第39話 桜と月と、二度目の告白。

 日はすっかり沈んでいた。

 透花の門限はとっくに過ぎている。

 それなのに、透花は何も言わずに俺の後ろを着いて来てくれた。


 普通なら、あの場で『またね』と手を振って終わるはずだった。どうしてこんなことをしているのか、自分でも分からない。


 月明かりに照らされながら、誰もいない校庭を二人で渡り歩く。


 無人の校舎。

 無音の空。

 二人だけの世界。

 

 いけないことをしている。

 そんなドキドキが足取りに浮遊感を与える。心が落ち着かない。


 知らず知らずのうちに早歩きになっていた俺の手を、透花が後ろから繋ぎ止めた。

 そのヒンヤリとした温もりを逃がさないように、今度は手をつないだまま歩く。


 そして辿り着いた目的の場所。

 そこは総一郎が透花に告白して振られた、あの伝説の樹――。


「透花、この樹の伝説は知ってる?」

「……うん」


 俺が連れて来た場所に驚きながらも、透花は短くうなずく。

 それは『この樹の下で結ばれた二人は永遠に幸せになれる』という、夏祭りの綿あめのように甘くて優しい、懐かしい夢のような伝説。


「あはは、だよね。留学生の私でも知ってるんだから、透花が知らないわけないよね」


 渇いた笑いが、シンとした夜の空気に吸い込まれて、ほどなく消える。

 互いの存在を確かめ合うかのように、繋いだ手に自然と力がこもる。


 ――このまま透花を帰してはいけない。


 そんな虫の知らせのような焦燥に駆られるまま、こんなところまで透花を連れて来てしまった。


 ――さて、ここからどうしようか。


 いや、ここまで来て今更どうしようなんて話は無いよな。

 やることなんて一つしか無い。

 覚悟はとっくに決まっていた。


 繋いだ手を放して、透花に背を向けて少しだけ距離を取る。

 呼吸を整え、俺はゆっくりと振り向いた。

 眼の前にあるのは、月さえも飲み込んでしまいそうな透花の瞳。


 まるでデジャヴだ。透花に振られたあの日に戻ったような感傷。

 見上げると、あの日満開だった桜はもうどこにも無くて、すでに新緑が芽吹き始めていた。


 桜はもう咲いていない。

 当然だ、今日はあの日じゃない。


 俺だってもうあの時の俺じゃない。

 だからきっと……大丈夫。


「透花、話があるんだ……」


 俺の言葉に透花が身体を固くするのが分かった。

 透花の瞳は涙に潤んでいた。

 不安からか、胸の前で握られた透花の両手が小さく震える。


「透花……」


 そっと彼女の手を握る。


「清明先輩の言う通り、今の私じゃ力不足かもしれない。けど、それでも、もし透花が許してくれるなら……私は、透花に相応しい女の子に成れるように頑張るから、だから……」


 今度こそ。今度こそ。今度こそ。


 透花に恋をして十年。透花への愛だけを頼りに走ってきた。

 走って、転んで、這いつくばって、引きずって、喰らいついて、何とかここまで来た。


 今度こそ。今度こそ。今度こそ。


 透花に捧げた人生。

 その全てを、生涯の愛を――〝再び〟言葉に乗せた。


「――出逢った時からずっと好きでした。私と付き合って下さい……」


 見開かれる透花の瞳。そして刹那の沈黙。

 だが次の瞬間、弾かれたように駆けだした透花が――俺を抱きしめてキスをした。


「と、透……花……ん、あ」


 触れ合う唇と唇。

 その刺激が全身を痺れさせる。甘い痺れが脳までも犯す。


 少しだけヨーグルトアイスの味がした。

 これから一生、冷静な気持ちではヨーグルトを食べることはできないだろうな……なんて、おかしなことを考えてしまう。


 俺の小さな身体を、掻き毟るように強く抱きしめる透花。

 それは永遠にも思える月夜の時間。

 そうして、そっと離れていく透花の唇。その濡れた唇はひどく名残惜しそうに見えた。


「ひどいよ……どうして……どうしてティアちゃんは、総くんと同じ場所で、同じことを言うんだろ……」

「……透花?」


 透花は泣いていた。それは、あの日この場所で、総一郎おれを振ったときと同じ、困ったような泣き顔。

 でも、あの時と違って少しだけ嬉しそうな顔。

 でも、ぽろぽろとこぼれ落ちる透花の涙は止まることを知らなくて……。 


「ティアちゃんの気持ちはすごくすごく嬉しい。でも、ダメなの……」

「ダメって……透花……?」


 すがるように、愛する人の名を呼ぶ俺に透花は告げた。


「ごめんなさい。わたしは、あなたと並んで生きていくことはできない……」



 こうして、俺は再び透花に振られたのだった──。


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