第38話 オレンジ色の憧憬
メイド喫茶を出た後は、プラネタリウムと水族館に行くことになった。
一日で両方とも行かなくてもと思ったのだが、透花は絶対行くの一点張りで俺の手を引く。
プラネタリウムでは、暗闇の中、透花が俺の手を握ってくるものだから、星座の話なんて全く頭に入ってこなくて、聞こえるはずのない心臓の音を抑えるのに必死だった。
そんな俺の気持ちも知らずに、透花はオリオンとアルテミスの悲恋に涙していて……。
ほっそりとした指で涙を拭うその横顔は、まるで往年の名作映画のワンシーンのようで、俺はその一瞬を永遠に忘れないでいようと心に刻んだ。
水族館では、透花におねだりされてお揃いのキーホルダーを買った。
透花からすれば安物であろうペンギンのそれを、至極大事そうに胸に抱いていたのが印象的だった。
──その後も色々な場所に行った。
カフェで飲み物を買えば、透花が間接キスを強要してきたり。
外に展示してあるメイド服に釣られた透花が、大人のおもちゃ屋に入ろうとするの必死に止めたり。
──それはあまりに幸せで、永遠に覚めないで欲しい夢のような時間。
初めて人里に降りた妖精のように全力ではしゃぐ透花の背中を追いながら、俺はふと透花との関係を想う。
――今の俺たちの関係は何なんだろう。
互いに〝好き〟とは口に出している。
でも付き合っているわけじゃない。
まだそういう〝好き〟は、言えていない。
――友達以上恋人未満。
女同士であるという違和感は、もうほとんど残っていなかった。
透花に告白するという覚悟も変わっていない。
けれど同時に、清明先輩と交わした言葉が頭にこびりついて離れない。
『──清明先輩は、透花に相応しいのは私じゃなくて総一郎だと、そう言いたいんですね』
『──それは当然だろう? 理由は自分の胸にでも聞いてみたらどうだ?』
あのやり取りを思い起こすと、今の自分が透花に本当に相応しいのか……ぐるぐる、ぐるぐると、考えてしまう。
すると──。
「――ティアちゃん、アイス……食べよっか?」
少し口数が少なくなった俺に気を利かせてくれたのか、透花が声を掛けてくれる。
透花が指さした先には、芝生の公園に併設されたオープンテラスのカフェがあった。
人気店なのだろう。公園には、店のロゴが入ったアイスを片手に談笑してるカップルや、SNS用の写真を取っている人が大勢いた。
俺たちは10分ほど並び、注文を済ませてアイスを受け取る。
透花はマンゴー、俺はミックスベリー。
果実がごろごろ入ったヨーグルトテイストの本格的なやつだ。
「これは食べるの勿体ないくらい可愛いやつですね、ティアちゃん」
「じゃあ、透花はこのまま眺めてる?」
「いやだ、食べるもん」
と軽くふざけ合いながら、公園のベンチに座ってアイスをふたりでつつく。
「あ、美味しい……」
甘くて爽やか、自然と頬が緩む。
以前はそれほど甘いものは好まなかったのだが、この身体になってからは妙に甘いものを欲してしまう自分がいた。
美味しいなと思いながら、自然と透花の口元にスプーンを差し出す自分がいた。
「くれるの? ……あむ。ティアちゃんのも美味しいね。ありがと。じゃ、これお返し」
透花がお返しとばかりに、アイスを載せたスプーンを俺の口元に差し出す。
「うん、ありがと。はむ。あ、透花のも美味しい」
透花からのお返しのアイスを当然のように口にする俺。
甘くて冷たくて……熱い。
透花のアイスを口にしている。そんな自分に笑いそうになる。
なんて畏れ多いことをしているのだろう。
総一郎だった頃の俺が知ったら、死んでお詫びするとか言い出しそうだ。
一口、また一口とアイスを口に運ぶ。
ベリーの甘酸っぱさが遊び疲れた身体に染みわたる。
なのに……とても美味しいのに……アイスを口に運ぶペースがゆっくりになっていく。
これを食べ終えてしまったら、この幸せな時間が終わってしまう――そんな馬鹿げた妄想に頭が支配される。
しかし、そんな妄想を透花もまた同じように抱いているのだと、彼女の溶けかけたアイスが教えてくれた。
日が傾いていく。オレンジに染まる透花の横顔。
その憂いた表情に呼吸すら忘れそうになる。
──今、透花は何を考えているのだろう。
その宝石のような瞳に映るのは、公園で楽しそうに笑うカップルや家族連れの姿。
『――女の子しか好きになれないの……』
目の前の光景は、透花の目にはどう映っているのだろうか……。
ふと透花と視線が合う。
「……ありがとう、ティアちゃん……今日は楽しかった」
柔らかな微笑み。
だがその言葉の中に、少しだけ、ほんの少しだけ、何かを断ち切る覚悟のようなものが隠れている――そんな気がした。
甘え甘えられ、童女のようにはしゃいでいた透花の姿はそこには無かった。
それは、総一郎の頃に見ていた、あの〝完璧な百合透花〟と少し似ていた。
「こっちこそ……透花とデートできるなんて夢みたいだった」
「えへへ……喜んでくれたなら良かった……本当に嬉しいな……」
優しい時間が流れる。
そして、また少しの沈黙。
ほとんど溶けてしまったアイスを、二人で焦って流し込む。
向かい合ったとき、お互いの鼻にアイスが付いていて笑ってしまった。
「もうそろそろ帰らないと。透花、門限だよね」
透花から切り出されるのが何となく嫌で、俺は自分から終わりの準備を始める。
――でも、このまま透花を帰していいのだろうか?
心がざわつく。
理由は分からない。
休みが終われば、またいつものように学校で会える。まだまだ時間はある。
何だってできる――はずなのに。
でも、なぜだろう。それでは駄目な気がした。
「透花、最後に一か所だけ、付き合って欲しい所があるんだ……」
「……ティアちゃん? 付き合うって、どこに?」
「──学校だよ」
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