いいえ、このままで
鹿森千世
いいえ、このままで
明日 ぼくは君とお別れをします
君の貸し出し期限は明日まで
僕の十歳の誕生日に君がやってきてから
明日で五十年が経ちます
五十年
君を借りるには 十分な契約期間でした
母も僕も まさか僕が五十年も生きられるなんて
思ってもみなかったのです
動けない身体で生まれてきた僕は
学校に通えないどころか
外出さえまともにできませんでした
それで母は僕の友達になればいいと
十歳の少年の姿をした最新型のアンドロイドを
レンタルすることにしたのです
保険の対象にならないそれは
母ひとりが支払うには ひどく高額なものでした
ですが母は僕に友達を作ろうと
毎日必死に働いてくれたのです
君が初めて僕の部屋にやってきた日は
ほんとうに驚きました
皮膚も髪も目玉も
人間そのものなのですから
会話だけはどうやら少しとんちんかんでしたが
ひとりで部屋にいるよりはずっといいものです
一緒に映画を見たり
とんちんかんな会話を楽しんだり
窓から見える桜が咲いたり散ったりするのを
毎年ふたりで眺めました
五年が経って 君より僕の方が少し大人になりました
メンテナンス会社の方から
君の年齢をアップグレードするかどうかという
手紙が届きました
僕はアップグレードは必要ないと返事をしました
君の見た目が変わってしまったら
何だか別人になってしまうような気がしたからです
そうやって僕だけがどんどん歳を取り
君はずっと十歳のままです
つやつやだった黒い髪も
ふっくらとしていた頬も
だいぶ劣化して汚れてしまいました
私がアップグレードを拒み続けたせいで
旧式の君と交換できる部品がなくなってしまったのです
あちこちに不具合が出て 動作も鈍くなり
君には悪いことをしたと思っています
それでも僕は
君のままがいいと思ったのです
君が笑うと 左のほほにえくぼができると
君はきっと知らないでしょう
それは皮膚パーツの歪みのせいで
メンテのたびに 直しましょうかと聞かれました
僕はずっとそれを断り続けていました
君のそのくぼみが とても好きだったから
僕が好きな君の姿を 下手にいじってほしくなかったのです
僕が三十のとき 母が亡くなりました
母は 五十年という君のレンタル代を
きっちり支払ってから亡くなりなした
僕の世話と仕事に追われ 何を楽しむ暇もない人生でした
はたして母は幸せだったのでしょうか
永遠にわからないのです
もし僕がふつうに生まれていたら
もし僕が生まれていなかったら
ずっと幸福だったかもしれないのに
僕は君に聞いたことがありましたね
「僕の母は幸せな人生を送れたのでしょうか」
君はいつもとんちんかんな答えを言います
「ボクハ ズット シアワセデス」
明日 僕は君とさよならをしなければなりません
ただこの世にひとりだけ残った 化石のような君
契約の更新はできません
君のメンテナンス会社はもうどこにもありません
君は明日 永遠に動かなくなります
君と出会ってから五十年が経ちました
私は歳を取ったでしょう
十歳の君の友達が こんな老人で申し訳ない
白髪が生えるまで僕が生きられるとは
誰ひとり思わなかったのです
君はいまも出会ったあの日のまま
君のえくぼも ずっとそのままです
僕の大切なともだち
はたして君は 幸せだったのでしょうか
僕は君にそれを聞く勇気がありません
君はいつもとんちんかんなことを言うから
もし幸せじゃなかったと言われたら
いい大人のくせに 泣いてしまいそうだから
さいごに僕から君にお願いがあります
君が動きを止める瞬間 どうか笑っていてくれませんか
その左頬のくぼみを 永遠に残してくれませんか
君のその不具合は 僕の幸せの証だったから
〈完〉
いいえ、このままで 鹿森千世 @CHIYO_NEKOMORI
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