灰空のリンドウ

影津

Last Day

 その花はリンドウ。秋の花だ。この花を特別な花に変えたのは美香だ。美香はリンドウの青い花びらが大好きで、僕の作業台の上の小瓶に挿していく。僕はその作業台でいつも流木を組んでいく。流木を拾い集めて加工して売るんだ。美香は僕の作品を気に入ってくれた最初のお客さんだ。今ではこうして僕に会うために来てくれるようになった。


 たなびく黒髪が朝日を受け、透き通って見える。彼女はヨーロッパ系のクオーターだ。その蒼い瞳が笑いかける。僕は何度射抜かれたことか。彼女は光をまとっていた。彼女を見つめていると晴れやかな気持ちになる。彼女の顔立ち、特に頬骨から顎にかけての輪郭は僕好みの流線形だ。流木がどれ一つ同じ形がないように。同じ色がないように。彼女は今まで出会った日本人の誰とも似つかない。そんな彼女が仏壇に飾る素朴な花、決して華やかではなく群青色のリンドウに魅せられていることが僕には意外だった。


「海にあなたの木を拾いに行かない?」


 流木ならまだまだたくさんある。空は快晴だった。僕らに覆いかぶさるコバルトブルー。僕はとりわけ青色に魅入られるようになっていた。リンドウからはじまり、僕は服も青いものを着ている。


「天気もいいしな。そうしよう」


 美香は工具で傷だらけの僕の手を握った。少し緊張して僕の手が湿っぽくなる。彼女にそのことを気取られまいかと不安になった。だけど、美香はそのまま勢いよく駐車場の車まで僕を引っ張っていく。彼女の足がぐらついた。


「美香。やっぱり、横になっていた方がいいんじゃないか?」


「平気よ。私、いつも枕元にリンドウを置いているから」


 確か、リンドウが漢方薬にもなると聞いた。


「ねえ、知ってる? 私の住んでいる田舎ではね……リンドウは」


 息も切れ切れに美香は車に乗り込む。僕は彼女の手が震えているのを目視する。彼女はシートベルトを締めるのに苦戦している。僕が締めてやると、美香は自分でやれたのにとぶつくさ言う。


「長寿の意味もあるのよ。そばに置いておくだけで、お守りになるわ。病気が完治した伝説も残っているわ」


 そんなもので美香の後天的な病は治るわけはない。だけど、僕には彼女をモルヒネにつける勇気はない。あと何回だろう。彼女とこうして出かけられるのは。


 群青色の海面を見つめた。一緒に浜辺を裸足で歩いた。足首にまとわりつく砂と凍るように冷たい海の水。僕らは愚かにも歩き続けた。彼女はもう足の感覚がないらしい。元からなかったんだ。痛みしかなかったんだ。

浜辺で二人とも寝転ぶ。彼女の脚のリンドウの花のリボンを解いて寝かせる。


 冷え切った彼女の足首からマッサージする。リンドウの花びらを摘んで彼女の足に乗せる。海水で濡れて貼りついた。彼女の足を人魚の鱗で覆うイメージでどんどん埋め尽くしてみる。これがおまじないになればいい。だけど、彼女がときどきくすぐったそうにするのが嬉しい。痛くないのならなんだっていい。彼女の太ももをまくり上げて僕は折り重なる。少しでも温もりたい。彼女に重さを感じさせないように気をつけながら、彼女を抱き寄せる。彼女の肩が震えている。寒いのか痛いのか。美香はとても忍耐強く、何も言わない。本当なら家で横にならないといけない。


「私、生まれ変わったらリンドウになりたい」


 僕は彼女の胸に残りのリンドウをばらまく。


「そんなこと――言わないでくれ」


 彼女の唇にリンドウの青い花びらを乗せる。彼女は一瞬、戸惑ってはにかむ。僕はそれを指でなぞる。すると、彼女は花びらを口に含んだ。僕はその蒼い唇に吸い寄せられるように口づけする。僕らを永遠に繋ぎとめて欲しくて。


「美香を失いたくない」


 口にしてみると、途端に不安が募る。僕が情けない声を出したので美香に不安が伝染する。


「あなたの好きにして欲しいの。私、あなたの想い、全部形にしてあげたい」


 途方にくれた僕に美香が胸にばらまかれたリンドウを指で摘まんで加えさせる。それを二人でむさぼるように噛んで口づけする。苦い。苦くて苦しくて、狂おしい。狂おしいほど、僕らは抱きしめて肌でリンドウを感じる。僕らが寄り添い合い、肌をこすればリンドウは青く僕らを染めた。

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