【短編】大江戸猫又忌憚【読切】

猫海士ゲル

第1話 少年剣士参上、お花ちゃんを救出せよ!

 ぬらぁりぃ……ぬらぁりぃ……

 その赤くて長い舌が白餅のような柔肌を嘗めまわす。

「……え、くっ、えっ、えっ」

 少女が泣いているのは薄暗い奥座敷の一角。倒れた燭台しょくだいによって放たれた炎は障子へと伝わり、何本もの火蛇となって土壁を這い、加工杉の天井を喰らっていた。

 闇間に照り返す、まさにその中心部に躰が縛り付けられていた。何本もの舌が腕に、脚に、巻き付き絡まる。それは蜘蛛の巣に落ちた紋白蝶もんしろちょうだ。

 ごうごうと燃え上がる家屋のなか、火の粉が舞い、棚や箪笥たんすは焼き崩されて倒壊も始まった。床を、柱を、空間を震わせるほどの轟音。雷鳴にも似た軋み音。さらに凄まじい熱が幼い躰を襲っていた。

 恐怖を瞳に浮かべながら、彼女の震える唇はようやく大きく悲鳴をあげた。

「や、やめてぇ、こわいよぉ、こわいよぉッ……」

 はだけた着物の隙間からのぞいた肢体もまた、赤く火照っていた。燃え広がる家屋の炎が、丸い下腹部に、へそに、こってりした濃艶を描いている。

「いやぁぁぁぁあッ!」

 茶屋の畳部屋で蠢く得体の知れぬ毛むくじゃら数匹。一匹づつは彼女の頭程度の大きさだが、不気味な赤い口のなかに鋭い牙も見える。

 長い舌で全身をしつこく、ねちっこく……足の指、ふくらはぎ、……やがて衣服の下に滑り込む。腹、へそ、わきの下、くびすじ……流れる汗をぴちゃぴちゃ音をたてながら拭う。

 ……ビクッ、ビビッ……エレキテルでも当てられたように小さな躰は大きく跳ねた。まるで海老のように背を曲げ反り返る。

 何度も、何度も、海老反り跳ねる。

 尻は持ち上がり、腹は天を突き、その柔らかな背は弓状に沿ってビクッ、ビクッ、と跳ね続けた。

 黒くて愛らしかったドングリ眼の黒い瞳は徐々に意識を消して白目だけになる。口もだらしなく半開きで、──もはや叫ぶ気力すら失いつつあった。


 ──オマエモ、ネコニ、シテヤロウ


 毛むくじゃらの、白、黒、さび茶に三毛ら『毛玉』の尻尾が二本に割れた!


「猫又かッ!」

 荒ぶる火の粉を消し飛ばす奔流のように茶店へ飛び込んだのは、齢十四の少年剣士。

 麟太郎りんたろうは無我夢中で目前のバケモノに木剣ぼっけんを構えたが、すぐに後悔した。

「……しまった。こっそり近づいて寝首を掻くつもりだったのに」

 必至に考えた本来の計画とは違ってしまった。

 けれど、仕方の無いことだと麟太郎は自身の心を宥める。お花ちゃんのあられもない姿を目撃してしまったのだ。動揺から、うっかり声をあげてしまったのは不可抗力だ。

「うん、仕方ない。仕方ないぞ」

 もっとも綿密な計画など考えたところで『単純一直線』な麟太郎に、細かい芸当など出来るはずもなかったが。

「やい、バケモノめ。お花ちゃんを放せッ!」

 蠢く毛玉に対して落ち着き眼を凝らす。どうやら今、町を破壊している大きな猫又と違って「普通の猫と同じじゃねぇか」と鱗太郎はやや安堵した。

「俺は勝麟太郎かつりんたろう。大江戸八百八町はっぴゃくやちょうを統べる無頼漢として悪漢どもに恐れられた勝小吉かつこきちの一粒種にして江戸随一の剣豪と謳われる島田虎之助の一番弟子だ。尋常に勝負ッ!」

 炎に崩落していく家屋のなかで麟太郎は、いま一度神経を研ぎ澄まし木剣を構え直した。

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