第28話 〝巫女と魔剣士〟
フィオは只々白く美しい部屋ですやすやと眠っている。脳は緩慢に起き始めて、これまた白一色の寝具の中から何を言われようとも手離さなかった日記を綴る。魔法ペンで書けばすぐに形になるが、自分の心のままに書くことが重要だとフィオは思っている。
「そう言えば、お兄さまは魔法ペンを愛用してたっけな……」
そこでフィオは言葉を止める。会いたい思いが募ってもここからは出られないのだ。この白一色の空間は特殊な結界が張られている。外部からの侵入者の他は外に出れない。そしてフィオがイヤでイヤで仕方がないことが一つある。毎日あの優男と顔を合わせることだ。
「フィオ様、そんなに俺と話をするのがイヤですか?」
「私、本心でしか考えていないのに……どうやって?」
「私はただの剣士ではありませんから」
「強いから鎧が赤いただの魔導騎士でしょう?」
「聡明なフィオ様らしからぬお答えですね。正解は、私が魔剣士だからです」
フィオは大事にしていた日記とインク壺を落としてしまった。白が支配する世界で許されざることをしたような気がする。だが、不思議なことにインクの染みは消えてなくなった。ここは浄化の庭。フィオが一生を終えると宣言された場所でもある。
「ホロウ、あなた気を読んだの?」
「んん…………よく分かりましたね。やはりあなたは美しく、そして優しい」
「だって、きっとあなたが〝竜王の護剣〟になったのも全部私のせいなんでしょう?」
「はい、私は自惚れたことを言うとロンドニキア大陸一の魔法の使い手といえる魔法をすべて捨てました。最初は絶望しましたが、あなたがいてくれた。いずれ別れるとしても、この記憶は一生の宝物でしょう」
フィオは、あと数日で竜贄の儀が始まる。竜王グレンからは、一息で楽になれると言われている。それと同時に、反乱軍を指揮するマグナス第一王子も行動を起こすだろうと聞いていた。
「ホロウ・アストレア……――あなたは、誰かと刺し違えるつもりなの?」
「フィオ様も……気を感じれるようになったのですかね」
「そんなことはないけど……?」
「情報によるとガイウス副将軍を破った緋色の髪に琥珀の瞳をした若者が近づいているという情報が上がっています。おそらくは誰も使わない〝七窟〟の一つ――――〝巨人の鋸〟を越えて確実にやって来るでしょう。アロンド平原の〝ネェルアロンド〟の街では二人組の若い男女で黒い角があったと証言しています」
「お兄さまが取りそうな行動だわ。どうせ密告者が男には角など生えていなかったとでも言ったのでしょう?」
「ご名答です。パートナーが魔族の生き残りとは考えにくいですが、そこはフィオ様の兄上、なんとか力になって貰えた可能性も拭えません」
フィオは内心では助けて欲しい気持ちが強かった。しかし、この世界の為に死んでくれと現竜王グレン・ジオ・ロンドニキア本人から涙ながらの謝罪を見せられれば、気持ちも変わる。全世界の為に、外からの脅威と戦う為、〝有翼の巨人〟を動かす魂になって欲しいと言われた。
「私もあと数週間の命かー、実感が沸かないな」
「実感が沸いたら……怖くはありませんか? 私なら泣いて喚いて騒ぐでしょう」
「魔導士の才能を捨てて、最年少で〝竜王の護剣〟になった子の言うことじゃないわね」
「では、フィオ様は実感が沸いたらどうするのですか?」
うーんと言いながらフィオは頬杖をつき、顔を斜めにする。しばらく無言いや無音の空間になった。そしてピカッと魔石灯が点灯するように、明るい顔を作る。こういう時のフィオは勢いがいいことを話し相手に選ばれたホロウは知っている。
「老いたお爺さん……なんか変な言葉ね。お爺さんの気持ちになれば分かるんじゃないかしら?」
「お爺さんですか? それは何故ですか?」
「お爺さんは私と同じように残りの寿命が少ないでしょう?」
「はい、そうですね。そこは同じです」
だからと言って、薄桃色の唇に手を付ける。この手の仕草がホロウは苦手だとフィオは知っていた。自分はもっと大きくなったら魔性の女になっていたと実感する。
「お爺さんは、一度絶望を味わいます。そして絶望から立ち直って、自分の存在意義を確かめようと行動を起こします。最後に満足のいく人生だったと自分を認めるのです。お終い」
ホロウは適当ではなく真面目に拍手を送った。きっと自分の亡き祖父も同じような悩みを抱えながら死んだのだろうと思ったからだ。ホロウはフィオが好きだった。愛していた。だからこそ、納得して死んで欲しかった。
――――俺に骸人族を残らず倒す力があれば。
いつもそのことを思う度に指摘される。
「また……私が死ぬことで自分だけ暗くなっているんでしょう?」
「フィオ様は、その通りです。名残惜しいとは思わないのですか?」
「お兄さまには一度でいいから会いたいって思うわね。でも――――」
フィオは言いかけた言葉を飲み込んだ。
――――死ぬのがイヤになってしまう。
それはホロウも気を察したようでフィオを食事に誘う。この空間は特殊なので空腹を感じることはないのだが、食べることで癒される思いもあるとホロウは心得ていた。
「それにしてもこの空間は不思議よね。欲しいと思ったものがポンッと出てくるんだもの」
「今は焼き菓子が食べたかったのですね」
「濃い味の紅茶もよ」
そう、フィオが言うと白いテーブルの上に白磁の湯気が立っているポッドとカップが揃って出てくる。フィオは死んだ父母のことを少し思い出した。こんな風に庭で食事を楽しんだことがついさっきまでのことのように思い出される。
「フィオ様……顔色が悪いです。また、ご両親のことを思い出されたのですね」
「ええ、だから……ホロウ……あなたのことが大嫌いよ」
「その言葉を刻みつけて、私は〝狂王〟様の〝護剣〟となるのです」
ホロウは、大して気にした様子も見せずに立ち上がり、白い部屋を去ろうとした。そこにフィオが抱きつく。寂しさでホロウに去って欲しくない。その気持ちが募った。
ホロウは……フィオを引きはがした。だが、いつになくフィオは強情だった。
「ねえ、ホロウ……あなたは私のこと好きよね?」
「言えません。言ったら。あなたを殺せなくなります」
「言ってよ‼ 私を殺す前に言って‼」
「無理です。フィオ様……大嫌いともう一度言ってください。もう一度言ってもらえれば……私は前に進めます」
――――ホロウ、大好きよ。
それは呪いの言葉だった。終生、ホロウは忘れないだろう。フィオは、ベッドに行き少し休んだ。疲れを感じさせない幸せな空間のはずなのに心にぽっかりと穴が開いてしまっている。それはホロウも同じなのだと、フィオは知ってしまった。
「ホロウ……私のことずっと覚えていて……私はそれで安心して死ねるから」
ホロウは奥歯をぎりぎりと噛みしめながら白い空間から外へと出た。
シスと出会う三日前のことだった。
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