第12話 〝魔王アシュラ〟
フレアベルゼが風呂場で泥酔した翌日の朝、シスは眠りに就いているフレアベルゼの姿をまじまじと見つめていた。燃え盛るような髪に、雪花石膏の白い肌、当代随一の芸術家にも描けない美しい顔、そしてやや主張が強い黒い角。
「(魔族の角ってどんな感じなんだろう?)」
勝手に触るのはよくない気がしたが、フレアベルゼの性格だ。少し揶揄う程度で済むだろうとシスは考えた。恐る恐る、飼い慣らされたモンスターを触るかのように、シスは手を近づけた。
「う~ん、よしてくりゃれ♪ むにゃむにゃ」
寝言に対してシスは驚き、フレアベルゼに倒れかかるところだった。魔王という威厳が微塵も感じられない今、シスにとっては今までいなかった同年代の女の子にしか見えない。恐る恐る伸ばしたシスの手がフレアベルゼの黒い小さな角に届いた。
「あぁん……んん? わっちの主様……何をして……えッ⁈」
「ああ……――ごめん。なんか角に触りたくなって」
「ええええ⁈」
少女の姿のフレアベルゼは、しばし声を上げてから絶句した。シスは、己が為した行動の意味を分かっていない。フレアベルゼは、真っ赤に売れた果実のような顔色になる。そして枕を抱いて、布団の中に潜って、プルプルと震えていた。
「フレアベルゼ……――勝手に触ったのは悪かったけど……そんな大袈裟な態度をとらなくてもいいだろう?」
「わっちの主は……分かってござりんせん。魔族の角は触っていいのは生涯契りを交わした相手の身でありんす」
「ええ、じゃあ僕は――――」
――――生涯大事にしてくりゃれ。
そう言い放つとフレアベルゼは、顔を上気させつつ、出て行こうとした。思わずシスは手を取る。とても魔王とは言えない細く華奢な腕だった。
「風呂に行くだけでありんす。怒っているわけじゃありんせんから」
「そ……そっか……――なんか、ごめんな」
♪~♪~♪♪と鼻歌交じりにフレアベルゼは長い燃えるような髪を揺らしながら、相部屋を出て行った。シスは、一気に力が抜けてベッドに倒れ込んだ。寝ていた飛竜の子供のフェシオンが起きて、ミィミィと鳴きながら近づいてくる。
「フェシオン……お前は気楽だよな」
そう言いながらも親の飛竜を殺した仇だと教えたら、どうなるだろうとシスは考えながら転寝をしようとした。その時、ズーンッズーンッと巨大な何かが歩く音がする。のほほんとしたネェル・アロンドの雰囲気が凍りつくように変わったのが伝わった。
部屋を出て、外に出ようとしたがその必要はなかった。ガラス窓からは黒い鎧を着た巨人族が半殺しにした飛竜を抱えて、歩いている。あの鎧は王国兵のものだ、とシスは一気に心を復讐の色に染めた。
「殺してやる。フレアベルゼを呼ぼう」
「ミィミィミィミィ‼」
フェシオンが行くなといわんばかりに叫び声を上げる。だが、復讐者というのは得てして、走り出すと止まらないというのが昔からの常だ。風呂場から出てきたフレアベルゼをシスは、何も言わずに、外に連れ出す。
「わっちの主よ……雰囲気がおかしゅうござりんす。何かあったんでありんすか?」
「飛竜狩りをしている王国の巨人族の兵士がいたんだ」
「それがどうしたのでありんすか?」
シスは、キョトンとしたフレアベルゼをなんの落ち度もないのに睨みつける。巨人族の足音を聞いて顔を険しくするシスを見て、フレアベルゼは察した。王国が巨人族と蜜月の関係なのは周知の事実だ。
「命令ならば、使い魔と同じで、わっちは主の言うことを聞くだけでありんす」
「なんか不満そうだな。言いたいことがあるんだろう?」
「わっちの主には……―――器の小さな男になって欲しくないだけでありんす」
シスは、その言葉を聞いて胸の奥がズキッと棘が刺さるような思いがした。宿に帰りんす、とフレアベルゼは言うと、シスとは反対方向に歩いていく。シスは、自分が何をしたいのか分からなくなり、戸惑ってしまう。
「(僕が……――僕が……――やりたいことは、王国への復讐? フィオナを助けること?)」
答えてくれる者は誰もいない。シスは、ネェル・アロンドの街をただただ呆然と歩いていた。
途中で黒い魔鉄鋼製の鎧を着た王国兵が集まっているのが目に入る。今、魔法で襲撃したらどうなるだろうと思い、おずおずと立ち上がった。
『(汝……新たなる力を欲するか?)』
「(その声は……――〝魔王の書〟――――〝ルツィフェーロ〟か?!)」
『(いかにも……汝は力を欲する者……汝再び問う‼ 新たなる魔王を……欲するか?)』
シスは、迷った。大いに迷った。ルプスを死なせたのは、力を欲したからだ。もしかしたら、今度もまた大惨事が起こるかもしれない。だが、簡単に……そう易々と力を求める心を鎮めることはできない。
「(どうして、僕に語りかけるんだ? 僕はもう不幸な目に遭いたくない)」
『(汝は、魔法の深淵に絶つ資格がある者‼ 歴代魔王を召喚する力を認められている‼)』
「(歴代魔王?! フレアベルゼだけじゃないのか?)」
『(我が名は、〝魔王の書〟である‼)』
「俺は……力なんて……欲しくは……」
力など要らぬとシスが言おうとした矢先、王国兵に獣人族子供がぶつかった。それならまだいいが鳥の卵を帝国兵の足にぶつけ汚してしまう。
「このガキ……殺しても文句はねえだろうな?」
「ご、ごめんなさい……わ、わざとじゃないの」
「半年ぶりにぶち殺してやるか」
獣人族のキツネ耳が縮んだ。それを見た王国兵は嗜虐的な笑みを浮かべて、剣を抜く。
『(汝、力を欲するか?)』
「(…………条件がある。誰も殺さないでいい者を召喚してくれ)」
〝魔王の書〟は沈黙した。
――――――御仁よ、我が闘争本能を満たして下さらぬか?
「(誰だ? 一体なにものだ? 歴代魔王なのか?)」
――我が名は〝阿修羅〟
――――――我が故郷は〝桜花国〟
――――――――我が仇名は〝人斬り阿修羅〟
「(そんな物騒な仇名の魔王がいたのか⁈)」
――――――我が生涯をかけた剣の道が今でも通用するかが見たい。
「(もう魔力も足りないし召喚はできないぞ?)」
――――――お身体を少しの間貸して下さらぬか?
「(その代償で人が死ぬとかはなしだぞ)」
――――――承知しております。代わりに我が剣の極意をお身体に刻みこみましょうぞ。
「(剣の極意って……――今より強くなれるのか?)」
――――――常人では超えられない高みへ至れると申しましょう。
シスは歴代魔王を召喚する魔法を覚えている限りで唱え始める。〝魔王の書〟のページが自動的に捲られていく。右手の紋章樹が太陽のように光り輝いた。
「冥府より出しものよ――――――汝に命ず――――――極点の御業を持って――――――我の盾となり――――――敵を穿つ矛となれ‼ 我が体を憑代に顕現せよ――――――【烈日の剣王】阿修羅よ‼」
瞬間、シスの身体を別の存在が動かし始める。最初は身体の大きさや重さ、身体能力を調べているようで、走ったり跳躍したりと忙しなかった。
「さてさて……胸躍る血風を吹かせましょうぞ」
シスの顔は猛禽類のように鋭くなり、一瞬で辺りを殺意で包み込んだ。
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