第27話 〝狂王の慈悲〟


 その者たちの名前は――――――〝骸人族〟だ。


 シスは、〝ブックマン〟とかつて揶揄された知識の紐を解く。だが、どの本の何ページの記憶を紐解いても、〝骸人族〟などという種族は出てこなかった。ホロウ・アストレアがウソを言っている可能性も考えたが、それは低い。シスは、血は繋がっていないが、兄としてこの魔剣士を高く評価していた。魔導士が魔法の才を捨てるなど、魂を割られるのと同義だ。


「僕は……――かなり文献を読み込んでいるが、骸人族などどの本の一行にも書かれてないぞ」

「それはそうだ。召喚士として傑出しているフィオ様が僅かに異変を感じられる程、まだ遠い未来に現れる存在だからだ」

「狂王グレン――――誰が信じられるか……‼」


 マグナスが虫唾が走ると言った感じで、短く言葉を吐き捨てた。


「マグナス陛下……一度竜王陛下と話をしてください」

「断るッッ‼ なにが起ころうとも民を犠牲にする者など王者に相応しくないッッ‼」


 魔剣士ホロウの言葉に、マグナスは激昂したように見えた。だが、肉が食い込むように爪を立てていた握りこぶしが少し弛んだのをシスは目敏く知っている。本当は父殺しなどする人種ではないのだ。


「犬童……いるか?」

「はい、陛下……何用でしょうか?」

「第三層の様子を見てこい。斥候の役割を終えたら、すぐに戻って来るように」

「承知致しました」


 桜花國のニンジャはすぐに影も残さず消えた。シスはあたりを見回した。ブリジットの姿がない。狂竜剤で狂ったはずの住民も騒がなくなっている。どういうことだとシスが瞠目していると、宙からブリジットの声が聞こえる。


「暴れている奴らはみんな一時的な私の眷属にしたわ。これで殺し合いをすることもないでしょう。みんな嬉しそうに笑っているわよ」


 ホロウ・アストレアの顔が青ざめた。シスはその意味がまだ分からない。


「せめて死ぬ時くらいは快楽に浸りながらというのがグレン竜王陛下の采配だったのに……‼」

「どういうこでありんすか?」

「魔導機竜に乗った魔導士たちが狂竜剤の快楽を得ている市民を殺す算段だったんだ」


 ――――パンッと乾いた音が響く。


「それが為政者のすることか‼ 自らの血を流すのが真の王者たるものだろう‼」

「痛いです。マグナス陛下、離してください」

「すまない……八つ当たりだな」


 マグナスは振り上げた手を止めた。ホロウが何かを悟ったかのように言葉を紡ぐ。


「おそらく第三層はこの結果ならば……もう……」


 シスは、右腕の〝紋章樹〟が、急激に痛みを発するようになったことを、誰にも言っていない。〝骸人族〟という言葉を聞いた時から段々と疼きから痛みへと変化した。亡き母の言葉が思い出される。〝紋章が浮かぶだけでも波乱の人生を歩む〟という母と交わした言葉の一つ。


「んん? シス……顔が真っ青だが何かあったのか?」

「いえ、大したことではありません」

「ここは大した戦場なんだ。包み隠さず言ってくれないか?」

「…………大したことじゃないんですが……――右手の〝紋章樹〟が痛むんです。まるで歴代全ての魔王が何かを訴えかけているような……――」

「包帯を取って見せろ。いざとなったら特性の痛み止めを注射してやる」


 包帯を解くと、魔王フレアベルゼもマグナスも、ホロウにブリジットまでが驚愕の色を隠せなかった。一番驚いたのはシスだ。紋章樹が鼻のように色を付けていた。まるで生きているかのようだ。シスは再び包帯を巻こうとするとフレアベルゼが手の甲に突然触れる。それは〝火焔の鉄姫〟の紋章。シスは恥ずかしさで、顔が赤くなった。幼い姿だった時すら惹かれていたのだ。大人の魅力を纏うフレアベルゼに恋をしないわけがない。


「わっちの主は、大人のわっちも好きでありんすか?」

「ええ⁉ それは……――その綺麗だなって……思っちゃ悪いかよ?」

「くくく、かかか、ははは、わっちは嬉しゅうござりんす。わっちの主に好かれるのはいい気持ちでありんす」

「あらかじめ言っておくが揶揄うのはよしてくれよな」

「よーく、分かりんした」


 そこでマグナス第一王子の、うぅんという咳払いが聞こえた。お戯れが過ぎたようだ。


「ホロウよ、俺は何が何でも父のことを止める。邪魔しないのであればここで打ち首はなしだ。同行も許可しよう」

「本気ですか? 俺は〝竜王の護剣〟ですよ?」


 そこでシスは、マグナスに、背負っていた竜王の長刀――――ドラググレイヴを渡す。これから先はシスには読めない事態が起こりそうだったからだ。再び使いに出したリンドベル・ベルリリーの姿もない。まだまだ夜中だ。何か起きているのかもしれないと邪推してしまう。


「こっちには竜王の真祖ドラクーヌ・ジオ・ロンドニキアの武器がある。力を消耗したお前には引けを取らないさ」

「しかし、いつ反旗を翻すかは――――」

「――――その時は俺の目が曇っていた証拠だ」


 マグナスは朗らかな笑顔でそう言った。シスは、この王子は人たらしな上に器が大きいと感じる。相手のことを最初から敵だと決めつけない優しさがあった。もし、本当に次の竜王になるならば、家臣になってもいいとさえ思う。


そこへ犬童忍が、マグナスの背後にかしずく。マグナスは不遜にも背後に現れたことも気にせずニンジャ犬童の話を聞いた。犬童は、やや躊躇いながらも状況を話し始める。


「第三層の神官たちは自刃して、皆果てていました」

「ならば、急がなければ……父と百舌ベルガモットがことを為す前に……」


 シス・バレッタは人生の中で一番に焦っていた。今、この瞬間にも、フィオが殺されるかもしれない。そう思うと居ても立っても居られなくなる。その焦りは当然のようにフレアベルゼも知っているらしく。


「わっちの主よ……落ち着きたい時は角を触ると……そう言えばありんせんね」


 元気づけようとするが空振りするフレアベルゼの手を繋ぐ。一瞬、〝断罪の冷嬢〟と呼ばれた魔王がキレかけたような気配を感じたが、シスは気にしなかった。


「わっちの主よ……この先で見たものはすぐに忘れて欲しゅうござりんす」

「なんでだ?」

「…………」


 フレアベルゼは答えない。いつもの彼女らしくなかった。なぜだろうと首をシスは捻る。

 大昇降機の前にやって来た。シスが魔力を注ぐと動き出す。段々と第二層が炎が上がり街が壊れていて尋常ならざる状態になっているのが分かった。

 それを見てマグナスが、憤りを隠せず、床に膝をついて、地面を拳で殴る。


「済まない民草よ……俺がもっと早く行動していたら」

「マグナス陛下……グレン竜王陛下は、決して、こんな惨劇を引き起こそうとは思っていませんでした。ですが……必要だったのです」


 マグナスではなく、シスがホロウ・アストレアの言うことにブチ切れた。


「僕も……――半年前までベオグランデ帝国の貴族だった。凝んな虐殺が〝必要〟だったなんて、誰にも言う資格はない。フィオをも犠牲にするような輩だから軽々しく言えるんだ‼」


 ぐるりとシスの視界が回転する。ホロウに投げ飛ばされたのだ。ホロウの顔は怒りで上気している。そこには揺るぎない信念のような何かがあるとシスは悟った。


「フィオ様が、グレン竜王陛下が……覚悟もなしに犠牲を生むわけがないだろう。あなたたちに何が分かるというのですか?」


 そこで二人の仲介者が入る。マグナスとフレアベルゼだ。


 フレアベルゼはシスを豊満になった身体で抱いてやり、マグナスはホロウに付いた埃を払う。


 そこに闇夜の中で綺麗な黄金の軌跡を描くリンドベル・ベルリリーが現れた。顔は深刻そうだ。シスは真っ先に声をかける。ホロウは黄金妖精を見てハッと息を飲んだ。


『最上階には、フィオと竜王と湿気たジジイと親衛隊が数百といったところかしらね』


 シスはそこでようやく気付いた。


 狂王とされる人物は、フィオを殺さない時間を――――――作ってくれているのだと。

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