第50話 決着

 なあ、自分のことばっかで、全然格好良くなかった俺。いつまで寝てんだ? 

 寝てる場合じゃねえだろ!

 今こそ、本気で格好つける時だろうが!


「私は、透花に幸せになって欲しい。だから、私はこれくらいで倒れているわけにはいかないんだよっ!」

「ティア……ちゃん」


 泣きじゃくる透花の手を離れ、俺は両足を杖代わりによろよろと立ち上がる。


「ありがとう透花。もう大丈夫。危ないから下がってて」

「でも、そんな身体でっ!」


 引き留めようとする透花を片手で制止する。

 ごめん透花。手足が千切れようが、俺は最後まであきらめない。

 絶対に負けられないんだ。


「今のを喰らって、立ち上がるか……」


 少なくない驚きをにじませ、清明先輩が低く唸る。


「……透花はさ、変わったよ。昔と違うのは総一郎だけじゃないんだよ……」

「……貴様、何を言っている?」


 俺の言葉に、晴明先輩が何事かと眉をひそめる。


「そりゃ、総一郎は強いかも知れない。頭も良くて、顔も良くて、アンタが欲しがるのも分かるよ。死ぬほど努力したからな」


 そうだ、頑張った。努力した。

 自分で言うのは格好悪いが、それでも人の何倍も、何十倍もがむしゃらに走り続けた確信がある。

 そしてそんな俺だからこそ、走り抜けた今だからこそ──思うことがある。


「けどさ、強さって何なんだ? 総一郎は強くても、透花の涙に気付いてやれなかった。透花を好きって言いながら透花を追いつめた。なぁ、先輩。教えてくれよ──〝総一郎は本当に強かったのか?〟」


 大切な人を守れない強さに、意味なんてあるのか?


「それに比べてさ、透花は本当に強くなったよ。友達を守るために、あんなに怖いチンピラ相手に震えながら立ちはだかってさ。苦手だったスポーツだって今じゃ一番だ……」


 クールに脳髄に火をつける。

 余計なモノは要らない。清明先輩だけを視界に捉える。


「透花は頑張ったんだよ。動機は総一郎やアンタに挟まれた劣等感や義務感からだったかも知れない。けど頑張ったんだ」


 拳を握る。

 身体を巡る神経回路を確認する。


「理不尽な神様に舌出してさ、必死に足掻いてきたんだよ! 終いには、あんなに自由を欲していた透花が、他人のためにそれを捨てようとしてるんだぞ……」


「…………ティア……ちゃん」


 視界の端で透花が泣いている。

 そんなに泣くなよ。透花の代わりになんて烏滸おこがましいけど、俺がこの馬鹿兄貴に分からせてやるからさ。


「なのに、なのに実の兄貴であるアンタが、何で透花を応援してやらない! どうして透花を信じてやらない!?」


 そうだ。こいつは透花を勝手に無能扱いして。

 百合家には自分と総一郎が居ればいいとか言って。

 透花を駒扱いしやがって……。


「何で総一郎のことばかりなんだよ! 透花の強さを見ろ、透花の心を見ろ。ちゃんと透花を見ろよ――」


「――妹を信じてやるのが、妹の幸せを願ってやるのが兄貴じゃねえのかよ!?」


 一歩、また一歩と足を動かす。

 不思議と身体の痛みは消えていた。


「総一郎と透花のことを応援してくれたのは感謝してる。けど、それは透花のためじゃなかった……アンタは家と総一郎のことしか考えてない。俺はそれが一番許せない……」


 俺の言葉を静かに聞いていた晴明先輩が、その表情を崩さないままに、視界に中心に俺を捉える。


「俺が許せないか……百合家に生まれるという意味も知らずに部外者が偉そうに。だったら貴様に何ができるというんだ?」

「透花のためなら何だってやれるし、何にだってなってやる! もうウジウジ考えるのは止めた。透花を泣かす奴がいるなら、親兄弟だろうと全力でぶん殴るだけだ!」


 俺の言葉に清明先輩は一瞬呆気にとられる。

 だが、すぐに心底楽し気な笑みを浮かべ──


「滅茶苦茶だなエゴイスト。ならば今すぐに終わらせてやる。全力で来るがいい!」

「言われなくても! すぐにトドメを刺さなかったこと、今すぐ後悔させてやらぁぁ!」


 絶叫と共に、俺と清明先輩の拳が再び交差する。

 激しい乱打戦。限界はとっくに超えていた。

 無理やり退かした痛みが脳髄をがんがんと叩く。もうヤメロ、動くな、取り返しのつかないことになるぞ、と叫び続ける。


 残された時間は少ない。

 今にも気を失いそうな中、信念だけを燃料に心に薪をくべていく。

 全身を燃やす勢いで、熱を溜めていく。

 この戦いに、余すことなく全てをぶち込めるようにギアを上げていく。


 さあ、どうする? ちっぽけで弱っちい俺。

 いや本当は分かってる。残る手段は一つしか無い。

 清明先輩対策に用意した最後の技。


 だが、あの技は諸刃の剣だ。俺だってただじゃ済まない──なんてな、そんなん言ってる場合じゃねえよな。

 やらなければこのまま負けるのは目に見えている。

 気は進まねえが、一世一代の大勝負、いっちょ決めてやるとするか……。 


「どうした、みるみる動きが鈍っているぞ? やはり、今からでも降参したらどうだ?」


 手加減する気など毛頭ないのだろう、指の骨折など微塵も感じさせない清明先輩の両椀が襲い掛かってくる。


「降参なんかしねえよ! つーか先輩も、その指じゃまともに戦えないだろ? さっきの投げだって、もう使えないはずだ!」

「ふん、舐められたものだな。こんなかすり傷程度、何の支障もない!」


 ……何の支障もないね。そう言うと思ったよ。だってアンタは誰よりも負けず嫌いだからな。

 だからさ、〝こうやって挑発すれば〟アンタは必ず次も同じ技を仕掛けてくるだろ?

 

 準備は上々。

 あとは、導火線にガソリンをぶちまけるだけ……。


「へえ、さすが百合家の跡取り、百合清明会長だ。その怪我をものともしないとは、やっぱあのポンコツ総一郎とは出来が違うなぁ……」

「なん……だと…………」


 水面のように澄んだ清明先輩の構えに、一点の揺らぎが生まれる。


「ん? 聞こえなかったのか? 女に振られただけで、めそめそと逃げ出した総一郎とは出来が違うって言ったんだよ!」

「――きさまぁっ!」


 小さな揺らぎが、一瞬にして大きな波となる。

 一足飛びで間合いを詰めてくる清明先輩。


 それは一見これまでと変わらない鍛錬に裏打ちされた洗練された動き。

 だが、その中のほんの一筋ひとすじの乱れを俺は見逃さない。

 さっきの投げと同じ動きで清明先輩が俺のえりを掴む。だが――


『消えたーーーっ! ティベリア選手、清明選手に襟を取られた瞬間、その道着だけを残して忽然こつぜんと姿を消しました。これは、忍法変わり身の術かぁぁぁぁぁっ!?』


 白姫の絶叫が轟く中、


「―――残念。これは〝空蝉うつせみの術〟って言うんだよ」


 清明先輩の死角。

 自らが脱ぎ捨てた道着の下に潜った俺は先輩の背後を狙う。


「無駄な小細工を! だが、それがどうした!? それとも下着姿にでもなれば、俺が油断するとでも思ったか!?」


 完全に不意を突いたにもかかわらず、道着に隠れた俺の動きに完全対応してみせる清明先輩。さすが驚異の身体能力だ。

 けどな、俺のターンはこれで終わりじゃないんだぜ!


「下着姿で油断? そんな期待はしてねえよ! でも、これならどうだ!?」


 道着の影から姿を現す俺。

 その姿を捕らえた清明先輩の目が驚愕きょうがくの色に染まる。


「――って、な!? ば、絆創膏だとぉぉぉぉぉ!?」


 先輩の両眼に映るのは、俺のささやかな膨らみと、その頂点に張り付けられた二枚の絆創膏。

 その想像すらしていなかった姿に、清明先輩の動きが一瞬止まる。


「隙ありだ、こらぁぁぁぁ!」 


 俺は前もって外しておいたブラジャーで、瞬時に清明先輩の両手を後ろ手に縛りあげる。


「こ、姑息な! だが分かっているぞ、狙いは首だろう!」


 首への絞め技を警戒して、あごを引く清明先輩。

 そうだよな。両腕を拘束して背後を取ったこの状況。力で劣る俺が勝つ方法は、首への絞め技しかない──って普通なら思うよな? 


「けどな、俺の狙いはそこじゃねぇぇぇ!」


 俺は先輩の背中から腕を回し、その身体をガシッと締め付ける。


『おおーっと、半裸のティベリア選手! 身動きの取れない清明選手を、持ち上げようとしている! まさか、これはーーーっ!?』


「血迷ったか!? この体格差だぞ! お前のような女に持ち上げられるわけが――」

「やってみなけりゃ分からないだろうがっ!」 


 一流のアスリートは重心のコントロールも一流だ。

 うつ伏せ状態の女子レスリング選手を、体重が倍はある大男がひっくり返せない、なんてのはよくある話だ。

 だから一流の武道家である清明先輩を持ち上げるというのは、単に同じ体重の素人を持ち上げるのとはわけが違う。


 でもな、んなことはこっちだって分かってるんだよ!


「私は怒ってるんだ! 何だよ、総一郎を引き入れれば自由にしてやるって。何で透花は、そんな条件を飲まなきゃ自分の好きなこともさせてもらえないんだよ!」


 叫ぶ。

 喉がはち切れんばかりに、溜まりに溜まった怒りをぶちまける。


「貴様如きに何が分かる! 透花は百合家の女だ。その肩には貴様如きには計り知れない責任が掛かっている。透花はそれを承知の上で自らを差し出ろうとしているんだ!」


 俺の腕を振りほどこうとする清明先輩のギリギリとした歯ぎしりが聞こえる。

 だが放さない。この手だけは絶対に放してなるものか!


「んなことは知らねえよ! そりゃ色々あるだろうさ。百合グループ総勢十五万人だっけか? ああ、実感が沸かねえくらい途方もない数だ。庶民の私には、先輩や透花がどんな思いを背負っているのか、その欠片かけらすら解ってないのかもしれない……けどな」


 痛めた肺に全力で酸素を送り込む。

 これが最後だと、無理やり身体を酷使する。


「大層な使命なんか知ったことか! 私は透花を泣かせる奴は絶対に許さない! 透花を苦しめる百合家も、透花を守ろうとしないアンタも、透花の苦しみと優しさに気付けなかった総一郎も、全部まるごとティベリアわたしがぶっ壊してやらぁぁぁ!」

「――!?」


 清明先輩の身体がふわりと浮く。


「な、そんな、馬鹿な!?」


 筋繊維きんせんいがぶち切れる音が聞こえる。

 頭の血管が何本も断線していく。

 視界が明滅して意識が消えそうになる。

 だが、今はそんなこと気にしてられない。この一撃に全てを掛ける!


「喰らいやがれ、これが愛の力だ! 必殺☆ジャーマン・スープレックスぅぅぅッ!」


 俺は自分の倍以上ある清明先輩の身体を持ち上げ、そのままブリッジをするように、先輩の脳天を思い切り床に叩きつけた。  

 清明先輩の頭蓋から響く鈍い衝撃音。

 その異様な惨劇に静まり返る観客たち。


「…………に、忍術に……プロレス技……だと…………無茶苦茶過ぎる……だろ……」


 驚愕きょうがく苦悶くもんに満ちた表情の清明先輩。


「先輩。草薙流で戦えば、確かに俺じゃ先輩には勝てなかっただろうさ。けど、俺が草薙流古武術しか修練しゅうれんしてないとは、一度も言ったことがないぜ――って、もう聞こえてないか……」


 芸術とも言えるような必殺の一撃をその身に受けた清明先輩は、逆さまの大股開きという恥ずかしい姿を全校生徒に晒したまま、完全に意識を失っていた。


『――き、決まったぁぁぁぁ! ティベリア選手、渾身のジャーマンスープレックス! これぞ愛の力! 勝者、ティベリア・S・リリィーーーーーーッ!!!』


 一気に歓声に包まれる会場。

 その中心で、俺は高々と右腕を突き上げ、勝利を噛みしめるのだった……。

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