いや、それ自体がこのあと行われる憂鬱な面接をより引き立たせているような感じもする。


 面接官は二十代中間くらいの女性と、五十を超えていそうな男性のふたりだった。男性のほうは温厚そうな表情をしているが、女性のほうは視線だけですべての人間を射殺してしまいそうな目をしている。


 序盤、面接はスムーズに進んだ、ように思う。デスク横の、やけに壮観な観葉植物に気を引かれながらでも簡単に受け答えができた。内容が事実を問う質問だったからだろう。ひとつ気になったのは、進行をしていたのが年配の男ではなく、若い女性のほうだったという点だ。


「弊社を選んだ理由をお聞かせください」


 淡々と事務作業をこなすみたいに、女性は抑揚のない声で質問を続ける。こういう場で正直に「給料がいいから」と答えるヤツは、ただの馬鹿かよっぽど人に肯定される人生を送ってきたのだと思う。馬鹿にもなりきれず、そして人から肯定される場もほとんどなかった僕は、事前に準備してきたテキストを声に変換して再生するだけでよかった。


「はい。仮想空間事業のなかでも、死者を仮想空間に復元し、遺族に寄り添うという他に見ない事業内容に惹かれたからです。わたくしは――」


 テンプレートの言葉は僕に優しかった。借り物の言葉に僕の意思は宿っていない。それは空っぽで、でもたしかに満たされていた。限りなく一般に近い仮初めの言葉は、僕を意思決定から遠ざける。


「では、入社後にしたいことを教えてください」

「はい。大切な人を亡くして悲しんでいる遺族の、拠り所を作りたいです。わたくしが大学で学んできたことを活かし――」


 回答、頭のなかで下書き保存されていた言葉を順に吐きだしているとき、面接官の女性と目が合った。これまで対面で言葉のやりとりをしていたのに、なぜか、このとき初めて視線が交わったように感じた。眉間に寄った皺が印象的だった。


 はあ。僕が回答を終えるよりも早く、面接官の女性が大きく溜息を吐いた。予想外の行動に、一瞬、思考が停止する。


「本当にそう思っていますか?」

「……えっ」


 どういうわけか、最初に、「え」という余計な一文字を挟んでしまったことへの反省が浮かんだ。本当にそう思っていますか。事前にまとめた「質問予想集」にその質問は入っていなかっった。テンプレートの言葉に怪訝そうな表情をされることはあっても、回答を疑われるなんて経験はこれまで一度もしていない。


 背中は汗で濡れていた。額からこめかみのほうへ滴が流れていって、水分というよりもっと抽象的な、湿度、のようなものが絡みついている。女性の胸に、「成瀬」という名札がついていた。再び目が合って、最初に「これツイートしたらバズるんじゃないか」という考えが浮かび、続いて面接中だったことを思いだして、それから目を丸くして彼女を見つめる年配男性の必死そうな顔で笑いそうになったあと、あ、なにか答えなくちゃ、という考えに至った。


「えっと、ぼく僕は、大切な人を以前に亡くしま、あ、亡くしたことがあって……」


 彼女の真意を引きだすみたいな視線を受けて、責められている子どものような気持ちになった。中学生のころ、冤罪で先生に怒られて、それでも自分がやっていないことを言いだせなかったことを思いだす。あのときの犯人は、結局どうなったんだっけ。


「――僕はその人に会えなくなって……、堕落した、生活を送るようになりました。……それで、二度と会えないっていう、大切な人に二度と会えないっていう気持ちを誰にも味わって欲しくなくて」


 インナーの上、シャツまでもが背中に貼り付いているのがわかった。無から長いテキストを生みだすのは難しい。いつの間にかなんの話をしていたのかわからなくなって、脳をかき回すように探していた文章の述部は、「だから弊社を志望した、と」、面接官の相変わらず棘っぽい言葉が代わりに担ってくれていた。


「……はい」


 なんでいちいち面接なんかやるんだろう。そんなことをせずとも、太古から人間は生き延びてきたはずなのに。人類の歴史を考えれば、就活なんて必要ないはずだ。


 そうやって規模の大きいことを考えてみてもいま回答に失敗した事実は覆らず、彼女のちいさな溜息を聞き、僕は自分の不採用を確信するしかなかった。

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