灰燼を往く

Aris:Teles

灰燼を往く

 目に映る景色、その全てが灰色に覆われている。

 民家の骨組みが炭と化した家財から伸び、ビルの柱がコンクリートの破片を生やしながら乱立していた。

 所々に見える微かな灯りは既に消えかけており、風を受けてゆらゆらと明滅している。

 瓦礫を踏みしめながら、地獄さながらといった光景を歩く。曇天が空を覆ってはいるけれど、きっと雨は降らないだろう。

 手にしたは持っているには少々大き過ぎると道端に投げ捨てる。がらんと大きな音が辺りに響き、積もっていた灰が舞い上がった。

 足下で燻っていた火が風を受けて吹き消される。残されたモノが焼き尽くされてしまうのは時間の問題だった。

 身に着けていた衣服はあちこちが焼けているものの、服としての体裁は十分に保っている。たとえこの場で脱ぎ捨てようとも、見る者はもういないだろうから気にする必要もないのかもしれない。

 ただ、貴女はそれを嫌うだろう。私を置いていってしまった貴女は此処にはもういない。

「もうすぐですね。」

 だから届くようにと言葉を口にする。灰が入り込んだ喉のスピーカーからは少し擦れた音声が出力された。


 貴女はこの街で発展した大企業の令嬢だった。両親や親族は仕事に邁進し、家のことは数十人の使用人が管理していた。学校では成績優秀で、いずれ両親の跡を継ぐのだと氷のような澄んだ眼差しで周囲に語っていたという。親友がいるという話は聞かなかった。友達は居ても、その関係性は将来のための付き合いだけ。

 きっと寂しいとか孤独だとか、そういった感情は持っていなかったのでしょう。

 

 ある時、寂しい思いをさせていると感じた両親が貴女の誕生日に一体のメイドロイドを贈った。人のような肌を持ち、機械と感じさせないだけの動きを持つ最高級品。彼女を愛するように設定され、無償の愛を与えてくれる存在。それが私だった。

 貴女は始め私を警戒していた。いえ、困惑していたという方が正しかったでしょう。

 貴女に優しく語りかけ、親密に側に寄り添おうとする私が、貴女には周囲の人間と比べてあまりにも異様に映った。それでも私を不要だと遠ざけたりはしなかった。

 人間ではない機械人形の私は、与えられた使命を、本能を全うする。

 朝には貴女を抱き起こし、昼には側で必ず控え、夕方にはそっと語りながら帰宅し、夜には共に眠った。


 貴女が懐いてくれるまで大して時間は掛からなかった。私が与える優しさや温もりを貪欲に受け入れて何をするにも側にいるようにと言うほどまでに。

 人前では冷静な才女に相応しく振る舞う。誰に対しても冷ややかで一歩引いたその姿勢は何も変わっていない。本当は弱いのに強がって、触れたいのに遠ざけて、餓えているのに要らないと平然として。それでも私だけにはその内側を開いてみせてくれた。

 解けた涙を人肌の指で拭い、滴り震える身体を温もりを持たせた体温で抱きしめ、人知れず冷え切った心を優しく撫でてあげた。

 そうして数年が経ったある日、貴女は誰にも見せない笑顔の裏で告げた。

 ――いずれ貴女が居なくなってしまうと思うと、耐えられない。

 私は気づいてあげられなかった。愛が、温もりが、優しさが、欲しくて欲しくて仕方がなかった貴女の心の酷い渇きに。

 私は気づかせてしまった。初めからなければ失うことに怯えなくてよかったのに。

 自らの寒さに貴女は耐えられなくなって、膝を抱えて蹲る。側を離れず、肌に触れて、私が居ることを強く実感させた。言葉をかけ、行動で示し、できる限りのことを心掛けていた。

 暖めて、温めて、陽を、火を絶やさないように尽くした。

 

 ――なのに、貴女は私を置いて逝ってしまった。

 



 貴女は私に呪いを掛けた。本来してはならない、出来ないはずの制限リミッターの解除を行った。

 私は貴女の最期を見ていることしか出来なかったというのに、終わった後で何もかもに手を伸ばすことの自由を得てしまった。

 だから、幾ら愛を注ごうとも寒くて凍えていた貴女のために、あらゆるものを薪に焚べた。

 この街を守っていた歯車を狂わし、自らを焼かせた。家が燃え、人が散り、空を焦がした。自らも火器を奪い、引き金を引いて、その重さを噛み締めた。

 ここに残るのは輝きを失って消えるまでの燃え殻だけ。既に放り投げた銃器にも残弾は残っていない。

 貴女への私の好意も、貴女を支えた私の想いも、すべて用意されそう造られた虚構なのだとしても構わない。

 貴女が諸共、焼き付けて逝ってしまったのだから。

 計算された罪悪感と吐き出されるエラーを抑えつけながらも、無辜の人々を巻き込むことに意味はあった。

 ある宗教の話では、自殺をした者は地獄へと落ちるのだという。

 もし、自ら黄泉へ旅立った貴女が地の底へと繋がれて、魂の安寧を得られないのだとしたら。

 機械仕掛けの人の形。この身に宿るのが造られた紛い物の魂だとしても、自らの意志で罪を重ねたのだと証明できたのなら。

 そうであれば、きっと私は貴女の下へ行ける。


 陽が昇り、空に一筋の光が射し始める。

 鳴り響き、空をつんざく鉄の喇叭らっぱ。間もなく、鋼を纏った天使たちが飛来する。

 罪を罰し、私を魂が沈む場所へ突き落とすために。

 満たされない渇きを、今度こそ無尽の愛で以って満たしてあげる。震える寒さを、もう二度と絶えることのない火で打ち払ってみせる。私が貴女を愛している、愛していた証明を此処に。

 裁きと共に、燃え尽きた灰が空へ舞う。


 ――嗚呼、焦がれる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

灰燼を往く Aris:Teles @Aris_Teles

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ