第二章 死んだはずの弟

国のために戦ってくれる人は英雄として讃えられますよね。僕は戦争は嫌いですけど、ここでワクチンひとつ打って、国のために、先輩方のために、家族、政府、だけじゃなく、経済社会全体まもるためにワクチンを打つ人はヒーローだと思うんですよ。


パトリック・ハーラン 2021年9月16日 アベプラ


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-2021年-



 目が覚めると病院だった。白い天井。個室だった。


 嘘のように痛みは引いていた。ただ、着ているパジャマはぐっしょりと汗を吸っていた。どこの病院だろうか。妻の病院とは違う。窓の外の景色に見覚えはない。すっかり朝になっている。


 死ねなかった。情けなくて笑えてくる。理恵、ごめんな。と独りごちる。あと一年、なにをして生きればいいのか分からない。モバイルを故意に破棄した罪は重い。もう少ししたら警察がやってくるだろう。


 もうなにもする気が起きなかった。ただ、ぼうっと窓の外を眺めていた。それが十分だか、一時間かもわからない。


 病室の扉が唐突に開いた。


「お、目が覚めたか」


 若い医師は今時珍しいN95マスクを付けて、ゴーグルまでかけていた。


「具合はどう?」

「……最悪です」


 明らかに年下であろう。なぜ、そんなにフレンドリーなのか理解に苦しむ。


「昨日は熱高かったからね。意識、朦朧としてたでしょ」


 朦朧なんてレベルではなかった。曖昧に相づちを打つ。


「何かあったら、そのブザー押して。鞄はそこ。スマホとかは後ろの引き出しに仕舞っておいた」


 川から僕のモバイルを引き上げたということだろうか。この医師の言っていることが今ひとつ理解できない。だが、その医者は部屋を出ようとして、最後にもっと理解できないことを口走った。


「あ、ワクチン、打つかい? 余りが出るから」


 ワクチン、打つかい?


 医者の言葉に耳を疑った。世の中には冗談にしていいことと悪いことがある。


 医者は悪びれる風もなく言葉を続ける。


「罹患中の患者にも効果がある、って研究もあってね」

「勘弁してくれ」

「……いやならいいけど」


 医者は不思議そうに首をかしげ去った。


 部屋はもとの静寂に戻った。


 僕は枕元の引き出しを開けた。そこには随分型遅れのiPhoneが入っていた。僕のモバイルじゃない。ただ、指が画面に触れて日時が出た。僕はiPhoneを戻そうとする手を引き戻し、もう一度日時を見た。


  12:47 9月23日(木)


 時間は空の青さから見てもそんなものだろう。問題は日付。今日は、結婚記念日の十日前、いや、一日経ったから九日前。十月二日のはず。


 僕はもう一度画面の日付をみる。


  12:49 9月23日(木)


 時間は進んでいる。誰のiPhoneか知らないが、画面をスワイプする。FACE IDにはじかれて……、と思いきや認証される。どうして……。FACE IDを登録していないのだろうか。iPhoneはむかし使っていた。カレンダーを開く。九月二十三日。


 僕は日付よりもっとおかしなものを見つけた。西暦が2021年になっている。


 あまり、他人の携帯をいじくるのは褒められたことではない。が、すこしだけ、と僕はYAHOOニュースのアイコンをタップした。


9/23(木) 12:31更新

・自民総裁選 決選投票が濃厚か

・台湾 TPPはWTO加盟以来の好機

・野田聖子氏 当選は私以外の誰か

・眞子さま「最後の行事」に出席

・飛び石連休初日 高速道路は渋滞

・バドでリオ金 高橋さん妊娠報告

・俳優と母 三十歳前田敦子の現在地


 何回更新を押しても変わらない。


 トップニュースが並んでいた。その下には、


・米、途上国などにワクチン五億回分を追加寄付

・マイザー製ワクチン五歳から十一歳にも安全。治験で強い免疫反応


 ワクチンだ、コロナだ、などのニュースがごろごろしている。たしかに、2021年の秋はワクチンパスポート、ワクチン接種義務化に邁進していた時期だ。僕は恐ろしくなって、スマホを手放した。急に吐き気がしてきた。


 誰のか分からないスマホを引き出しに戻そうとしたとき、引き出しの中に入っていた腕時計に目が行った。銀色の腕時計。それは、弟の就職記念に僕がプレゼントしたものだった。時計は正確な時間を刻んでいた。SEIKOの自動巻。四十一時間動く。つまり、この時計は四十一時間以内に引き出しに収められたということ。


 まさか……。そう思ってスマホをもう一度手にする。このケース、見覚えがある。開く。写真にアクセスする。そこには、弟が映っている。僕が映っているものもある。このスマホは弟のものだ。スマホを開いてカメラを起動し、インカメラにして自分の顔を見る。十年ぶりの、弟との再会だった。


 記念に一枚、弟の顔をした僕を撮った。


 僕は夢を見ているのだろうか。2021年九月二十三日。弟の命日だった。


 弟は、二十二日に具合が悪くなり、検査したら陽性、そのまま入院した。そして、二十三日、まさに今日容態が急変、死亡した。ただ、午前中に僕にラインを送ってるはず。一字一句たがわず覚えている。それが、弟との最後のやりとりだったから。


 この日、弟が僕に送ったラインを、僕はこの時代の僕に送る。


「昨日は心配かけてゴメン。もう大丈夫。今朝は気分がいい。ほんとコロナ怖いぜ。兄貴も気をつけろよ(^^)」


 この時代の僕は忙しさにかまけて返信をしなかったんだ。ごめんな、裕二。両親を早くに亡くした僕たちは唯一の肉親だった。


――あ、ワクチン打つかい? 余りが出るから――


 医者の言葉が頭をよぎる。もしかして、弟はコロナで死んだんじゃないのではないか。ワクチンの急性副反応で死んだ。だとしたら、僕たちと同じじゃないか。


 ベッドから起き上がってみる。すこし目眩がした。でも、足はしっかりしている。この体は健康だ。当たり前だ。コロナは結局大した病気じゃなかった。ただ、ワクチンを打たせるために、製薬会社、政治、マスコミ、医療関係者があちこち火を付けて回って、恐怖のウイルスに仕立て上げられたに過ぎない。


 部屋の隅にある洗面台に鏡がある。懐かしい弟の姿があった。2031年の僕の魂が2021年の弟の体に入り込んだ。そんなバカな。やっぱりこれは夢なんだ。寝ればきっと醒める。横になったが、頭が冴えて眠ることが出来ない。無為に、無情に時間が過ぎ去っていく。窓の外はだんだん薄暗くなっていった。夕方のチャイムが鳴っていた。


 枕元のスマホが震えた。


「ごめん、返信遅くなった。忙しくて。無事で何より。大事にしてくれ。いつ退院できるんだ?」


 兄からの、いや、この時代の僕からのライン。前の世界で、僕は弟のメールに返信しようと思っていた。文面を打とうと考え始めたところに、病院から電話がかかってきた。弟が死んだと。


 弟が死ななかったら、僕はこういう返事を弟に送っていたのか。


 ちょうど、夕食が運ばれてきた。看護師さんにいつ退院できるのか聞いた。このあと症状が軽快なら五日後だと言う。味の薄い病院食を食べながら、弟の体の僕はこの時代の僕に、「五日後だって」とラインを送った。


 九時の消灯まで時間があった。YAHOOニュースをスクロールする。そこには、ワクチンがいかに効くか、死亡者は未接種者、ワクチンの副反応が強いほど効果が期待、ワクチン接種が高齢者の感染を10万人以上・死亡を8,000人以上減少、コロナ第5波重症化は第4波より抑制=ワクチン接種が影響、新型コロナ重症者8割がワクチン未接種、などの十年前と同じ世界があった。ワクチン義務化への布石が淡々と打たれていた。ただ、ヤフコメまで覗くと、ワクチンへの疑念が書き込まれている。


 弟のアカウントを使うわけにも行かないので、アカウントを取り直し、ツイッターも覗いてみる。ワクチンへの疑義を唱える人たちはそれなりにいた。海津の言うとおり、ワクチンの危険性を指摘する情報はいくらでも転がっていた。十年前の僕が見たこのない世界が広がっていた。


 青空の下喧伝されたワクチンによる明るい未来の裏側には、十分すぎるほどワクチンに対する疑義が溢れていた。ワクチンの危険性を指摘するものに、一つ一ついいねを押していった。ただ、


「反ワクチンの陰謀論信じている奴ら、ホントきもい。うちの姉も陰謀論にハマっちゃって、絶対打たない、あんたも打つなと迫ってくる。陰謀論者は頭狂っちゃってるよ」


 このツイートに思わずいいねを押してしまった。いいねは二百を越えていた。十年前の僕は、まさにこの投稿者と同じ考えだった。


 ほんと、陰謀論者はきもい。頭が狂ってる。というより、悲劇で、哀れで、惨めだ。政府やマスコミがこれでもかと流す陰謀を信じて疑うことなく、ワクチンを打って、他人にもワクチンを薦めて、自分や他人の命を縮めていく。正しいことをしていると思い込んでいる。ワクチンに疑義を唱える連中を陰謀論者とさげすみ、実は、自分こそ陰謀の熱烈な信者であり、そのお先棒を担いでいることに、一ミリたりとも気付いていない。


 僕は早速ツイッターに書き込んだ。「ワクチンは絶対に打たないで下さい。二十年以内に確実に死にます」ワクチン危険、ワクチン死亡、ワクチン義務化反対のハッシュタグを付けた。


 韓国のニュースサイトではワクチンの副作用による死亡が続々と流れている。それに引き替え、日本では厚労省が定期的に積み増しする死亡事例以外、ひとつもワクチン死が流れてこない。もちろん、この時代、ワクチンによる死亡は全て「因果関係不明」で片付けられる。それは、マイザーやモヂルナが政府の契約書に盛り込んだ、「十年間はワクチンの有害事象を一切開示してはならない」という条項のためだった。


 だが、これは政府にとっても都合がよかった。契約書には「マイザーは何があっても一切の責任を負わない。全ての責任は、契約国の政府及び国民が負う」となっている。つまり、有害事象を認めたら政府は金を払わなければならない。


 そんなことを考えなら、スクロールしていたら、川野ワクチン担当相が飛行機乗りの格好をした「ワクチン死亡は永遠に0」なるコラージュ画像を見つけて思わず笑った。


 九時になって電気が消えた。

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