第4話 6歳のプロポーズ


 ――俺と透花が出逢ったのは十年前。


 まだ互いに幼かった頃の桜舞う夜の公園。

 あの日の光景は、今でも記憶の中で鮮烈に輝いている。


 子供の頃の俺は太っちょの泣き虫で、いつも友達に馬鹿にされてはべそをかいていて――それはあの日も同じで、散々馬鹿にされた俺は公園の遊具の中、ひとり膝を抱えて泣いていた。


 日は暮れかけ、街の影が傾き始めていた。

 俺を笑い者にした奴らはとっくに家路に着いていて、俺も帰らくてはいけない時間なのに、どうしても立ち上がることができなかった。


 情けなくて、恥ずかしくて、悔しくて。


 涙の理由を母さんに聞かれるのが嫌で、家に帰ることもできずに、明日あいつらに会ったら絶対に復讐してやるとか、妄想に耽ったりして。

 でも結局何もできないのは自分でも分かっていて。

 だから、ただひたすら膝を抱えてうずくまっていた。


「――どうして泣いてるの? もう遊ばないの?」


 窓のようにいくつも穴が空いている丸い半球型の遊具の中。

 その穴の一つから見覚えのない少女が顔を覗かせた。

 心臓が飛び出るかと思った。突然声を掛けられて驚いたからじゃない、その少女があまりにも美しかったから。


 年齢はきっと同じくらい。

 はらりと頬を流れる艶のある長い黒髪。まあるく開いた瞳は、母の持っているどんな宝石よりも澄んだ光を湛えていた。

 小首を傾げながらこちらに向ける視線と薄っすらと開いた唇に、視線がくぎ付けになる。

 その無防備な仕草に、子供ながらズクンと胸が高鳴った。


「入っていい?」


 少女はそう言うと、俺の返事も待たずに遊具の中に入って来る。

 無言で俺の隣に腰を下ろす少女。

 ふわりと女の子の香りがした。


 ――心はすでに奪われていた。


 そこからしばらく無言の時間が流れた。

 涙はとっくに引いている。

 まともに息も吸えないほどの緊張感。心臓の音が少女に聞こえやしないかと必死に胸を押さえた。


 ほんの数分の沈黙だったはずなのに、何時間にも感じられたのをよく覚えている。


 聞きたいことは色々あった。どこから来たのかとか、そんなひらひらの服で座ったら汚れちゃうよとか――それに、少女の名前、とか。


 でも何も聞けないまま一番星が空に瞬き始めた頃、少女の目元が俺と同じように赤く腫れていることにやっと気付いた。


「泣いてたの? もしかして迷子?」


 この子も自分と同じように泣いていた。

 自分と同じ。そう思うだけで、今度はスッと言葉が出た。

 それまでの俺は、少女が本当にこの世の者なのかと疑っていたのかも知れない。


「ちがう。わたし家出したの」


 少女が口を開く。少しぶっきらぼうな、でも甘く澄んだ音色。


「わたしは透花……百合透花っていうの。キミは?」

「……え、あの……ぼ、ぼくは総一郎。綾崎総一郎」


 やっと自己紹介を終えた俺たちは、そこからぽつぽつと話を始めた。

 透花と名乗った少女は怒りを滲ませながら、家から逃げてきたのだと言った。毎日毎日、習い事ばかりで、窮屈で仕方ないのだと……。


 もっと遊びたい。

 友達が欲しい。

 自由になりたい。

 それが透花の涙の理由だった。


 俺も透花に負けじと、太っているのを馬鹿にされてることや、鬼ごっこでいつも集中的に狙われること――そんな普段言えない恨みつらみをここぞとばかりに吐き出した。

 すると、透花も輪をかけて家や家族への不満をぶちまける。


 そうしてどんどんヒートアップしていく不幸自慢の背比べ。

 人形のように綺麗な透花の唇から、馬鹿だの、嫌いだのといった負の言葉が次々と生み出される違和感に、不思議と笑いが込み上げて来て。

 それでニヤニヤしてたら、横目で睨まれたので焦って姿勢を正す。

 そんな俺を見て透花が声を上げて笑う。

 その声につられて俺も腹を抱えて笑った。


 ──気付いた時には二人とも笑顔になっていた。


 だがそんな時間は長くは続かなかった。

 無数の星々の輝きに一番星が見つけられなくなった頃、百合家の人間が透花を迎えに来たのだ。


 黒い服を着た沢山の知らない大人たち。

 帰りたくないと泣いて抵抗する透花。

 だが彼女の言葉に耳を貸すものは一人としておらず、透花は無慈悲にも車に押し込められようとしていた。

 俺に助けを求めて、その小さな手を必死に伸ばす透花。

 でも、黒服連中に囲まれた俺は、どうしてもその手を掴むことができなくて、だからその代わりに、一心不乱に透花の背中に向かって必死に叫び続けた。


 ――いつか迎えに行く。

 ――そこから連れ出してみせる。

 ――透花が好きだ。


 たった六歳の、しかも冴えない太った子供のプロポーズ。

 大人たちは、そんな俺を見て鼻で笑った。

 それは哀れで無知な子供に対する同情と侮蔑の感情。

 でも俺は本気だった。

 俺の心には、すでに決して曲がることのない鋼鉄の芯がぶっ刺さっていた。

 その想いが、熱意が、決意が、連れ去られていく透花に通じたのかは分からない。


 でも、透花は振り返って、最後にこう言ってくれたのだ。


「――ずっと待ってる……」

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