第44話 後悔からの一歩
「最初は、透花さんも綾崎くんと結ばれるものだと心から信じていたんです。けれど今から三年前、透花さんは知ってしまったんです。自分が本当は女性しか愛せないという事実を――」
「……っ、そんなことって…………」
静かに揺れる車の中。
白姫の口から語られた透花の真実に、俺は鈍器で殴られたかのような衝撃を受ける。
「でも、それだったら本当のことを総一郎に言えば良かったじゃないか! そうすればアイツだってきっと……それともやっぱり透花は自分可愛さで総一郎を騙してたってのか……」
そうだよ、透花は何で言ってくれなかったんだ?
女しか好きになれないってことを隠して、俺の前だけでは猫を被って。何も知らない俺は、絶対に手に入らない宝物を追いかけ続けて……。
「透花は三年間、総一郎の事を、どんな気持ちで見てたっていうんだよ……」
「信じてもらえないかもしれませんが、透花さんは誰よりも、綾崎くんのことを大切に想っていたんです……」
「……そんなこと…………」
「分かりませんか? もし、自分の自由のために綾崎くんを騙していたなら、どうして透花さんは今になって綾崎くんを振ったんですか? どうして今、透花さんは全てを失おうとしているんですか!?」
「……それは」
そうだ。白姫の言う通りだ。
もし透花が自分の自由のために、総一郎を騙していたんだとしたら、総一郎の告白を黙って受け入れれば良かったんだ。
なのに透花は、総一郎を振った。
やっと手に入れた自由を、幼い頃から透花が求めて止まなかった自由を、失うことを分かっていながら、透花は俺を振ったんだ。
それが誰の為だったかなんて、考えるまでもない。
「透花さんが綾崎くんに本当のことを言えなかったのは、綾崎くんが誰より大切だったから、大切な人だからこそ真実を知られるのが怖かったから──」
「──そんな透花さんの気持ちを……どうか分かってもらえませんか?」
透花を信じて欲しい。
そんな白姫の切実な願いが、言葉の一つ一つから伝わって来る。
「大切な人だからこそ……怖い……か……」
それは……分かる。
なぜなら俺も同じだったから。
今気付いた。いや、分かっていたのに、ずっと目を背けていたのかもしれない。
透花に見合う男になるまで告白はしないなんて格好つけて、でも本当は、透花に拒絶されるのが怖くて、今の関係が変わってしまうのが恐ろしくて――。
だから、答えを出すのを先送りにしていた。大切な人だからこそ、俺は怖くて、ずっと逃げていただけだったんだ。
それに今だって俺は透花に、とても大きな嘘を吐いている。
そんな俺に、透花を責める資格なんて在るはずもない。
「好きな人だからこそ、怖くて言えないことがある。身動きが取れなくなる。その気持ちは……すごく分かるよ……」
「ティアさん……」
俺のその言葉に、白姫は安心したように泣きそうに微笑んだ。
「透花さんは完璧なんかじゃない。綾崎くんが夢見た〝完璧な百合透花〟なんて人間は最初からどこにもいないんです。透花さんはどこにでもいる普通の、臆病な女の子なんですよ……」
白姫は、まるで自分のことをなぞるかのように、百合透花という女の子を語る。
「百合家の重圧、兄と綾崎くんという二人の天才に挟まれる苦悩。透花さんは必死に努力したんです。百合家の人間として、綾崎くんの伴侶として恥ずかしくない女性になろうと……」
――俺は、どこで間違ってしまったのか……。
「でも、透花さんはある日知ってしまった。自分が女の子しか好きになれないことを。綾崎くんの想いに、答えることができない自分という人間の罪を……」
――違う。どこでじゃない。最初から間違っていたんだ。
「でも透花さんは、綾崎くんに本当のことをどうしても言えなかった。そして今、その責任の全てを、一人で清算しようとしているんです……」
話し終えた白姫は、祈るように、懺悔するように、その手を硬く繋いで俺の言葉を待つ。
「……全部、総一郎のためだったんだな……」
全てが分かった。
透花が俺を振った理由も、あの時の泣きそうな困り顔の理由も。
透花を苦しめる呪縛の正体も……。
「透花は、総一郎を百合透花という〝呪縛〟から解放するために、自らを犠牲にしようとしているんだな……」
総一郎が透花を想い続ける限り、総一郎が報われる日は永遠に来ない。
だから透花は総一郎を、〝自分という呪縛から解放するため〟に離れることを選んだ。
そして今、そのせいで透花は俺たちの前から永遠に消えようとしている。
──全部俺のせいだ。
俺は透花に釣り合う強い自分を作り上げることが、何よりも大切なのだと思い違いをしていた。
自分が強くなることばかりにかまけて、透花の心を見ようとしていなかった。
俺が少しでも透花の心に寄り添うことができていれば、透花は俺に本当のことを話すことができていたかもしれないのに。
結局、透花を追いつめていたのは、百合透花を追い求める俺自身だったんだ。
「透花さんは自覚していないでしょうけど、あの無差別なセクハラも、透花さんにとっては自虐行為なんですよ。わたしは総くんに相応しい女じゃないんですって、自分を汚すことで必死に訴えているんだと思います……」
痛い。
言葉が痛い。
真実が痛い。
透花の心を想うと胸が張り裂けそうになる。
透花の気持ちも考えず、ただ自分の好きを押し付けて、自分は立派な男になったといい気になって……ひたすら滑稽で情けない。
「……それにしても白姫は透花のこと、何でも知ってるんだな」
「そりゃ私と透花さんは……似た者同士の大親友ですから……」
胸を張って笑う白姫。その笑顔は尊くて苦かった。
「そっか……」
白姫の事情は知らない。
でも白姫もきっと色々なものを抱えているに違いない。
だからこそ透花を理解し、いつも隣に立ち、ずっと親友でいられるのだろう。
「透花は男運は悪かったけど、女運には恵まれていたみたいで本当に良かった」
総一郎としては、それだけが唯一の救いだった。
「私は総一郎じゃないけど……あの馬鹿の代わりに、透花のためにできることをしたい。独り善がりじゃなくて、本当の意味で透花のためにできることを……」
「はい、期待してます。そのために学校をサボって家まで押しかけて、透花さん
「垂涎の金髪美少女って……いやまぁ、確かにそうなんだろうけどさ……」
涙目で
「清明会長に呼び出されて、透花さんは今は生徒会室にいるはずです。綾崎くんを振ったことの責任……つけを払わされるんだと思います」
「例の契約ってやつか……」
「はい、綾崎くんを百合家に引き入れれば透花さんには自由が与えられる。でも裏を返せば、綾崎くんと結ばれない限り、透花さんに自由は無い」
「それの手始めが、転校の話ってわけだ……」
「はい。百合家の淑女として相応しい再教育を施すために、全寮制のお嬢様学校にでも放り込む気なんでしょう」
転校だとか、全寮制だとか、当たり前のように透花の意思を無視しやがって。
透花はあんなに楽しそうに全力で笑ってたのに。
それはもしかして、期間限定の夢のような時間だと、透花自身は覚悟していたのかもしれない。
でもだからって、そんな覚悟を受け入れて、笑って送り出してやるわけにゃいかねえんだよ!
「今すぐ、絶対に止めないと!」
「ええ、ですから急ぎましょう。もし清明会長が今回の件をご両親に報告したら取り返しがつきません。そこがタイムリミットです!」
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