櫟乃森暮雄の日常

海猫ほたる

一章 櫟乃森暮雄の日常

櫟乃森暮雄の日常

 とある地方都市の駅近く。


 今日も会社帰りのサラリーマンや、学校帰りの学生、パチンコ帰りの老人達がひしめく夕方の六時過ぎ。

 

 レストラン・アルミードは、全国的には無名だが、この地方の人なら大体知っている程度に店舗数のある、ファミリーレストランのチェーンだ。


 店内では、エプロン姿の店員達が慌ただしく注文を取ったり料理を運んだりと、忙しく駆け回っていた。


 そんな中、厨房内で一人苛立ちを募らせている男がいる。

 この店の店長、櫟乃森くぬぎのもり 暮雄くれお

 

 夜のピーク時で忙しい中、本来ならば既に来ている筈のスタッフがまだ来ていない。


 学生アルバイトの1人、桧原ひのはら 未沫みわ

 店長の暮雄くれおは、オーダーの隙を見ては何度も電話をかけているのに、何度かけても電波の届かないところにいますと無感情な女性のアナウンスが流れるだけだった。

 

「くそっ、桧原ひのはらの奴、よりによってこんな忙しい日に遅刻とは、参ったな……菟山うなやま、3番テーブルさんに、オムライス一人前持って行ってくれ!葦見あしみ、お客さんだ。新規オーダー頼む」


 店長は毒吐きながらも次々と料理を作り、アルバイトのスタッフ達に指示を飛ばしていた。


 あいつはなんだかんだで良く遅刻するが、今までちゃんと、遅れる時は連絡を寄越してきたのに、今日に限って連絡一つ寄越さないとは……全く、どうなってるんだ。


 来る筈だった未沫みわは、物覚えの良い子だった。

 ホールもキッチンもそつなくこなし、お客さんの受けも、他スタッフとの仲も良い。

 本部マネージャーからも一目置かれる、有能なアルバイトだった。


 ホールに置かれたテレビでは、夕方のニュースが『この大型連休で行きたい異世界』特集をやっている。


 異世界とのゲートが開いて早十年。

 昔はイキった命知らずの若者か、民間軍事会社に雇われた傭兵くらいしか行かなかった場所だが、治安がある程度確保できるようになった最近では、海外旅行気分で行く物も増えてきたらしい。


 といっても、暮雄くれおは、異世界に行きたがる物達の事が全く理解できないでいた。


 ああ、お客さんが少ないうちに仕込みをやっておこうと思ったのに、できないままピークに入ってしまった……参ったな……普段ならそんな事も想定して、早め早めに動くのが得意の俺だったのに……今日が世間の給料日だって事をすっかり忘れていた……俺としたことが痛恨のミスだ。 


 オーダークリッパーに留められた注文票を抜き取りながら、独り言を言う。


 ホールからは、アルバイトスタッフが注文を伝える声が徐々に激しさを増していた。

 いよいよ本格的なピークタイムに突入し始めた。

 もう、厨房から離れる暇は無くなっていた。

 暮雄くれお桧原ひのはらに連絡する事を諦めた。


 こんな時間だし、学生とはいえ流石に寝坊は無いだろう。

 シフトの予定を確認した時には、たしか今日は学校無い日だって言ってた筈だしな。

 じゃあ、ブッチなのか?

 いや、そんな事をする子には思えない。

 それに、昨日帰る時もいつもと変わった様子は感じられなかった。

 面接した時はチャラそうに見ええたけど、実際に働き始めたら真面目で良い子だったんだがな。


 とはいえ、そろそろオーダー票の数がたまってきた。

 そろそろ本気で捌かないと、待たせすぎてお客さんにクレームを入れられてしまう。

 桧原ひのはらの事を考えるのはやめて、その事は一旦バックヤードにでも置いておこう。

 

 それからの暮雄くれおは、無心で注文を作り、アルバイトに指示を出し続けて行った。


 カレー、オムライス、ハンバーグ、唐揚げ、そしてカレー、ステーキ……


 暮雄くれおは暫くの間、無心で作り続けた。

 ようやく、新規の注文の数が減ってきた。


 ようやく落ち着いてきたな。仕込みが少なくてヒヤヒヤしたが、なんとか品切れを出さずにすみそうだ。食器も大分溜まってきているが、そろそろ誰かを休憩に入れないと……


 アルバイトスタッフ達の様子を見やる。

 スタッフ達には、かなり疲労の色が見えていた。

 桧原ひのはらが抜けている分、残ったスタッフの負担が増していた。


 さすがに疲れが見えるな、無理もない。

 そうだ、俺は元々、スタッフには余裕を持たせて配置していた筈だった。

 だけど、桧原ひのはらは思いの他良く働いてくれた。

 接客もお客さんの受けが良いし、厨房にいても良く気がきく。

 何より他の子達とも仲良くやれてて、あの子が入ってると他の子たちも笑顔になる。

 それに最近は本部からの人件費削減要求が厳しくなっていた。


 ……そうか、いつの間にか俺は、桧原ひのはらを頼りきっていたのか。


 暮雄くれおは表情には出さないようにしつつも、心の中で反省していた。

 と言っても、他のスタッフはまだまだレジにテーブルの吹き上げに食器の洗浄にドリンクバーの補充にと忙しく動いているので、暮雄くれおの事など全く気にはしていない。


 店内の客の姿は、徐々に減ってきていた。


 暮雄くれおは、ホールに出していたベテランのスタッフを一人ずつ呼び、順番に休憩を取らせて始めた。


 桧原ひのはらは結局連絡無しか。

 店内が忙しいのを察して、今の時間は敢えて連絡しないように気を利かせてくれているのか?

 いや、桧原ひのはらは、それならメールの一通でも送るタイプだ。それも無いとなると……まさか、何かあったのか?


 忙しさが去ると、次は徐々に不安になってきた。

 連絡無しの無断欠席は、通常ならば即クビだ。


 他にもっと割のいいバイト先を見つけた時に、そのまま居なくなるような者も中にはいる。

 だが、桧原ひのはらはそんな事をする正確には見えなかった。

 無断で遅刻するスタッフに対して怒りを露わにした事だってある。


 となると、事故か急病にでもあったのだろうか。

 連絡を取る余裕がない程の何かに……


「店長、桧原あいつまだ連絡ないっすか?」


 厨房に戻って来たベテランのフリーター男子スタッフ、菟山うなやまが聞いてきた。

 昼も夜も働いてくれる子で、スタッフの面倒見が良い。

 桧原ひのはらの事も可愛がっていた。


「ああ。音信不通だ」


 通知のないスマホ画面に目を落とす。


 菟山うなやまは、特に桧原ひのはらの事を可愛がっていた。

 実際、可愛がりすぎていた。

 この二人は付き合っているのではないか……と噂になった事さえある。

 

 だが、その菟山うなやまですら桧原ひのはらの事は何も知らないらしい。

 益々ますます、不安になる。


「店長、桧原あいつ……クビですか?」


 菟山うなやまが業務用冷蔵庫にもたれ掛かり、前髪をいじりながら心配そうな表情を浮かべる。

 冷蔵庫にもたれるんじゃない。

 あと厨房で髪を触るな。

 

「いや、あいつの事だから、流石に何か事情があっての事だと思う」


「じゃ、減給っすか?流石に桧原あいつと言えど、無断欠席は他のスタッフに示しがつきませんよ。あの子まだ学生っすから、あの年頃の子達は一度覚えると悪いクセ付くっすよ。大人がちゃんと叱ってあげないとっすよ」


 菟山うなやまもっともらしく言う。

 さすがベテランだ。普段可愛がっていても、甘やかす事はしない。

 ……なんて思うと思ったか。

 どうせ、店長忙しいでしょうからその役目、俺がやってもいいっすよ……とでも言う気だろう。

 暮雄おれにはちゃんと後輩を躾けているように見せかけつつ、本当はただ二人っきりになりたいだけなのだ。

 俺には分かる。

 なぜなら、俺も昔はそうだった。


「店長、忙しいでしょうからその役目、俺がやるっすよ」


 ほらな。


「わかった。任せる。ちゃんと言い聞かせてやってくれ」


「任せて下さいっす」


 暮雄くれおは甘かった。

 実際、本気で怒りたいわけではない。

 一応、他のスタッフへのアピールにはなるし、ついでに何があったかを聞く役目も任せれる。

 その意味では、菟山うなやまの方が適任かもしれない。

 

 二人でいる所を噂好きなパートのおばちゃんにだけは見つからないように、言っておく必要はあるが。


「とはいえ、まずは桧原ひのはらと連絡が取れない事にはだな……ちょっと電話してくる」


「行ってらっしゃいっす」


 スマホ片手にバックヤードに行き、桧原ひのはらに電話をかけてみる。


 ……やはり、繋がらない。


 このまま繋がらなければ、最悪クビか?

 良い子だったんだがな。

 本当に、交通事故とかで無ければ良いが。


 ——ぴろりん!


 突然、スマホのメッセージアプリから通知が入った。

 桧原ひのはらからだった。


『ごめんなさいm(._.)m』


 良かった、連絡が来た。

 でも、なぜアプリのメッセージなんだ。

 直接電話して謝るのが怖くなったのか?


『今日のピークはなんとか終えたぞ。もうシフトの時間あまり残っていないが、今からでも来れるのか?』


『すいません、今日は行けません』


『そうか、まあ、仕方ないな』


『……と言うか、しばらく行けなくなりました』


 なんだ。

 なんの事情があるんだ?

 事情があるなら、シフトにはなるべく融通を利かせてやりたいが?


『どう言う事だ?……事情を聞かせてくれ』


『電話……出来ません。と言うか、電波弱くて繋がらないです_:(´ཀ`」 ∠):』


『電話が繋がらないだと?今、一体何処に居るんだ』


『異世界ですー』


『は?』


『なんか異世界、来ちゃいました。召喚ってやつですかね。召喚されちゃいました……あはは\(//∇//)\』


……クビだな。


 懐から百円ライターを取り出し、マルボロの煙草に火を付けて、勢いよく吸いこんだ。

 事務所が禁煙になったという事をすっかり忘れていた。


 煙草嫌いのベテラン主婦パートスタッフにこっぴどく怒られたのは、翌日の事だった。

 

 

 ——了——

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